猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 1 説経阿弥陀胸割④終

2011年10月24日 00時24分54秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

あみだのむねわり その4

 別時念仏も終わった暁方。大萬長者は、

「もう、時分は良かろう、姫の生き肝を取って参れ。」

と、屈強の武士(もののふ)三人を阿弥陀堂に使わしました。

 天寿は、少しも騒がず、麓の野原まで出ると、敷き皮を敷かせ、西向きに座り直しました。すると、御経の転読を始めました。法華経の五の巻きを転読しては、

「これは、一切衆生のため。」

阿弥陀経を転読しては、

「これは、弟ていれいが身の祈祷。」

さらに、西に手を合わせて、

「南無西方極楽教主の阿弥陀仏、本願誤り給わずして、父母一仏乗の機縁に導き給え。」

と、回向すると、天寿は三人の武士に向かってこう言いました。

「さて、人の生き肝を取るには、刀を五分に巻き、左の脇を切り立てて、右回りにきりりと引き回せば、肝に子細はないと聞きます。浮き世にあれば、思いが増します。さあ、早くやりなさい。」

 いかに武士どもとはいえ、目もくらみ、手をわなわなと震わせ、消え入るばかりの心持ちであったが、意を決すると、刀を五分に巻いて、左の脇に切り立てて、どうにかこうにか右に引き回して、ようやく生き肝を取り出した。

 武士どもが、この生き肝を持って、長者の館に帰ると、待ち構えていた陰陽の博士が、延命酒の酒で七十五度洗い清めた後、いよいよ松若にこれを与えた。松若は、この生き肝を押し頂き、万感の思いを込めて服すると、忽ちに三病瘡(さんびょうかさ)が皆、ことごとく消え失せて、一時(いっとき)のうちに以前のような、美しい若に、すっかりと蘇った。大萬長者を初め人々は、その霊験に驚き喜んだが、三人の武士は、

「申し上げます。只今、姫君を害し申しましたが、不思議なことに、異香が薫り立ち、花が降り、紫雲がたなびき、音楽が聞こえて参りました。いまだ、死骸を放置してあれば、せめて包み、弔いたいと存じます。」

大萬長者の人々は、そうじゃそうじゃと、松明を振り立てて、急いで麓の野原に来ましたが、まだ、一時ぐらいしか経っていないのに、死骸が見あたりません。野犬や虎狼野干の仕業でも無いようです。ところが、よくよく見てみると、したたる血の跡が、点々と続いています。

「この、血の跡を辿れ。」

と、血の跡を辿って行きますと、そこは、黄金造りの阿弥陀堂でした。驚いて中にどっと躍り込むと、姉は弟に打ち掛かり、弟は姉の膝を枕として、ぐっすりと寝入る姉弟の姿がありました。武士は腰を抜かすばかりに驚いて

「いかに、姫君、我らは御身を害せしが、弟に名残が惜しくて、亡魂ここに残ったか。」と叫べば、天寿は目を覚まし、はっと驚き、二の息をほーと付きました。

「ああ、夢の内か?生き肝を取られると思うその刹那、仏壇の黄金阿弥陀様の丹花(たんか)の唇より、妙えなる御声が聞こえ、由々しくも『親に孝行なる姉弟かな、我、汝の身代わりに立ちて、姉弟の者どもの命を全うさせ、富貴の家を守るべし。』と仰いました。」

 驚いた、人々が、仏壇を開いてみると、中にましますご本尊様の胸の間が、ぱっかりと切れて、未だ生血がぽたぽたとこぼれているのでした。

 人々が驚き騒ぐ中、大萬長者はこれを見て、こう言いました。

「ややや、げにげに誠、親に孝行有る姉弟なれば、三世の諸仏も不憫と思い、身代わりに立ったのも道理。このように、神仏のご加護に預かる姫であれば、松若の嫁に迎えよう。」

 そうして天寿は松若の御台となり、ますます栄え、ていれいは、出家となり阿弥陀堂でいよいよ親の菩提を弔いましたが、黄金阿弥陀の胸の傷は、末代まで生血をしたたらせたので、大変有名な名仏となりました。その後、この阿弥陀仏は唐の国に移されましたが、その頃、善導和尚という方が、この由来をつぶさに書き記し、日本へ伝えました。今も、胸から生血を流すこの阿弥陀仏は、胸割阿弥陀と言われ、親に孝ある者は、必ず幸になるとの有り難い教えを、後世に知らせる仏様として、人々から深く信仰され続けています。

01422_00490 

おしまい


最新の画像もっと見る

コメントを投稿