猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 25 説経中将姫御本地 ⑥終

2013年07月26日 21時02分04秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

中将姫⑥終

宝亀六年四月十三日(775年)のことでした。善尼比丘尼の法談があるということで、

近国の人々が、我も我もと当麻寺に集まって来ました。貴賤の群集夥しい中で、善尼比丘尼は、

「さあ、聴衆の皆様。私は、生年二十九歳。明日十四日には、大往生を遂げるのです。今宵、

ここに集まった皆々様は、ここで通夜をなされ、私の最期の説法を聞きなさい。

 私は女ではありますが、どなたも、疑う事無く、ようく聞いて悟りなさい。忝くも、御釈

迦様の御本心は、この世界の一切の人々を、西方極楽浄土へと救うことなのです。阿弥陀如

来が、まだ法蔵比丘でいらっしゃった時にも、必ず安養世界へ救い取ろうと、固く誓約され

ました。このような有り難い二尊の御慈悲を知らないで、浮き世の栄華を望み、あちらこち

らと迷うことを、妄執と言うのです。また因果とも言い、そのまま、三途の大河に飲み込ま

れて、紅蓮地獄の氷に閉じ込められてしまうのです。そして、餓鬼、畜生、修羅、人天、天

道を流転して、ここで生まれ、あそこで死に、生々世々(しょうじょうぜぜ)のその間に、

浮かばれる事も無いのです。まったく浅ましいことではありませんか。

 しかしながら、弥陀の本願の有り難さは、例え、そのような大罪人であっても、只、一心

不乱に、『南無阿弥陀仏、助け給え』と唱えれば、必ず弥陀は来迎なされて、極楽浄土の上

品上生にお導き下さるのです。何の疑いが有りましょうか。よくよく、ここを聞き分けて、

念仏を唱えなさい。」

と、声高らかに、御説法されるのでした。

 その時のことです。継母の母は、二十丈(約60m)あまりの大蛇となって、中将姫の説

法を妨げてやろうと、現れたのでした。大蛇は、声荒らげて、

「やあ、中将姫、我を誰と思うか。恥ずかしながら、お前の継母であるぞ。浮き世で思い詰

めた怨念は、消えることは無いぞよ。」

と言うと、鱗を奮わせ、角を振り上げ、舌をべろべろと伸ばして、迫って来ます。まったく

恐ろしい有様です。中将姫は、

「なんと、浅ましいお姿でしょうか。その様なお心だからこそ、蛇道に落ちてしまうのです。

しかし、だからといって、あなたを無下にすることはありませんよ。幼くして母を失い、

あなたを、本当の母と思ってお慕い申し上げたのに、為さぬ仲と思いになって、私をお疎み

になられたことは、浅ましい限りです。これからは、その悪念を捨て去って、仏果を受け取

りなさい。」

と、御手を合わせて祈られるのでした。

「諸々の仏の中に、菩薩の御慈悲は、大乗のお慈悲。罪深き、女人悪人であろうとも、有情

無常の草木に至るまで、漏らさず救わんとの御誓願。私の継母もお救い下さい。」

そうして、中将姫は大蛇に向かい、

「さあ、母上。今より、悪心を振り捨てて、念仏を唱えなさい。そもそもこの名号には、

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忘れ去られた物語たち 25 説経中将姫御本地 ⑤

2013年07月26日 19時12分20秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

中将姫⑤

 さて、中将姫が雲雀山から都にお帰りになられて、暫くした頃のことです。姫君は十六歳

になられました。そして、后の位に就く話が再び持ち上がったのでした。しかし、姫君は、

「例え私が十全万葉の位に就いたとしても、無間八難の底に沈むことから、救われる訳では

無い。出家をして、母も継母も回向しよう。」

と、菩提の心がむくむくと湧いて来たのでした。

「私が、無断で忍び出ることは、親不孝なことかもしれませんが、私が先に浄土へ行き、

父を迎えることこそ、真実の報恩であると信じます。」

と、姫君は誓うと、その夜の内に、奈良の都を出て、七里の道を急いで、当麻の寺へと向か

ったのでした。姫君は、寺に着くと、とある僧坊に立ち寄って、出家の望みを伝えましたが、

上人は、

「まだ、幼いあなた様が、どうして出家などなされるのですか。思い留まりなさい。」

と、諭しました。しかし、姫君は重ねて、

「私は、無縁の者で、頼りにする所もありません。殊に、親のご恩に報いる為に思い立った

出家ですから、どうか平にお願い申し上げます。」

と涙ながらに頼むのでした。さすがに、上人も哀れと思われて、

「それでは、結縁申しましょう。」

と、背丈ほどある黒髪を下ろし、戒を授け、その名を、善尼比丘尼(※実際は法如)と付け

たのでした。

 ある時、善尼比丘尼は、本堂に七日間、籠もられて、

「私は、生身(しょうじん)の弥陀如来を拝むまでは、ここから一歩も出ません。」

と大願を立てられて、一食調菜(いちじきちょうさい)にて、一年間の不断念仏行に入られ

たのでした。

 仏も哀れに思し召したのでしょうか。第六日目の天平宝字七年六月十六日(763年)の

酉の刻頃(午後6時頃)に、五十歳ぐらいの尼が現れ、中将姫の傍にやって来たのでした。

すると、その尼は、

「汝、生身の弥陀を拝みたいのであるならば、蓮の茎を百駄分(馬一頭分の荷駄:135Kg

を調えなさい。そうすれば、極楽の変相を織り表してお目にかけましょう。」

と言うと、掻き消すように消えたのでした。善尼比丘尼は、

「あら、有り難や」

と、西に向かって手を合わせると、

「願いが叶った。」

と御堂を飛んで出るのでした。そして、父の所へ真っ先に行き、事の次第を話すのでした。

不思議に思った父大臣は、この奇跡について、さっそく御門に奏聞しました。すると、御門

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忘れ去られた物語たち 25 説経中将姫御本地 ④

2013年07月26日 16時08分01秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

中将姫④

 危うく命拾いをした中将姫は、物憂い山住まいの毎日を過ごしていました。その上、頼み

の綱の経春が討ち死にしたとの知らせもあり、心の内のやるかたない風情も哀れです。そん

な中でも、中井の三郎と経春の女房は、姫君をお守りして、落ち穂を拾い、物乞いをして

支えたのでした。

 しかし、ある時、中井の三郎は重い病に伏してしまいます。中将姫も、女房も、枕元で、

励ましますが、山中のこととて、癒やし様もありません。縋り付いて泣くばかりです。もう

これが最期という時に、中井の三郎は女房に介錯されて起き上がると、

「姫君様。娑婆でのご縁も終わりです。これより冥途の旅に出掛けます。私が生きている限

り、必ず父大臣に申し開き、再び御世に戻して差し上げようと、明け暮れ、このことだけ

を思い続けていたというのに、とても残念です。どうか、必ず姫君様は、お命を全うして

くだされませ。神は正しい者の頭に宿ります。きっと必ず、父上様に再び、お会いになるこ

とは鏡に掛けて明らかです。死する命は惜しくはありませんが、姫君のお心の内を推し量り

ますと、只それだけが、名残惜しく思われます。」

と、最期の言葉を残して、明日の露と消えたのでした。姫も女房もこれはこれはと、泣くよ

り外はありません。姫君は涙の暇より、口説き立て、

「ああ、何という浅ましいことでしょう。父上に捨てられて、経春は討ち死にし、この

寂しい山中で、お前だけを頼りにして暮らして来たのに、今度は、お前まで失って、これか

らどうやって暮らしていけばよいのですか。私も一緒に連れていって下さい。」

と、空しい死骸を押し動かし、押し動かして、慟哭するのでした。女房は、

「お嘆きはご尤もです。しかしながら、最早帰らぬ事です。さあ、どうにかして、この死骸

を葬りましょう。」

と、健気にも励まします。山中には外に頼める僧も無く、女房と姫君二人で、土を掘り死骸

を埋め、塚を築いて、印の松を植えたのでした。それから、姫君自ら、お経を唱え、回向

をするのでした。

 さて、その後も山中の寂しい日々が続いていましたが、姫君は、称賛浄土経を書き写して

暮らしておりました。ある日、姫君は女房に、こう話しました。

「このお経は、釈迦仏の弥陀の浄土を褒め称えたお経です。毎日唱えて、夫の経春の供養を

して下さい。」

女房は、これは有り難いと、お経を給わったのです。それから女房は、髪を剃り落とし尼と

なって暮らしたのでした。

 さて一方、難波の大臣豊成は、ある年の春にこんなことを思い立ちました。

「そろそろ、山の雪も消え、谷の氷も解けたことであろう。雲雀山に登って狩りでもして、

心の憂さを晴らそう。」

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