猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 7 説経大福神弁財天御本地⑥終

2012年01月20日 23時15分58秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

竹生嶋弁財天の御本地 ⑥終

 さて、天の邪鬼が余計なことをしている間に、カララ仙人と天和の宮は、なんなく

弁財天の居る天上界へ着きました。カララ仙人は、若宮を下ろすと、

「さあ、あれに見える林の向こうこそ、母上がお住みになっている浄土ですぞ。我こそ

は、宵の明星である。」

と言い放ち、虚空に舞い上がりました。若宮が、有り難しと虚空を三度拝んでいると、

十六七歳の童子が二人、白馬を引いて来るのが見えました。若宮は、この童子達に母上

の居所を聞いてみようと思いました。

「もし、この国の弁財天はどこにいらっしゃいますか。私は、日本の主(あるじ)、聖

武帝の宮、天和の宮と申す者です。」

と、尋ねると、童子は、

「それは、それは、左様でしたか。我らは、弁財天に仕える者。あなた様がいらっしゃ

ることを、弁財天がお知りになり、この白馬で、お迎えに参りました。」

と、言うのでした。若宮が白馬にまたがった途端に、もうそこは、弁財天の内裏でした。

若宮は、ようやく母、弁財天との対面を果たしました。母子共に喜びの涙を流しており

ましたが、やがて、弁財天は、父、宇賀神大王の所へ、若宮を連れて行きました。宇賀

神大王は、こう話しました。

「天和の若よ、汝は知らないのか。釈尊が霊鷲山(りょうじゅせん)で約束をしたこと

を。末世において、下界にひとつの嶋ができ、行基が仏法を広め、愛染明王は優しく情

けが深く、弁財天は貧苦を助けるだろうという契約であるぞ。今、時こそ来たれ。若は、

これより直ちに日本に帰り、衆生を済度すべし。我も弁財天を伴って、後より日本に向

かうことにする。」

これを、有り難く拝聴した若宮は、十五童子(宇賀神又は弁財天の僕)と共に、日本を

目指して、急ぐことにしました。ところが、天の川に船を乗り出すと、そこには、第六

天の魔王が、沢山の眷属を連れて、待ち構えていたのでした。天の川の中から、邪悪な

鬨の声を上げて、魔王達が立ちはだかりました。十五童子は、船梁(ふなばり)に立ち

上がり、

「おのれらは、この川の阿修羅どもか。宝が目当てならば無駄だ。そこ、立ち去れ。」

と、怒りました。魔王は、

「やあ、推参なる雑言。われこそ、第六天の魔王なり。日本の主、天和の宮が、弁財天

を下界へ連れ行くこと、許さぬ。」

と、迫りました。これを聞いた童子達は、

「さては第六天か、出で物見せん。」

と、飛び出すと、神通飛行の剣と化身して、縦横無尽に飛び交ったので、外道どもはこ

とごとく切り裂かれてしまいました。第六天は、怒り狂って、おのれ見ておれと、虚空

へ飛び上がると、突然、空が燃え上がり、火の雨がどうどうと降り始めました。さすが

の十五童子も成す術も無く、次々と火に焼かれて行きます。これはいかんと、若宮が、

「南無、日本の明神、力を合わせたび給え」

と、大音声に祈念すると、俄に神風が吹き始め、大雨は車軸を流し、火炎は消えてなく

なりました。危ないところを助かりました。日本の神々が援軍に来たのでした。

 しかし、それだけでは終わりませんでした。今度は、妖魔(ようまん)外道が鉾を手

にして襲いかかってきました。すると、諏訪の明神が現れ、むんずとつかみかかると、

そのまま押し伏せて、首をねじ切って放り投げました。次は、極道外道が跳んでかかり

ましたが、敏馬(みぬめ)(※敏馬神社:神戸市灘区岩屋中町)、香取の両明神が、

立ち向かい、一刀両断にしてしまいました。とうとう、業を煮やした第六天の魔王は、

怒り狂って、若宮に向かって、一文字に飛びかかりました。若宮は、第六天とむんずと

ばかりに組み合いました。右に左に、組んず解れずの大接戦です。やがて、若宮がぐっ

とばかりに押さえ付け、勝負あったかに見えましたが、その刹那、第六天は、陽炎の如

くに消え去って、若宮の背後にすっと回りました。その時、鹿島の明神が跳んで出て、

第六天を羽交い締め、息の根を止めようとしました。 しかしその時、雷神が現れ、

「しばらく、しばらく、この度は、それがしに預け給え。」

と、言ったのでした。素戔嗚尊は、雷神のお出ましに驚いて、

「むう、雷神の仰せとあれば、お任せいたしましょう。」

と、第六天を許したのでした。そうして、神の戦は終わりました。さて、素戔嗚尊は、

天和の宮と対面すると、

「ますます、衆生を守りなさい。」

と、励ましました。やがて、神々も若宮も日本にお戻りになったのでした。

 さて、その頃日本では、元正の宣旨によって、行基菩薩が、竹生嶋にお入りになった

所でした。すると、突然、頭に白い蛇を乗せた者が現れたのでした。その男は、

「いかに、行基よ。智慧が無くては、この山の主にはなれぬぞ。」

と、言うのでした。行基はこれを聞いて、

「そういうあなたは、何者ですか。先ず、あなたが、智慧を顕したらいかがです。」

と、言い返しました。すると男は、

「はは、それは、容易い望み。では、ご覧入れよう。」

と、空中に向かって「七宝」(しちほう)と言う文字を書くと、不思議なことに、七つ

の宝珠の玉が現れたのでした。行基は、この玉を御経の箱で受け止めると、即身七仏と

唱えました。すると、空より紫雲が舞い下がり、玉を受け止めた経箱に入るかと思った

途端、玉は仏の姿と変じたのでした。件の男は、

「やあ、行基。我こそは、その昔の天和の宮である。末世の衆生に福を与え、貧苦を救

うため、天竺より、福神を連れて参った。この嶋は、金輪際より出現した山であるので、

この嶋に迹を垂れ(あとをたれ)(※垂迹:神仏を顕すの意)慈悲哀憫(じひあいみん)

をいたさん。我はそも、愛染明王なり。」

と、言うと、たちまち虚空に消え去りました。有り難し、有り難しと、行基が、虚空を

拝んでいると、水中より光りが射し上がり、虚空からは音楽が聞こえ、花が降り、十五

童子達が現れました。すると、辰巳の方角(南東)より、白い蛇に導かれて、光に溢れ

た弁財天が近づいて来ます。なんとも神々しいばかりです。御手の宝珠がまばゆいばか

りの光を放っているのでした。やがて、白い蛇は、弁財天の頭の上に差し上ると、とぐ

ろを巻いて、まるで弁財天の頭に雲が乗るように見えました。その時弁財天は、

「やあ、珍しや行基よ。我は、この嶋に迹を垂れん。只、一心に、己(つちのと)の巳

(み)の日(弁財天の縁日)を待つ人々を、三日の内に大長者となさん。これを、衆生

に示すべし。」

則ち、無量寿仏(※阿弥陀仏)と拝まれ給えば

白蛇は、観音、勢至となり給う

それより嶋を建立あり

千秋万歳のお喜び

目出度しとも中々、申すばかりはなかりけり

右は天満八太夫・重太夫正本なり 大伝馬三町目 うろこかたや板

おわり


忘れ去られた物語たち 7 説経大福神弁財天御本地⑤

2012年01月20日 20時36分06秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

竹生嶋弁財天の御本地 ⑤

 さてその後、内裏にいらっしゃる聖武帝は、后を失ったばかりか、若宮も行方不明と

なってしまったので、思い悩んで半死の床に伏してしまわれました。母元正を初め、臣

下大臣が、数々の薬酒を集めて看病に当たりましたが、快復の兆しは見られませんでした。

そこへ、若宮の乳母(めのと)友成が、都へ帰還し、天和の宮の形見を献上したのでした。

御門は、ようよう起きあがると、

「何、若宮の形見が来たとや。あら、恨めしの若宮。」

と、形見を顔にあてて、泣き崩れました。聖武帝は、友成に向かい、

「さてさて、汝は、若宮をどこに捨てて来たのだ。后には捨てられ、一人の若には、生

き別れ、生きる望みも無くなった。」

と、涙ながらに力なく横たわると、さらに病状は悪化してしまいました。やがて、御門

は、弱々しく目を開くと、

「今生の名残もこれまでなり、暇申して、母上様。懐かしの若宮よ。」

との言葉を残して、ついに崩御されてしまったのでした。母元正、臣下大臣が、驚き嘆

き、泣き沈んでいると、不思議なことに、紫雲がたなびき、その内に御門の姿が現れ出でました。

「いかに、御母。私の本地はこれ、天照大神なり。衆生の貧苦を助けんため、今、聖武

とは出生せり、日本へ福神の縁を結ばんための事であるから、嘆くことは無い。又、若

宮は、人々に敬愛される愛染明王である。やがて、近江の竹生嶋に、弁財天と言う福神

を招くでしょう。」

と、新たになる託宣を残すと、その身は光に包まれ、遙か天上へと昇って行ったのでした。

 さて、美濃の国菩提山では、3年の間、天和の宮の修業が、続いていました。ある日、

天和の宮は、仙人にこう頼みました。

「私は、王位を捨てて、既に3年の間修業をして来ました。秘術の伝授をしてください。」

これを聞いた仙人は、

「汝の親孝行の志は、良く分かっておる。それでは、これより、汝を連れて天上界に上

がることとしよう。」

と、言うなり、虚空を招くと、金蓮華(こんれんげ)が天より降りてきました。仙人は、

にこにこしながら、

「お前は、この蓮の茎につかまりなさい。」

と言うと、自分は、金蓮華の上に乗りました。若宮が、蓮の茎にしがみつくと、金蓮華

は、ふわりと宙に浮き上がり、天上界を目指して飛行を始めたのでした。

 その様子を見ていた者がありました。それは、天の邪鬼でした。飛行する金蓮華の前

に飛んで出ると、

「それに見えしは、美濃の国菩提山に住むカララ仙人と覚えたり、見れば、下界の凡夫

を天上界へ連れて行くつもりか。我は、天上界への入り口の番人。そのような者を天上

界へ入れることは許さぬ。」

と、行方を遮りました。仙人は、これを聞いて、

「推参なる物言い。この方は、日本の御主(あるじ)天照大神が聖武天皇となってもう

けし一の宮と知らぬのか。つべこべ言われる筋合いではない。その退け。」

と、はねつけると、天の邪鬼は腹を立て、

「ええ、そんなことは関係ない。どっちにしろ遙か下界の大凡夫。思い知らせてくれん。」

と、魔法を使ってそばの岩を打ち砕くと、不思議にも若宮がつかまっていた蓮の茎が、

ぼっきりと折れて、若宮は、遙かの谷底へと落ちて行ってしまいました。天の邪鬼は喜

んで、それみたことかと、どこかへ消えてしまいましたが、谷底に落ちた若宮は怪我ひ

とつもしませんでした。

 深い谷底で、若宮は、さて困ったなと、遙かの雲井を見上げておりましてが、その時

仙人は、ご安心あれと、五大明王に祈り始めました。東の方向を向くと、「南無降三世

明王(なむごうさんぜみょうおう)」北に向かって、「金剛夜叉明王(こんごうやしゃみ

ょうおう)」西に向かって「大威徳明王(だいいとくみょうおう)」そして、南に向かっ

て「軍茶利明王(ぐんだりみょうおう)」「中央に大日如来特大智慧」と祈ります。

すると、有り難いことに、西の方から、一筋の光明が差し込むや否や、金蓮華の茎から、

白い糸がちらちらと伸びて、天和の宮へと打ち掛かったのでした。若宮は、

「南無、梵天、帝釈、力をお与え下さい。」

と祈念すると、細い糸にすがり付きました。

 その頃、天の邪鬼は、第六天の魔王の元にやってきて、報告しました。

「申し上げます。カララ仙人は、天和の宮を伴い、宇賀神の一人娘、弁財天を迎えに来

ましたので、魔法をもって下界に落としてやりましたが、仙人の術によって、再び天上

界を目指して昇り始めました。彼らを天上界へ昇らせては、日本は富貴の国となり、人々

の力は強くなり、日本を手に入れることは難しくなります。どうか、御思案ください。」

これを聞いた魔王は、怒り狂って、

「我が一念が、大魔王岩富と生まれ、地獄をもって日本を覆さんと企んだのに、うまく

行かず、まったく口惜しい思いをしている所に、天和の宮がやって来るというのか。よ

しよし、それであるならば、つかみ拉いで(ひしいで)くれん。まずは、軍勢を調えよ。」

と、命じました。

 しかし、天の邪鬼は、天の邪鬼と言うだけあって、命令通りにするものではありませ

ん。特に、事が荒立つことを喜ぶ曲者です。天の邪鬼は、わざわざ日本伊勢の国に飛ん

で行き、天照大神に、こんなことを言ったのでした。

「天和の宮様は、カララを連れて、天上に上がりましたが、第六天の攻撃を受けて危う

い形勢ですよ。急いで、御加勢に行ったらどうですか。」

これを聞いた天照大神は、素戔嗚尊(すさのうのみこと)、春日(※奈良)住吉(※大

阪)正八幡(※京都)を神前に呼び出すと、事の次第を説明し、

「このままでは、日本の名折れ、汝ら、当国の神社を集め、急ぎ天上しなさい。」

と命じました。時は折も良く天平元年(729年)申の神無月(十月)朔日。神々が

出雲大社に集まっておられます。早速、素戔嗚尊は、神々と対面すると、

「この度、天和の宮、色界の弁財天を日本へ迎えようと、天上界へ向かったが、第六天

の攻撃にあって危うしとの知らせ。急ぎ追伐いたせとの天照大神よりの神勅なり。誰か、

神の威勢を顕すべし。」

と、号令すると、居並ぶ神々が、応とばかりに立ち上がりました。まず始めに、飯縄権

現、さらに東国の境には箱根権現、三嶋の明神。信濃の国には戸隠大明神、越後に弥彦

の権現、上州に榛名権現、武蔵に府中六社の大明神(※大国魂神社)、相模に不動明王

(※大山不動)、阿波に成瀬の明神(※徳島県那賀郡那賀町成瀬:成瀬神社カ?)、上総

に埴生の明神(※千葉県長生郡一宮:玉前神社)、下総に大鳥明神(※千葉県印旛郡栄

町:大鷲神社)、奥州に塩釜明神、常陸の国には、鹿島、香取、息栖(いきす)の明神

その外の神々、都合六万八千八社が勢揃いした有様は、筆舌に尽くしがたい有様です。

素戔嗚尊の喜びは、限りなく、

「ようし、それではこれより、それがしが、戦の法を伝授いたす。」

と、金の采配をおっ取って、

「それ、神国の習いにて、ばらばらに駆けて行くなどということは、よもあらじ。

調子を取って、楽を合わせ、駆け引きをするのだ。敵に向かって攻め込む時は、どうど

うてんと打つ太鼓。また、引けよと知らせるその時は、胴満(どうまん)の鐘を突く。

魔王が、天の川に陣を取るならば、味方は、雲中に盾を並べ立て、神風を吹き立てるの

だ。一騎に三騎、五騎に十騎が組み付いて、突き伏せ、切り払うのだ。豊葦原の中つ国

(とよあしはらのなかつくに)。開闢以来の神所であるからは、御代安全の神戦(かみ

いくさ)。なんで負けることがあるものか。勇めや勇め、方々。」

と、威勢を付けると、どっとばかりに、天上界目指して出陣しました。素戔嗚尊の君慮、

有り難しとも中々、申すばかりはなかりけり。

つづく

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