猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 7 説経大福神弁財天御本地⑤

2012年01月20日 20時36分06秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

竹生嶋弁財天の御本地 ⑤

 さてその後、内裏にいらっしゃる聖武帝は、后を失ったばかりか、若宮も行方不明と

なってしまったので、思い悩んで半死の床に伏してしまわれました。母元正を初め、臣

下大臣が、数々の薬酒を集めて看病に当たりましたが、快復の兆しは見られませんでした。

そこへ、若宮の乳母(めのと)友成が、都へ帰還し、天和の宮の形見を献上したのでした。

御門は、ようよう起きあがると、

「何、若宮の形見が来たとや。あら、恨めしの若宮。」

と、形見を顔にあてて、泣き崩れました。聖武帝は、友成に向かい、

「さてさて、汝は、若宮をどこに捨てて来たのだ。后には捨てられ、一人の若には、生

き別れ、生きる望みも無くなった。」

と、涙ながらに力なく横たわると、さらに病状は悪化してしまいました。やがて、御門

は、弱々しく目を開くと、

「今生の名残もこれまでなり、暇申して、母上様。懐かしの若宮よ。」

との言葉を残して、ついに崩御されてしまったのでした。母元正、臣下大臣が、驚き嘆

き、泣き沈んでいると、不思議なことに、紫雲がたなびき、その内に御門の姿が現れ出でました。

「いかに、御母。私の本地はこれ、天照大神なり。衆生の貧苦を助けんため、今、聖武

とは出生せり、日本へ福神の縁を結ばんための事であるから、嘆くことは無い。又、若

宮は、人々に敬愛される愛染明王である。やがて、近江の竹生嶋に、弁財天と言う福神

を招くでしょう。」

と、新たになる託宣を残すと、その身は光に包まれ、遙か天上へと昇って行ったのでした。

 さて、美濃の国菩提山では、3年の間、天和の宮の修業が、続いていました。ある日、

天和の宮は、仙人にこう頼みました。

「私は、王位を捨てて、既に3年の間修業をして来ました。秘術の伝授をしてください。」

これを聞いた仙人は、

「汝の親孝行の志は、良く分かっておる。それでは、これより、汝を連れて天上界に上

がることとしよう。」

と、言うなり、虚空を招くと、金蓮華(こんれんげ)が天より降りてきました。仙人は、

にこにこしながら、

「お前は、この蓮の茎につかまりなさい。」

と言うと、自分は、金蓮華の上に乗りました。若宮が、蓮の茎にしがみつくと、金蓮華

は、ふわりと宙に浮き上がり、天上界を目指して飛行を始めたのでした。

 その様子を見ていた者がありました。それは、天の邪鬼でした。飛行する金蓮華の前

に飛んで出ると、

「それに見えしは、美濃の国菩提山に住むカララ仙人と覚えたり、見れば、下界の凡夫

を天上界へ連れて行くつもりか。我は、天上界への入り口の番人。そのような者を天上

界へ入れることは許さぬ。」

と、行方を遮りました。仙人は、これを聞いて、

「推参なる物言い。この方は、日本の御主(あるじ)天照大神が聖武天皇となってもう

けし一の宮と知らぬのか。つべこべ言われる筋合いではない。その退け。」

と、はねつけると、天の邪鬼は腹を立て、

「ええ、そんなことは関係ない。どっちにしろ遙か下界の大凡夫。思い知らせてくれん。」

と、魔法を使ってそばの岩を打ち砕くと、不思議にも若宮がつかまっていた蓮の茎が、

ぼっきりと折れて、若宮は、遙かの谷底へと落ちて行ってしまいました。天の邪鬼は喜

んで、それみたことかと、どこかへ消えてしまいましたが、谷底に落ちた若宮は怪我ひ

とつもしませんでした。

 深い谷底で、若宮は、さて困ったなと、遙かの雲井を見上げておりましてが、その時

仙人は、ご安心あれと、五大明王に祈り始めました。東の方向を向くと、「南無降三世

明王(なむごうさんぜみょうおう)」北に向かって、「金剛夜叉明王(こんごうやしゃみ

ょうおう)」西に向かって「大威徳明王(だいいとくみょうおう)」そして、南に向かっ

て「軍茶利明王(ぐんだりみょうおう)」「中央に大日如来特大智慧」と祈ります。

すると、有り難いことに、西の方から、一筋の光明が差し込むや否や、金蓮華の茎から、

白い糸がちらちらと伸びて、天和の宮へと打ち掛かったのでした。若宮は、

「南無、梵天、帝釈、力をお与え下さい。」

と祈念すると、細い糸にすがり付きました。

 その頃、天の邪鬼は、第六天の魔王の元にやってきて、報告しました。

「申し上げます。カララ仙人は、天和の宮を伴い、宇賀神の一人娘、弁財天を迎えに来

ましたので、魔法をもって下界に落としてやりましたが、仙人の術によって、再び天上

界を目指して昇り始めました。彼らを天上界へ昇らせては、日本は富貴の国となり、人々

の力は強くなり、日本を手に入れることは難しくなります。どうか、御思案ください。」

これを聞いた魔王は、怒り狂って、

「我が一念が、大魔王岩富と生まれ、地獄をもって日本を覆さんと企んだのに、うまく

行かず、まったく口惜しい思いをしている所に、天和の宮がやって来るというのか。よ

しよし、それであるならば、つかみ拉いで(ひしいで)くれん。まずは、軍勢を調えよ。」

と、命じました。

 しかし、天の邪鬼は、天の邪鬼と言うだけあって、命令通りにするものではありませ

ん。特に、事が荒立つことを喜ぶ曲者です。天の邪鬼は、わざわざ日本伊勢の国に飛ん

で行き、天照大神に、こんなことを言ったのでした。

「天和の宮様は、カララを連れて、天上に上がりましたが、第六天の攻撃を受けて危う

い形勢ですよ。急いで、御加勢に行ったらどうですか。」

これを聞いた天照大神は、素戔嗚尊(すさのうのみこと)、春日(※奈良)住吉(※大

阪)正八幡(※京都)を神前に呼び出すと、事の次第を説明し、

「このままでは、日本の名折れ、汝ら、当国の神社を集め、急ぎ天上しなさい。」

と命じました。時は折も良く天平元年(729年)申の神無月(十月)朔日。神々が

出雲大社に集まっておられます。早速、素戔嗚尊は、神々と対面すると、

「この度、天和の宮、色界の弁財天を日本へ迎えようと、天上界へ向かったが、第六天

の攻撃にあって危うしとの知らせ。急ぎ追伐いたせとの天照大神よりの神勅なり。誰か、

神の威勢を顕すべし。」

と、号令すると、居並ぶ神々が、応とばかりに立ち上がりました。まず始めに、飯縄権

現、さらに東国の境には箱根権現、三嶋の明神。信濃の国には戸隠大明神、越後に弥彦

の権現、上州に榛名権現、武蔵に府中六社の大明神(※大国魂神社)、相模に不動明王

(※大山不動)、阿波に成瀬の明神(※徳島県那賀郡那賀町成瀬:成瀬神社カ?)、上総

に埴生の明神(※千葉県長生郡一宮:玉前神社)、下総に大鳥明神(※千葉県印旛郡栄

町:大鷲神社)、奥州に塩釜明神、常陸の国には、鹿島、香取、息栖(いきす)の明神

その外の神々、都合六万八千八社が勢揃いした有様は、筆舌に尽くしがたい有様です。

素戔嗚尊の喜びは、限りなく、

「ようし、それではこれより、それがしが、戦の法を伝授いたす。」

と、金の采配をおっ取って、

「それ、神国の習いにて、ばらばらに駆けて行くなどということは、よもあらじ。

調子を取って、楽を合わせ、駆け引きをするのだ。敵に向かって攻め込む時は、どうど

うてんと打つ太鼓。また、引けよと知らせるその時は、胴満(どうまん)の鐘を突く。

魔王が、天の川に陣を取るならば、味方は、雲中に盾を並べ立て、神風を吹き立てるの

だ。一騎に三騎、五騎に十騎が組み付いて、突き伏せ、切り払うのだ。豊葦原の中つ国

(とよあしはらのなかつくに)。開闢以来の神所であるからは、御代安全の神戦(かみ

いくさ)。なんで負けることがあるものか。勇めや勇め、方々。」

と、威勢を付けると、どっとばかりに、天上界目指して出陣しました。素戔嗚尊の君慮、

有り難しとも中々、申すばかりはなかりけり。

つづく

Photo


最新の画像もっと見る

コメントを投稿