Diary

渡辺家のファミリー日記です。

カーターファミリー覚書

2020年06月24日 01時03分58秒 | ブルーグラス

Facebook で「アルバム10枚10日連続10人運動」というのをしました。
毎日1枚ずつ、10日連続でお気に入りのアルバムを紹介するという企画です。
10枚を選ぶのはとても厳しかった~ 少なくとも、あと Kitty Wells 、デリア・ベル、モリィ・オディは紹介したかったです。。。
その企画でカーターファミリーも取り上げたくて、いろいろ調べたりもしたのですが、やはり枠におさまりきれない気がして外しました。Box CDでまとめて紹介しようかとも思いましたが、このBoxセットだけでも CD12枚、200ページを超えるブックレットというものすごいボリュームですから。

BCD 15865 LK   The Carter Family 「In The Shadow of Clinch Mountain」



調べたこと、どこかにまとめておかないと時間が経つと忘れてしまうので、自分のための『覚書』としてここに残します。

◇家族関係




◇AP と サラ の出会い

https://www.udiscovermusic.jp/features/a-family-affair

<以下 引用>
訪問販売のセールスマンだったアルヴィン・カーターは、ヴァージニア州のある一軒の家の前庭に足を踏み入れた時、5バーのオートハープ(訳注:19世紀にドイツ人のツィマーマンが発明したと言われる楽器。日本の琴に似た構造の板状楽器だが、コードバーと呼ばれる棒状の木が横に、弦がタテに張られており、コードバーの数でプレイできるコードの種類が決まる。コード名の書かれたボタンを押し、弦をかき鳴らしてリュートのようにプレイする)を弾きながら、機関車の事故を描いた定番曲「Engine 143」を歌うティーンエイジャーのサラ・ドハーティーという娘に出逢った。この1914年の偶然の出会い、そして一年後の彼らの結婚が、その後一世紀以上にわたるカントリー・ミュージックの歴史の中で連綿と受け継がれることになった音楽一家の出発点だった。

◇AP と サラ の別れ

参考URL    http://sasayuri-net.jp/users/seata-28/12_Carter.html

APが歌を探す旅に出て不在になることが多くなった時期、サラを助けるよう父方のいとこのコーイ・ベイに留守番を頼みます。が、そのコーイ・ベイとサラが恋に落ちてしまいました。APはショックを受け、周りの親戚は2人を離した方がいいとしてコーイ・ベイはカリフォルニアに越します。(1933年)
その後、1936年に離婚成立。カーターファミリーとして音楽活動を続ける中、1939年2月に「次の曲をカリフォルニアにいる、コーイ・ベイに捧げます」とAPの目の前でサラは語って「I'm Thinking Tonight of My Blue Eyes」を歌ったそうです。。。

◇AP の埋葬地

Mt. Vernon Methodist Church

アメリカ合衆国バージニア州メイススプリングにある歴史的なメソジスト教会

4977 A.P. Carter Hwy Hiltons VA 24258 United States




Carter Family Fold と Mt. Vernon Methodist Church は同じ APカーター・ハイウェイ沿いにあります。


History Of Country Music 01 Carter Family

 

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