断章、特に経済的なテーマ

暇つぶしに、徒然思うこと。
あと、書き癖をつけようということで。
とりあえず、日銀で公表されている資料を題材に。

"International Aspects of Current Monetary Policy" (3)

2016-07-24 23:34:01 | MMT & SFC
一応、粗訳が終わった。。。。。
実は、この間、SDL(まあ、簡単に言えば、
自動翻訳のためのデータベースを作成ソフト、、、、といってもかなり古いバージョン)を
入手して、それでうまいことできるかどうか
試していたのだが、慣れないせいで、なかなか思うに任せず、
で、一応完成したので
PDFでアップしよーとしたけれど、
PDFのアップの仕方がわからなかったので、
結局、またもやワードに落として
それをコピーして、読みやすいように開業する、、、という、何のための
自動ソフトかわからない話になってしまった。。。。

SDLに変換する際に
一応最初から見直したところ
ややひどい誤訳が散見され、それもあって、
全文一気にPDFかせめてワードで、提供したかったのだが。。。。
まあ、原著者の承諾も得いないで勝手にやっているので、
あんまり派手なことをやっちゃいけないよ、という
神様からのご指導かな、と思うことにした。。。。。

参考にしたい、という方には、何らかの形で(原著者に対する
権利侵害にならない範囲で)提供できればな、と
思っていないわけでもないのだが。。。

まあ、いいや。。。。



債務の重荷

 「双子の赤字」を批判する議論のうち、主要なものの一つは、
これにより債務が増加すれば、国民にとって重荷となる、という信念に
由来する。この信念は大部分、固定為替相場システムと変動相場システムとを
混乱している結果、生じたものである。
もし金本位制を採用している国なら、政府赤字とは
将来政府が金を支払う約束である――現実の「債務の重荷」である。ところが、
変動相場制の下での「法定」貨幣の場合、政府は
ただその債務に対し「法定」貨幣を支払うと約束しているだけである。
これは政府赤字が大きくなりすぎる――インフレ的になる――ことが
あり得ないといっているわけではない。通常の意味で政府に
「重荷」を課すわけではない、と言っているのである。さらに
赤字は現在のあるいは将来の納税者に「重荷」を課すこともない。
むしろ、先にも論じたとおり、赤字によって非政府部門(対外部門も含む)の
純貯蓄が可能になるのである。

 しばしば言われる別の主張によるなら、貿易赤字は
国民に債務を負わせ、これが国民にとって重荷になる――おそらく、
将来世代よって「支払われなければ」ならない重荷、ということで
あろう。この議論の問題は、分析が抽象的すぎるところから
始まっている点である。輸入が「資金繰り」される過程をもっと細かく、
外国製品・サービスを輸入しているのが政府か民間化を区別して、
検討する必要がある。


 国内通貨を使って運営されている変動相場制の主権国家では、
国家だけが租税負債を課す権力を有している。これは
主権権力の決定的な構成要素である――これだけが主権国家により行使される
唯一の権力というわけではないが。租税を課すことで国家は
直接国内の経済的資源をわがものにすることができる。すべての現代国家は
貨幣システムに大きく依存している。まず課税によって通貨に対する需要を
創り出す。そして通貨を発行することで必要な資源を購入する。主権国家内の
その他すべての経済主体が資源を得るためには、所得を使うか、
債務を発行するか、贈与(政府からの物も含む)に頼るか、
小規模生産活動(家内生産のようなもの)に従事するなど、しなければならない。
国家以外、いかなる経済主体も自分自身にとって最終決済手段を表す負債を
発行することはできない。

 合衆国の、主権国家ならざる消費者がトヨタの自動車を輸入するときは、
所得を手放すか、資産を売却するか、負債を発行することで
購入代金を調達する。日本の輸出者側では、合衆国の銀行に対する
ドル建ての債権を入手するが、おそらく日本で日本の銀行に対する円建ての債権へと
交換されることであろう。そして日本の銀行は、次には日銀でドル準備を円準備へと
交換するであろう(ただし、総計で日銀円準備[日銀当預]が増加するのは、
所要または望ましい準備の水準自体が増加した場合だけである――それ以外の場合、
BOJは相殺行動によって「不胎化」あるいは「アコモデーション」するであろう)。
または日本の銀行はドル準備を保有し続けるか、あるいは
合衆国国債――基本的には単なる利子付準備に過ぎないが――と
取り換えることもできる。万事が終わった時、アメリカ人消費者は新しい自動車を手に入れ、
代わりに自分の所得を使ったか、手持ち資産を売却したか、
債務の償還を約束した。エコノミストが言いたがる通りで、
個々の消費者にとってフリーランチはない――そして
貿易赤字は消費者の債務増加と結びついていることもあり得る。しかしながら、
アメリカ人が国内で生産されたものを購入するときでも、同じ結果になるのであり、
全く同じやり方で資金調達するのである――消費者の債務が増加しているかもしれない。

 これとは逆に合衆国政府がトヨタの自動車を輸入するとき、
これは実際に「無から何ものかを得る」ことができる――購入に際して発行された
ドル準備は最終的に日銀へと流れ着く。これは「ドル・ヘゲモニー」の
なせる業か?主権国家であればどこでも租税負債を課すことで「無から有を」得ているるのであり、
そして発行された通貨はこの租税負債を相殺するために用いられる。
これらの例で唯一の違いは、合衆国政府の得る製品が国外で作られたものであり、
これを生産した人々は合衆国政府の主権の下にはない、ということである――言い換えると、
合衆国の税制に服していない人々によって生産されたものである。しかしながら
どの国でも主権により課される税制に従うのを避けようとしながら、
こうした主権通貨を得るために自ら進んで自分たちの生産物を
差し出そうという人々がいるものだ。なぜか。租税を回避できず、
納付するためにその通貨を必要とし、そのため、その通貨を得るために
自分たちの生産物を提供しようという人たちがいるからである。合衆国の
ドルは合衆国の外でも価値を持つのは、合衆国内の納税者たちが
それを必要とするからである。といったからといって、合衆国の通貨が
納税のためだけに使われるとか、合衆国通貨や連銀の準備預金を保有する人たちが、
合衆国納税者が納税のためにハイパワード・マネーを必要とするということを意識している、
と言っているわけではない。ただ、分析上は、合衆国が課税権を持っているからこそ、
常に国内外で需要されているドル通貨や準備の発行が可能になるのだ、ということである。

シニョリッジとヘゲモニー・パワー 対 主権と変動相場制

 問題は、合衆国政府以外は、その課税制度に従う必要のない人々までもが
自ら進んで受け取る主権通貨を発行する能力はないのか、ということである。
明らかに、そんなことはない――変動相場制の下、国内通貨を発行しているすべての
主権国家は、合衆国政府が得ているのと同じ「シニョリッジ所得」とやらを
得ることができる。そして丁度合衆国でみられたのと同様、「シニョリッジ所得」を
得ることのできる能力とは、本当は内国通貨での租税を課す能力と結びついている――
国家だけがこの権力を持っているからである。たしかに、この点には論争の余地はない。
小国開放経済国の政府であっても、自国通貨で輸入品を購入することはできる。
それでもなお、次のような議論はあり得る。合衆国は他の国々より
はるかに多くの「シニョリッジ所得」を得ている。というのは、
合衆国経済規模に比較してのドル準備(国債含む)の比率は、
他の国で経済規模と国家債務を比較した場合に比べ、ほとんどの場合、
大きいのであるから。さて、ここでは国家による仕入れと国家以外の仕入を
区別しなくてはならない。「シニョリッジ所得」は純輸入総額にしばしば同一視されるが、
しかし先に示した通り、非国家部門の国民による輸入品の購入は、
それぞれの消費者に対しいかなる「フリーランチ」も与えてはいない。貿易赤字のうち、
国家部門の仕入によって生じた部分だけが、フリーランチそして
シニョリッジ所得を与えているといえるのだ。(ただし先に論じたとおり、
合衆国全体で見れば、少ない財・サービスを提供して大きな財・サービスを
受け取っているわけだから、「実物的な」意味で貿易赤字から利益を得ている。これは
すべての貿易赤字国に等しく真である。従って、たとえ民間の仕入が個人に
フリーランチを与えることはないとしても、貿易赤字全体を
国民的シニョリッジ所得の源泉とみなすこともできるだろう。)

 残された問題は、この結果が合衆国のヘゲモニー権力に由来するのか、
それとも他の国々が自縛的なルールを採用しているせいなのか、である。
ROWがドルを好むのは、おそらく一つには合衆国経済の
圧倒的な規模のせいである。しかしドル準備を保有したいという願望は、
合衆国が貿易赤字を維持しなければ(とりわけ現在のように合衆国の公的援助が
低水準な状況では)、満たすことができないだろう。翻って、
合衆国が貿易赤字を維持するには、ROWが全体として合衆国からモノを
買いたいと思う以上に合衆国に製品を売りたいと思っていることが必要になる。
世界の、ドル準備を蓄積したいという願望と、合衆国製品を消費したいという
願望の欠如とを所与とするなら、合衆国は「シニョリッジ所得」とやらを
刈り取ることを「強いられている」のである(念のため繰り返すが、
厳密な言い方をしておくと、すべての純輸入主体が純利益を
享受しているとはいっても、シニョリッジ所得を得ているのは
主権国家だけなのである)。もし、例えば日本やユーロ圏が自国(地域)経済を
大きく拡大しようとし、その結果、貿易黒字がなくなれば、これらの国・地域も
「シニョリッジ所得」とやらを刈り取るよう「強いられる」であろう――そして
合衆国の「シニョリッジ所得」は、おそらくそれらの国・地域への
輸出が増えると同時に減少するであろう。

 これに対する反論は、合衆国だけは長期的に貿易赤字を続けても為替レートが減価しない、
というものだ。なるほどそうかもしれない。しかし、これまた
「タンゴを踊るには二人が」必要なのである。世界中の国々がより多くのドル準備を
欲しがっている限り、ドルはたとえ合衆国が長期的に貿易赤字であり続けたとしても、
強いままであろう。現状、世界の大部分の国々で採用されている
「ゲームのルール」の下では、国民経済の成功は蓄積されたドル準備の量によって
はかられる――重商主義国家が金流入量によって成功を測ったのと同じである。
こうした行為は、固定為替レート体制では完全に正当化される。そしてこうした国々には
深刻な国内財政(そして貨幣)政策上の制約が生じる。ところが、
変動相場態勢諸国を分析するには、「パラダイム・シフト」が必要である。さらに
積み重なったエビデンスによって固定為替レート体制を維持するコスト――高失業率、
低経済成長、財施・為替政策制約――と、変動相場態勢の優位とが示されているのである。

(了)

まあ、特に最後の部分は、多くの人にとって
あまり釈然としない内容になっているのではないだろうか。
世界中の合衆国以外の国RPWがドルを資産としてほしがっている。
特に、そのうちいくつかの国では、ドルが準備通貨として用いられている。
それは、その国自身が、自ら、自縄自縛的に採用したルールなのだ。。。。。

本当にそういえるのだろうか。
国家が、国内居住者・企業に対して、政府の負債が債務ヒエラルキーの
最上位にある階層秩序を強制することができたのと同じく――まあ、
「同じく」ということはないかもしれないけれど、――
合衆国のドル債務を、国際的な「債務ヒエラルキー」の頂点に
位置づけることになった歴史的過程や
今なお続く、国際的な権力構造にまで
分析を推し進める必要があるのではないだろうか。

というのは、またそのうちの機会に。


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