断章、特に経済的なテーマ

暇つぶしに、徒然思うこと。
あと、書き癖をつけようということで。
とりあえず、日銀で公表されている資料を題材に。

"International Aspects of Current Monetary Policy" (2)

2016-06-26 00:13:57 | MMT & SFC
理由はたくさん挙げられる。中央銀行は翌日物金利を下げることができるだけで、
問題の長期金利を下げるのはもっと難しい。多くのエビデンスの示すところでは、
投資は金利に対して非弾力的である。下降局面では、
投資からの期待収益の下落幅は、市場金利の下落可能幅より大きくて急速である。

 住宅建設や耐久消費財に対する金利低下の効果に関するエビデンスは、
さらに決定的である。確かに
近年の合衆国におけるモーゲージ債の金利低下が借換えブームに拍車をかけ、
住宅リフォーム支出や消費財購入に油を注いでいることには間違いない。そして、
この効果は成り行きに任せれば、借り換え可能なすべてのモーゲージが借換えされるまで、
続くに違いない。それ以上に記憶されるべきは、あらゆる金利が支払われるその反対側では、
金利が受け取られているということである。金利低下によって金利所得が減少する。
一般的に、債務者は債権者より支出性向が高いこととされており、それ故、
金利低下は正の効果を持つと想定されている。しかし高齢化社会では
「金貸し」階級の大きな層が退職者であり、多少なりとも金利所得で生活している。
この事実は上記の限界性向をひっくり返しかねない。

 さらに重要なことであるが、もし国民政府債務が残存債務残高の大きな割合を占めるような場合、
政府債務のGDP比率が十分に大きいと、金利低下の純効果は
デフレ的なものになり得る。その理由は、政府から提供される金利所得が減少すると、
金利低下によって民間借入が刺激される以上に民間支出を減少させる可能性もあるからである。
要するに中央銀行はデフレと闘うために翌日物金利目標を引き下げることはできるであろうが、
それが大きな効果を持つかどうかははっきりしない。

財政赤字のマネタイゼーション

 広く信じられていることとして、政府には予算制約というものがあって、
それによると支出は租税、借入(国債発行)、あるいは「貨幣発行」によって
「資金調達」されなくてはならない。現代の大部分の経済学では、
財務省が直接「貨幣発行」することを実質的に禁じ手としているので、この最後の選択肢は
中央銀行による共謀という形でのみ可能となる――中央銀行が政府債を買い「金を刷る」ことで
財政支出に資金提供するのなら可能というわけだ。

 実際には、変動相場制の下では、政府が支出するときには銀行勘定に貸方記入[振込]される。
納税は銀行勘定の借方記入[銀行勘定からの引き落とし]である。オペレーション面でいうなら、
政府の支払先は、銀行システムの負債[預金]を受け取ったのであり、銀行は、
中央銀行負債[預金]という形態で準備を受け取っている(当面、預金――準備――からの現金の漏出は無視する。
これは単純化のためであって、実質的な違いはない)。同時に、多数のエコノミストが
中央銀行と財務省の間の調整行動にひどい混乱があることに気が付いている。ここではこうした問題については
ほとんど扱うわけにはいかないが、
ただ財務省による赤字支出が銀行システムの準備に純増をもたらすというロジック、
およびそうした財政赤字支出が巨額であることを指摘して先へ進むもう(Bell 2000, Bell and Wray 2003,
Wray 2003/4 参照)。

 もしこうした準備預金の純増によって超過準備ポジションとなるなら、
翌日物市場では過剰な準備を運用しようとする銀行の入札によって金利が引き下げられるであろう。
中央銀行がゼロ金利目標でオペレーションしているのでない限り、
翌日物金利の下落によって公開市場での国債売却による超過準備吸収ぺレーションの引き金が引かれる。
日中ベースでは中央銀行の介入は財政政策によって翌日物金利が目標から乖離しそうになるとき、
この望ましからざる財政支出のインパクトを相殺するために行われる。
もし財政が黒字であれば、このオペレーションは逆になる。つまり銀行システムの準備が純減少となるので、
翌日物金利に上昇圧力がかかる――そして公開市場での買いオペによって復帰する。仮に
財政政策が赤字(黒字)基調のまま[国債も発行しないで]持続可能ということがあるとすると、
中央銀行補法では、売るべき国債の品切れ(または黒字の場合では、中央銀行が国債を過剰に抱え込むことになるが、
それを財務省の預金によってバランスシート上で相殺するにしても、
オペレーションの限界を超える)ことになるであろう。この様に、
中央銀行と財務省の間で政策の調整が行われることによって、財政が赤字に転じた時には
確実に新規国債の発行(または、黒字の時には既発債の償還)を始められるようになっているのである。
繰り返すが、この分析をもっとそれらしく複雑にすることはできるが、それはここでの重要事ではない。
万事終了した段階では赤字予算によって超過準備が発生すると、中央銀行が(公開市場で)売りオペを行い、
財務省が新規発行することで超過準備をすべて吸収してしまう。黒字予算の場合には、
銀行システム内に準備不足が生じるので、反対のことが行なわれる。

従って、国債の販売(および購入)の引き金を財務省や中央銀行が引くのは、
究極的には銀行システムの保有する準備が望ましい(または必要な)ポジションから乖離し、
そのせいで翌日物金利が目標(ゼロ以上として)から外れてしまう時である。
中央銀行または財務省による国債販売については、
中央銀行が目標金利を達成することを可能ならしめるべく設計された貨幣政策の一般とみなすのが
適切なのである。この目標は中央銀行によって外生的に「管理されて」いる。当然のことながら、
中央銀行が金利目標を設定しているのは、様々な政策目標を含む一連の経済諸変数に対する
この金利の影響力を信じてのことである。言い換えると、この金利を「外生的に」設定しているからといって、
自分たちが支配していることと信じている政治経済的制約(そうした制約あるいは関係性取ったものが
現実に存在しているかどうかというおはまた別問題である)を意識していない、という意味ではない。

結論とすると、「政府予算制約」という認識を使うことができるのは事後的にのみであって、
つまり、財政収支報告書上に載るだけの物であって、経済的制約としては何ら重要性を持っていない。
すべてが終わった後では、確かに何らかの政府支出の増加があるときには、
租税の増加、ハイ・パワード・マネー(準備および現金)の増加、ソブリン債の増加のいずれかあるいは
その合計と一致する。しかしこれは租税あるいは債務が実際によって政府債務が「資金調達」されている、
ということを意味しない。政府は支出の変化と税収の変化の関係を定めた規定(例えば均衡財政といった)を
作成することもできるであろう。例えば、国債は、実際に赤字支出が行われる前に発行されなければならない、
という規則。財務省は、小切手を振出す前に「銀行にお金」(中央銀行預金)を持っていなければならない、
という規則。こうした規定のため、政府の、支出を望ましい水準に引き上げる能力は、
縛られるかもしれない。こうした規定が「正しく」かつ「正当で」あり、さらには「必要だ」という信念のせいで、
政治的には人気があり、なかなか覆えせないということもあり得る。しかしながら、
適切に経済プロセスを分析すれば、こうした規定は自縄自縛的なものであり、経済的必然性は
ない――政治的にはごく必然なのかもしれないが――とわかる。経済分析という有利な立場から見ると、
政府の支出は中央銀行の民間銀行勘定に貸方記入しているだけであり、
銀行システムに準備を供給しているだけなのである。幾つものオペレーション上の段取りをとることによって
一つのシステムの内部であっても
財務省と中央銀行の間で厳密に責任の分担ができるようになっている。例えば、合衆国では
財務省が小切手を振出すことで支出が常に可能なのだが、その手続きは、かなり複雑なものである。
財務省の小切手は決して「不渡」にはならない。赤字支出は銀行システム内の準備の純増となる。
超過準備は財務省による国債新規発行およびFedによる売りオペレーションによって吸収される。
インターバンク市場の翌日物金利が比較的安定しているという事実――たとえ財務省の予算ポジションのほうは
激しく変動しているときでも――は、これらすべてのオペレーションが全く滞りなく行われていることの
証拠である。仮にこのオペレーションの中に大きなごたつきがあれば、FFレートは不安定になるはずだ。

中央銀行の不胎化政策

 通貨、準備、そして金融取引の国際的「フロー」を巡っては、かなりの混乱がある。その多くは
変動相場制と固定相場制との間に誤った区別を立てていることに由来している。一例を挙げると、
合衆国は「外国貯蓄」を必要としている。何故なら「分をわきまえない生活水準」をしている
「合衆国の放蕩な消費者」のせいで発生した長期的貿易赤字の「資金調達」を
しなければならないからである。この種の命題は
変動相場制を採用している主権通貨国には全く意味をなさない。合衆国のような国では
経済全体を見渡せる立場から考えてみると、貿易赤字とは、その他世界各国(ROW)がドル資産という形態での
純貯蓄を欲していることの結果なのである。ROWの合衆国に対する輸出とは、ROWの市民に、
ドル建て資産を蓄積するという「便益」を獲得するために課された「コスト」が反映されたものなのである。
アメリカ全体をひとまとまりとして考えると、貿易赤字の「純便益」とは、国民が享受している純輸入品である。
旧弊な見方とは反対で、合衆国の貿易赤字はROWの純ドル資産を「融通している」、と考えるほうが
物事がはっきり見えるのである――ROWによって合衆国の貿易赤字が「融通されている」と考えるよりも。
ROWがドル建て資産はもう十分だと判断することがあればそのときには合衆国の貿易赤字も消えることだろう。
時にはこんな議論もある。合衆国の資本収支が黒字の間は、
ドルの「流入」があり、それが民間銀行の準備を増やし、そしてそれが「貨幣乗数」を通じて
貸付-預金プロセスの拡張へとつながることができている。ただし、
Fedがこのインフローを公開市場での売りオペにより「不胎化」してしまえば、
この拡張利益はなくなってしまう。したがって、合衆国がこの刺激効果を享受するためには、
中央銀行がこの不胎化をしないと納得していることが必要になる。

 先の分析で明らかだと思うが、不胎化は、中央銀行の裁量的活動ではない。
まず理解しなければならないことは、貿易赤字とは大部分、ドル預金の所有権を国内居住者名義の口座から
非居住者の口座に移すということである点だ。合衆国の支店の口座から同じ銀行の在外支店の口座に
送金されるようなケースでは、準備が銀行を動くことすらないこともある。
準備が動く場合でも、Fedがある銀行の口座から引き落とし、他の銀行へ振り込むことを意味するに過ぎない。
このオペレーションは経常収支の赤字、資本収支の黒字として記帳されるだろう。
もし財務省なり中央銀行の行動によって超過準備が保有されるなら(支店の国内外を問わず)、
その保有者は利殖のあるドル建て資産――おそらくは合衆国の国債――を求めるであろう。
合衆国の債券ディーラーなり銀行なりは、国債を
Fedの準備預金と交換するであろう。もしこのオペレーションの結果、
ドル建て超過準備が生みだされれば、合衆国の翌日物インターバンク貸出金利に下方圧力がかかるであろう。
上記の分析から明らかであろうが、こうしたことがあれば中央銀行が公開市場で
売りオペレーションを実行し、超過準備を吸収するであろう。中央銀行が翌日物金利を正に
保とうとしている限り、この「不胎化」は裁量の範囲ではない。逆にもし
国際的なオペレーションによってドル準備の不足ポジションという結果になるなら、
Fedは公開市場にて買いオペをし準備を注入し、翌日物金利が目標を上回る恐れを引き起こす金利上昇圧力を取り除くであろう。

双子の赤字と外国為替レート

1980年代半ば、合衆国連邦予算赤字を貿易赤字の原因とする議論があった。
赤字予算から貿易赤字への波及メカニズムとして想定されていたのは、金利とドル高である。
まず、政府による借り入れは国内貯蓄を「吸い上げる」ことで内国金利を引き上げる。金利上昇によって、
外国のドル需要が高まり、そのためドルが高くなり貿易赤字が発生した。さらに、
貿易赤字と予算赤字の資金調達をするのに必要な「資本流入」を維持するため、高金利を維持することが必要となり、
そしてそれが長期的な経済成長を抑制した。ここでも再び、前節で展開した議論を理解していれば、
こうした主張を批判的に検討することができるであろう。第一に、財政赤字は民間貯蓄を「吸収」などしないし、
金利に上昇圧力を加えることもない(そして民間支出をクラウディング・アウトすることもない)。
実際には、中央銀行の介入がなかったとしたら(超過準備が放置されたら)財政赤字は翌日物金利に
下げ圧力を生じさせることになるだろう。というのは銀行部門勘定に準備が純額で
振り込まれることになるためである。すでに論じたとおり、変動相場制を採用している主権国家は実際には
「借入」に頼ってはいないし、それゆえ赤字支出の際に民間貯蓄を吸収することなど
不可能なのである。むしろ、赤字によって非政府部門で正の純貯蓄が可能になるのである。

 これは第一には銀行部門勘定に準備が振り込まれるのだが、
次に国債が売却されて超過準備が吸収される(公開市場でFedが売りオペするか、
財務省が発行市場で新規に発行するか)。もし
赤字予算の結果として翌日物金利が上昇するようなことがあるとしたら、
それは中央銀行が翌日物金利目標を引き上げると決定した場合である――財政赤字に対する
特に珍しい反応というわけではなく、裁量の範囲である。

 第二に、赤字予算が内国通貨に対する外国為替の価値にどのような影響を与えるのかは、
明瞭だとは言い難い。もし財政赤字によって国内経済がROWより早く成長することが可能になるなら、
貿易赤字が発生し、為替レートが切り下げられることもあり得る。(Thirlwall の法則によるなら、
価格弾力性が十分に小さく代替効果は無視できる場合、ある国の成長率と世界の他の国々の成長率の比率が、
その国の需要の所得弾力性と他の国々の需要の所得弾力性より高いとき、
必ず国際収支赤字が発生する。Davidson, 1994参照)ところがこうしたことが起こるか否かは、
ドル建て資産に対する関連諸外国の需要に依存する。ここで期待が一つの役割を果たす。もし、
財政赤字のせいで中央銀行が金利を引き上げざるを得なくなると信じられていれば、
通貨価値は中央銀行の将来の行動に対する予想を見越して上昇するであろう。注意してほしいが、為替レートは中央銀行の
金利目標によって、あるいは財政赤字によって、あるいは貿易収支赤字によって影響を受けると広く信じられているが、
そのようなことを支持するエビデンスはほとんど存在しない。実際、日本円は実質的にかなりの長期にわたり、
ゼロ金利であり、かつ貿易収支は黒字、財政は赤字であるが、上がったり下がったりであり、
他方でアメリカドルは財政黒字の時に上昇し、財政が赤字へと急激に転換したときに下落した――この間、
常に貿易収支は赤字であり、これは財政収支のようには全く変動しなかった。

 財政赤字から貿易赤字へと波及する経路は、まず財政が弛緩し、
それが経済成長へ正の影響となり、そして貿易収支へつながったというのがもっともありそうである。
たとえ貿易赤字を「悪い」と信じている人でも、貿易赤字を避けるために財政赤字と経済成長を避けるべきだと
主張しているわけでは必ずしもあるまい。それどころか、貿易赤字を、国内経済にとって
「よい」と考えている人であれば、政治が貿易赤字を避ける方向へギアを入れるべきとする議論は
とても受け入れ難くなるだろう。最後に、貿易赤字というものはROWが純輸入国の通貨建て資産形態での
純貯蓄を望んだ結果なのだ、ということを理解する人は、
貿易赤字の「資金調達」に対して異なった見方をとるであろう。この場合、
財政赤字を避けること、国内金利を高く維持すること、あるいは
為替レートを高く維持すること、これらすべて貿易赤字を「国外から調達資金」を
惹きつけるためのことは、全く必要ではない。むしろ
貿易赤字はドル資産を貯蓄したいというROWの願望を「資金提供」するメカニズムとみなされるべきなのである。


この様に「双子の赤字」には一定のつながりがあるのだが、
しかし両者の間が常にこうして結びついているわけではない。政府予算赤字が生じるのは、
非政府部門が国債(広い意味での国の債務で、有利子短期証券、通常の国債、無利子の通貨、
準備預金も含む)の形態による純貯蓄を望むためである。経常収支赤字が発生するのはROWが
ドル国債などドル建て資産による純貯蓄を求めているからである。非政府部門及びROW部門の
こうした純貯蓄によって、政府赤字、貿易赤字が「資金調達」されているという通念は
因果関係を混乱して把握しているのである。

 近年、ドル崩壊の可能性を巡る論考が豊富にあるが、いずれも長期的な、というか、
拡大しつつある合衆国貿易赤字に端を発するものだ。崩壊はしそうにもない。世界中の国々が
合衆国のことを超過生産物の主要市場とみなしている。数多くの国がドルをベースにした
カレンシー・ボード制やドルペッグ為替制度を採用している。こうした国々のドル需要は、
自国通貨の準備として、ほぼ無限である。世界中の民間、あるいは公共部門で、
ポートフォーリオにはかなりのドル資産が組み込まれている。民間または公共の債務者は
ドルによる契約上のコミットメントを負っている。突然世界中でドルが売られ崩壊すると論じている人たちは、
こうした要素を考慮していないようだ。勿論、こういったからといって、ドルが他国の通貨に比べ
減価することがあり得ない、と言っているわけではない――つい最近まで生じていたし、
それが変動相場制というものなのである。

小国開放経済

 これは多分、多くのエコノミストにとって対立する論点ではあるまい。合衆国は
「特例」であって、同じように扱えるハードカレンシーは多分五指に余るであろう。
世界のその他の変動通貨はどうなのか。オーストラリアやカナダといった小国開放経済では、
政府予算や貿易収支をきちんと管理して、自国通貨の価値を守ることが絶対に必要なのではないか。
貿易赤字や財政収支が通貨価値に影響がある、というのはおそらくその通りである。それに比べると、
貨幣当局による金利目標操作が為替レートに与える影響が予測可能であるという説のほうは、
さほど明瞭ではない。財政・貿易赤字によって通貨価値が引き下げらるのが確実だとすれば、
問題はこれが避けられるべきことなのかどうかである。思い出してほしいが、
上記のとおり貿易赤字というのはROWがその国の通貨資産による純貯蓄を欲した結果であって、
輸入国にとって輸入を享受するための本当の国民的コストとは輸出なのである。貿易赤字が増加するとき、
輸入単位当たりの実物コストは、ROWによって要求されている輸入単位当たりの輸出が減っている、
という意味では低下しているのである。たとえその結果通貨価値が下落しようと、
実物的な純便益は増加している。通貨価値下落によって個別経済、部門経済に実質費用、
金融費用が課されることを否定しているわけではない。こうした個別、部門費用を補償するため、
国内政策を使うことができるし、おそらく使うべきであろう。しかし通貨価値下落を防ぐために
貿易赤字を避ける政策を用いることは、実物的な純利益を放棄することを意味している。

 最悪のケースを考えよう――小国開放経済で、Thirlwallの法則に従っており、
かつ、マーシャル・ラーナー条件が満たされないケースである。言い換えると、
その国の輸入に対する価格弾力性が極端に低く、ROWのその国輸出品の需要の価格弾力性との和が
1より小さい場合である。(Davidson, 1994) それに加えて、
その国の輸入品に対する所得弾力性は十分高く、成長率が実際にROWの成長率を下回らない限り、
貿易収支は赤字になる。さらにその国は国際市場において需要者としても供給者としても
プライステイカ―であり、その意思決定により国債価格が影響されることはないものとする。最後に、
貿易赤字によってその国の通貨価値は下落する――しかし、価格弾力性の条件により、
この減価によっては貿易赤字が一掃されることはない。

 この国が成長し始めると同時に、貿易不均衡が生じる。その通貨が減価する前には、
交易条件の改善を享受できる――輸出が増加することなく輸入が増えるのだから。通貨価値が下落すると、
その国の通貨価値でみた輸入品価格が上昇する。(これは国内通貨建ての貿易赤字に対する
追加的影響を及ぼすだろう。そしてそれが仮定上、さらに減価を引き起こすのである。)加えて
競争市場を仮定すれば、その国輸出品目の国内価格はその国通貨建てで上昇するであろう。ところが
輸出入品の外貨建て価格には変化がない。定義上、輸入品の国内通貨価格が上昇しても、
輸入品の購入には変化がなく、輸出は外国通貨建ての価格に変化がないのだから、変化しない。従って、
通貨価値下落は交易条件改善に直接関わっているわけではない。輸出品目の国内価格が上昇することで
国内の購買が減少するなら、より多くが輸出可能になるだろう――これが貿易赤字を減らし、
幾分交易条件を悪化させるであろう。しかしながら、万事が終わった時、その国は経済成長と
交易条件の改善を経験していることであろう(そうでないとしたら、通貨価値下落もなかったはずである)。他方、
通貨価値下落のせいで輸入品価格は上昇し、それは直接に輸出品目の国内価格を上昇させるであろう。
そうなればこれは、国内経済全体にわたり更なる価格効果を波及させることもあろう。
貿易赤字、経済成長、交易条件改善の「費用」
は、消費財バスケット内のいくつかの商品価格を引き上げることである。
勿論、貿易赤字を「資金調達」する費用を指摘する人も多かろうし、
対外債務増加の「重荷」の問題もある――これが次の節で扱われる。



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