ワニなつノート

「かんじんなことは目にはみえない」 (NO 03)


《びどうだにしない》


「この世界は 無条件に、この子を 受け入れて くれるだろうか?」

家族は生まれたときから受け入れてきた
おばあちゃんもおじいちゃんも、この子を大切に思っていてくれる
きょうだいにとっては、受け入れるもなにも、この子がいるのが世界そのものだった…
わたしの友だちもこの子をかわいがってくれる
幼稚園の先生やお友だちにも恵まれてきた

では、その不安はどこから?

「世界はこの子を受け入れてくれるのか?」
「世界はこの子を大切に思ってくれるのか?」


その不安が心にとりつくのはどうしてなのか?

わたしはこの子のなにが心配なんだろう?
わたしはこの世界のなにが不安なんだろう?


「この子にはこの子のための学校がある」

「この子には他の子どもとは別のしあわせがある」

それは、無条件に他の子どもたちとおなじ子どもだとは、受けとめられない子どもということ?

そんなことはない。
わたしにとっては、この子はかけがえのない、
世界でたったひとりの大切な子ども。

他の子どもとなにが違う?

他のきょうだいとなにが違う?

しゃべれない?
歩けない?
読めない?
書かない?

それでも、この子はここにいる
この子はこの世界のまんなかにいる。

歩けなくても、しゃべらなくても、
息することが一人じゃ難しいとしても、
それでもこの子がここにいる確かさは
0,1ミリも微動だにしない。

びどうだにしない。



「世界はこの子を受け入れてくれるのか?」

「世界はこの子を大切に思ってくれるのか?」


「分けられた場所でなら受け入れてあげる、
この子にあった場所でなら受け入れてあげる、
この子にあった場所でなら大切にしてあげる、
みんなの迷惑にならないこの場所でなら、大事に教育してあげる。」

それは、答えにならない。

「母親が一緒なら、受け入れてあげる」

それも、答えにはならない


それは問いと不安を18歳まで先延ばしするだけ

そして、問と不安を18歳のこの子一人に背負わせてしまう


この子に背負わせる新たな問い。

「世界はわたしを受け入れてくれるか?」

「わたしは、世界に所属しているのか?」


世界が受け入れてくれなければ、
親は死ぬまでこの子の手を繋ぎ続けるしかないのだろうか。


不安はだれのもの?
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