ワニなつノート

『母よ!殺すな』を読む (3)




「人並みを目指すな」と横塚さんは言う。
「健常者と同じことをしようとするな」、と言う。

初めてこの本を読んだ19才のころは、
実際に障害をもつ子どもと付き合ったこともなく、
大人の障害者の知り合いも、一人もいなかった。
だから、横塚さんの言葉をそのまま受け取ってきた。

最近、復刊されたのをきっかけに読みかえして、
ふと思った。

私が出会ってきた子どもたちが、
知ちゃんやリサや秀和が高校を目指し、
0点でも高校へとやってきたことは、
「人並みを目指す」ではなかったよな、と。

横塚さんの時代と変らない差別は今もあふれているが、
違うこともある。

それは、この子たちは、小さいときから「人並み」だったのだ。
できないことだらけのままで、ありのままで、
幼稚園に行き、
地域の普通学級に通い、
地域の中学校に通い、
地域の仲間と15年間を過ごした。
(そのために、たくさんの差別を乗り越えてのことなのは
もちろんだが、それは別の機会に)

社会の障害者への扱いは、
今も横塚さんの時代とほとんど変らない。
駅のエレベーターの数が増えたが、
障害者への偏見も差別も変わってはいない。

ただし、この子たちの同級生の、
この子たちへの感覚は確実に違う。
その子たちは、「0点でも高校へ」という言葉を知らなくても、
朝子やリサや秀和が高校になることに不思議を感じない。

浪人していることを聞けば、
「がんばって、来年は高校生になってね」という言葉が
普通に返ってくる。

浪人したって、字も書かないだろうし、
言葉もしゃべらないことは百も承知の上でだ。
考えてみれば、何をがんばれというのか不明だが、
そんな論理を超えた、当たり前の感覚がそこにはある。

それこそが、同世代の中では、人並みに育ってきた証だ。
そこまで含めた当たり前を感じる同級生を15年かけて手に入れたのだ。
人並みの15歳なのだ。
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