ワニなつノート

白雪姫と銀行強盗と小人プロレス(2)


白雪姫と銀行強盗と小人プロレス(2)


「小人症」という言葉は知っていました。
でも、石川先生の話で聞いたくらいで、
自分でちゃんと考えたことはありませんでした。

「小人症にもいろいろな種類があり、下垂体性、原発性、
ダウン症候群、クレチン病、ターナー症候群、軟骨異栄養症、
思春期遅発症、正常低身長、甲状腺性、性成熟、
副腎皮質ホルモン過剰、精神社会性、種種の奇形などがある」



だから、この部分を読んで、自分の不覚に驚きました。
「ちゃんと考えたことがない」と思っていた中に、
「ダウン症」が含まれていたからです。
すぐに、何人かの顔が浮かびました。

子どもとつきあってきたから、意識してこなかったのですが、
大人になっても「小さい」ままの人はいて、
でも、それは「ダウン症」だから、「障害」だからと、
ただそれで通り過ぎていたのでした。

私の頭の中にある「小人症」の人というのは、
小人プロレスの人や白木みのるのような
固定したイメージがあったのだと気づきました。
そして、そうした人たちへの差別と、苦労の中身を
まったく知らずにいたのでした。

小人プロレスがテレビ中継できなかったのは、
「小人症」の人がテレビに出ると、
視聴者や身体障害者の団体に投書でたたかれるからでした。
「あんな身体を見世物にして」と。

いまでも、日本のテレビは、そのままの姿、素顔では
放送しないのだそうです。
全身を写さず、上半身だけとかでごまかそうとするのだと。

「映画には出れるけど、テレビには出れないですから」

「もっと出れる機会があれば、
いろんなことが生まれてくると思うけど、
なんで小さいからダメっていうのかわからない。
車椅子の人とかいろんな障害者の人出てるじゃない。
あの人たち出して、俺たちは出さないっているの
おかしいんじゃない」


そうした現実を、私はまったく知らないできました。

体を壊して引退した、元プロレスラーの人が言います。

「自分で自分を小人だと意識したのは、
小学校へあがる前ぐらいだったかなァ。

僕の家は、本当に田舎なんですョ。
隣の家まで二百メートルぐらいある所だったから。
それがはじめて天草で大きな市の本渡市に行って、
ショーウインドーを見たんですヨネ。

頭の中がガーンとしてネ。
そこに人と違う自分の恰好が映っている。

あれを見た時はショックでしたヨネ。
ガーンというより、もっとすごかったかなァ……。
生きているのがイヤだなァと思いましたヨネ。
その衝撃といったら……、
人にはわからないなァ、
言ってもわからないなァ……。
親爺なんかは明治の人間だけど、180ぐらいあってネ、
兄弟も3人兄弟だけど、みな身体は大きかったですヨ」

「小人だということによって、差別されいじめられたことは、
そりゃ、数えきれないですヨ。
エヘヘヘッ。そりゃ、物心ついた頃からあるでしょ。」


「世の中でわからないのはね、なぜ俺が、
小人になったんだっていうことですね。……
わからないことだなァ……。

何か、自分自身が、小人であることに不都合がある、
あるいはあったとは思わないし、思いたくはないけど。

やはり、地球上に何十億人といるわけで、
その中でなぜ俺が小人にならなければならなかったのかと。

なぜそう考えるのかっていうと、
それは今まで生きてきた中で、
小人という存在の辛さを身を持って感じるからだと思うなァ。

生きていく中で何が一番辛いと感じるかいったら、
何が小人であるという存在を強く意識し、
自分が嫌だなと感じるとしたら、
それは人の目ですよ。

それ以外なんにもないの。

自分がちっちゃかろうが、
手が届かなかろうが、
醜かろうが、
自分自身の不自由さじゃないんですよね。

人から蔑まれる目。

たとえば、脚を延長する手術があるんですけど、
小人症の子どもは、脚が短いということで
不自由してはいないんです。

ただ脚が少し長くなれば、そういった他人からの目が
なくなるんじゃないかと考える親がいるだけなんです。
そういった人の目から逃れたい……。

そうたった目、そういった環境が周りにあるから、
こういうことを考えるのかなァ。

自分自身にとって自分は不自由じゃない。

けれど社会における自分は
不自由な面が見えるっていうことかなァ……。」



長い引用になりました。
でも、なんと言ってもDVD付きの
366ページもある本だから。

ここには、わたしが今までに聞いてきた
「障害」の当事者と同じ言葉、同じ苦労があります。
『自分自身にとって自分は不自由じゃない。』

その本人が「不自由」ではないということを、
周りが「一番の不自由」のように押し付けるのか。
そのことこそが、本人を一番生き苦しくさせるのに。

ここでも、わたしはすぐに「みつこさんの右手」の
話を思い出しました。
4歳のときのやけどで燃えてしまった指を隠すために、
母親が編んでくれたミトンの手袋。


この本には、少しだけ「小人症の子どもをもつ親の会」の
ことも触れられています。
そのなかの言葉を、一つだけ紹介します。

「夏に親の会でキャンプへ行くとですネ、
下垂体性の子も、軟骨異栄養症の子も、
みんな一緒に歩いたり遊んだりしますネ。

すると、下垂体性の子をもつ親の方に、
軟骨異栄養症の子を見て、
『かなわんわァ、あの子らと同じに見られるのは』って、
おっしゃる方がいるわけです。
こういう考えが一番困ります……」



あらためて思います。
子どもたちの苦労。
障害をもつふつうの子どもたちの苦労は、
『自分自身にとって自分は不自由じゃない』
ということを、親や周りの人が分かってくれないことだと。


『自分自身にとって自分は不自由じゃない。』
『自分自身にとって自分は不自由じゃない。』

『自分自身にとって自分は不自由じゃない。』
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