ワニなつノート

ためらうことなく受け入れる子どもたちとは



私たちの社会が
ためらうことなく受け入れる子どもたちとは誰か




「いのちを選ぶ社会」を読み終えました。
集会の報告集を作らなきゃいけないから、やっぱり今は読まなきゃよかったかも…と思ってもあとの祭り。

またどれも中途半端になるかもしれないけど、やっぱり気になることをメモしておきます。

私が気になるのは、「出生前診断」と同時に、やはり「特別支援教育」です。

結論からいうと、この二つを「選ばされる状況」が、私には同じものと感じます。

「出生前診断」は、生まれる前に、社会の大多数の人から見えないように隠され、いなかったことにされ、文字通り消されてしまいます。

個々の教育実践とは関係なく)制度としての「特別支援教育」もまた、社会の大多数の人は中身を知らず、(早期療育&特別支援教育)、普通学級・普通高校・大学という大多数の子どもが大人になる過程で、見えないように隠され、いなかったことにされています。


『…19年前の健志さんたちの取材で私は印象的な言葉に出会っている。それは「この子たちにはテストが2回ある」という言葉だ。
当時、私は小学校に上がるときの「就学時健診」で障害のある子どもたちが養護学校を勧められることについて取材していた。……その取材をしているとき、「もう一つのテスト」と母たちが言っていたのが、当時広がりはじめていた出生前診断である。
地域の学校に行く関門の前に、生まれてくること自体に関門ができる、と母たちは話していた。「出生前診断」という言葉を聞いたのは、このときが初めてだったように思う。』

(「いのちを選ぶ社会」板井律子 P242~)


「いのちを選ぶ社会」のなかで触れられているのは、この部分だけです。
私には、このこだわりの少なさが意外でした。


「医師は検査を提案する立場であり、強制することはありません。受けるか受けないかはカップルが決めるのです。…」という言葉に代表されるように、「妊婦の自己決定」だから優生思想ではないし、「妊婦の知る権利」のためにと、出生前診断は広がる一方です。

でも、その「妊婦」が「自己決定」をするもとになる文化と経験のなかで、「子ども時代の教育体験、学校体験」はかなりの比重を占めると思うのです。

             ◇

出生前診断も、特別支援教育も、親の「自己決定」として語られています。
そして、「親」が「自己決定」すればするほど、子どもは分けられ、ダウン症の子どもたちは生まれてこないようになっています。

その状況は、次の言葉が当てはまると私は思います。

「…これらの選択をする本人たちは、優生学のレッテルを貼られることをいやがるであろうが、大半の家族が同じ選択をしてしまえば、全体がもたらす結果は、優生学である。」
(同書:P114)

「気づかぬうちに、私たちは個人医療を離れ、集団医療を行っているのである。
…それは、子どもにふたつのカテゴリーがあることを認めることにならないか。
つまり抹殺可能なダウン症の子どもたちと、私たちの社会がためらうことなく受け入れる子どもたちと」

(同書:P121)


               ◇

強制ではない、差別ではない、隔離ではない、あくまで「個のニーズにあった教育」、「その子の幸せのための教育」だと信じ、多くの親が「自己決定」してきた、その根拠にある「集団的体験」は、どんなものであったか。

1961年に文部省は次のように言いました。

【 第1章 特殊教育の使命】
「…この、五十人の普通の学級の中に、強度の弱視や難聴や、さらに精神薄弱や肢体不自由の児童・生徒が交わり合って編入されているとしたら、はたして一人の教師によるじゅうぶんな指導が行われ得るものでしょうか。

特殊な児童・生徒に対してはもちろん、学級内で大多数を占める心身に異常のない児童・生徒の教育そのものが、大きな障害を受けずにはいられません。

五十人の普通学級の学級運営を、できるだけ完全に行うためにもその中から、例外的な心身の故障者は除いて、これらとは別に、それぞれの故障に応じた適切な教育を行う場所を用意する必要があるのです。】

(「わが国の特殊教育」より)

たとえば、1965年、兵庫県知事は次のような詩?を発表しています。


        ◇

しあわせを求めて
    兵庫県知事 金井元彦(署名は本人の直筆)

ひとりで 食べることも
歩くこともできない
しあわせうすい子どもが
さみしく 毎日を送っています


「不幸な子どもだけは生まれないでほしい」
母親の素ぼくな祈り
それはしあわせを求める
みんなの願いでもあるのです


あすの明るい暮らしを創造するために
「不幸な子どもの生まれない施策」を
みんなで真剣に
進めてまいりましょう。


(「いのちを選ぶ社会」P178)

             ◇


1970年、兵庫県には「不幸な子どもの生まれない対策室」が県庁に設置され、妊婦に「あなたのために」というパンフレットが配布されたそうです。


「…このような子供が生まれるか、生まれないかは、妊娠している母親のお腹から羊水をとって調べることができるようになりました。これを“胎児診断”と呼んでいます」

(「いのちを選ぶ社会」P180)


           ◇

さらには、「子どもを産む妊婦には、自分たちの行動がその(人類の)危機を招きかねないという「人類に対する責任感を持たせる必要」があり、「だから教育が必要なのだが、その方法としてこの「不幸な子ども」という施策は効果的だ」とあります。

『不幸な子供の生まれない運動は、全ての母親が妊娠すると異常児への恐怖を持ち「五体満足」を本能的に祈念するだけに、指導が受け入れやすい』
(「いのちを選ぶ社会」P183)


1970年、まだ養護学校義務化は遠く、多くの障害児は「就学猶予・免除」という形で、分けられ、嫌われ、差別されることで、「不幸な子ども」という印象は植え付けられ続けてきました。

その後、養護学校が全国につくられ、「就学猶予・免除」で、学校と在宅に分けられていた子どもはたちは、「普通学級」と「特殊教育の場」に分けられるようになり、「特別支援教育の場」に分けられ続けています。

いまは文部科学省も、表向きは「保護者の意向の最大限尊重」というようになりました。
でも、その結果、特別支援教育を受ける子どもの数は倍増しているのです。

「…これらの選択をする本人たちは、隔離・分離のレッテルを貼られることをいやがるであろうが、大半の家族が同じ選択をしてしまえば、全体がもたらす結果は、隔離である。」(yo)

「気づかぬうちに、私たちは「個人」にあった教育を離れ、集団からの隔離教育を行っているのである。
…それは、子どもにふたつのカテゴリーがあることを認めることにならないか。
つまり普通学級にいては困る子どもたちと、私たちの社会がためらうことなく受け入れる子どもたちと」(yo)

           ◇


地域の学校で、みんなと一緒に学び遊び育ちあおう、という運動は、
「すべての子どもを、ためらうことなく受け入れる社会」をつくろうという運動なのだと私は思います。

(かなり急いでメモしました。少し不親切な書き方かもしれません。でも、私の思考の回路はこんな感じです。近いうちに、ていねいに書き直してみたいと思います。)
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