ワニなつノート

エピソード R1

前回、ホームのことを書いたので、ついでにエピソードシリーズを復活してみます。

三年前の8月、開設したばかりのホームに3人の子がきました。
半年後、三女がここを飛び出しました。
一年3ヶ月後、次女がいなくなりました。
一年半が過ぎて、長女も出ていきました。

本来の私の仕事である「貯金~自立生活」という形で送り出せた子は、まだ一人もいません…。
(こう書くと、祝3周年なんていってる場合じゃないような気がするなぁ…)

でも、「自立のかたち」なんて、他人が決められるものじゃないと、障害をもって「自立」し生きている人たちから、たくさん教えてもらったし、「自立」する時期も時季もまた、他人が強制できるものでないと思ってきました。

それでも、三女のことだけは、ずっと心残りというか後悔がありました。

     ◇

とくに出ていく前のひと月は生活が荒れていて、何日も帰らず、たまに朝方帰ってきてはシャワーを浴びてまた出ていく日々…。

十六の子が明け方酔いつぶれて帰ってくる。
お金もないはずなのに。
手に持っていた財布を見せてといったとき、彼女が言った。
「とらない?」

…「とらないよ」
そう答えながら、この程度の信頼感もないんだなと感じたりした。

財布には10万近い札が入っていた。
「このお金、どうしたの」
「…」

彼女とは何度もケンカした。
それでもまだ時間はいっぱいあると思っていた。

ケンカすると彼女がすぐにいうセリフがあった。
「出て行けばいいんでしょ!」
「だれもそんなこと言ってないだろ!」


そういえば、次女もすぐに同じセリフを口にした。
「出て行けばいいんでしょ!」
「そんなこと言ってないだろ!」

「こんなとこ出てってやる!」
「出て行くのは勝手だけど、自分で投げつけたグラスくらい掃除してから行け!」
「…分かってるよ!」
次女はそういって、丁寧に掃除機をかけてから出て行った。

そのときは、両手に荷物を抱えて出て行った次女に、長女たちが一晩カラオケにつきあってとりなしてくれた。
翌朝、何事もなかったようにみんなと一緒に帰ってきた。


・・・三女の家出も毎月のことだった。
ただ、最後の時は、私も彼女もぜんぜん余裕がなくなっていた。

高校を辞めて、一人で働いて生きていかなきゃいけない。
そのことから逃げ出したくてあがいていた彼女を、
わたしは…受けとめられなかった。


「出て行け」と言ったつもりはない。
だけど、「そんなにここで暮らすのがいやで、行くところがあるなら、そっちに行けばいいだろ」、そんな言葉は口にした。

三女はおばあちゃんの車で、荷物を運びに来た。

「出て行け」と言ったつもりはない。
でも、それは言い訳だな。

長女も次女も三女四女も…、今まで7人が「家出」のかたちでここを出ていったけど、それも自立だと私は感じている。
実際、他の「家出人」たちは、ホームに遊びに来たり泊ることもあるけれど、三女は音信不通だった。

私が自分に後ろめたさを感じ続けているのは、三女のことだけだった。


その彼女が、半年前ふらりとホームに遊びにきた。  (つづく)
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