ワニなつノート

ホームN通信・2023 ① 《何もしないということ》

「あそこは何もしないんですよ」と言う人がいて、思わず「うちも何もしないですよ」と答えた。

「でも、何もしないが違うんですよ」とその人は言った。

「何もしない」が違う? おかしな言い方。

 

「だって、ほったらかしなんですよ」

「うちもそうですよ。放し飼い、みたいなもんだから」

「…でもAちゃんはつながりができてるじゃないですか」

 

そこで気づいた。

そうか、《何もしない》でできる《つながり》があるんだ。

でもそれは何?

私は「何もしない」で、「何をしている」んだろう?

          □

 

「do nothing」。

何もしないを、している。

《何もしない》を繰り返しているうち、「余計なことをしない」が積み重なる。

 

たとえばうちには門限がない。外泊も自由。

いつ、どこで、どれくらい働くかも、本人次第。

学校に行く、行かない、退学するも、本人任せ。

 

もし門限や規則があれば、私が何もしなくても、「規則を破らせる」をしている、になる。

それで怒られないとしても、「どこまでなら見逃してくれるのか」、「どこかで見放されるんじゃないか」という疑いは、本人の中に溜まっていくだろう。

もともと家でも学校でも児相でも、そういう経験をくり返してきたのだから。

 

「ちゃんとしろ」と言われたら「どう言い返すか」。

「規則を守れ」と怒られたら「どう言い訳するか」。

そんな身構えが身体に溜まり、その子の「居方」になる。

          □

 

そもそも「規則」がなければ。「ああしろ、こうしろ」「あれをするな、これをするな」と言われなければ。「指導される、説教される、正される、直される、怒られる」という構えは、薄れていく。

怖れを身構えなくていい時が続けば、身構えない時が身体に溜まる。

防御に費やす時間とエネルギーを、別のことに使える。

他のことを考える時が、溜まる。

身の「構え」が変わる。

身の置き方、「居方」が変わる。

 

自分で感じ、自分で選び、自分で失敗して、自分でやり直す。

自分のやりたいこと。自分を生きること。

自分のエネルギーを「つながり」に使える。

           □

 

「花を知らんと思はば先ず種を知るべし。花は心、種は態(わざ)なるべし」だな。

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