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「あなたはムコクセキなんだって」と伝えた時の表情(゜o゜)
・・・うそです。とにかく、かわいい♪
6年前の写真。
この子は、赤ちゃんのころ、私の家で暮らしていた時期があります。
生後半年のころと、一歳のころ。
一度目は、夫婦喧嘩で家出して、ホームにきました。
でも、ホームの部屋は空きがなかったので、私の家に。
それから半年後、離婚してまた私の家に。
娘といっしょに、「赤ちゃんのいる暮らし」を楽しませてもらいました。
◆
生まれて6年、無国籍だったと書きましたが、母親も23年間、無国籍でした。
でも、日本政府発行の「外国人登録証」はちゃんと持っていたし、市役所の「住民票」もありました。なにより、ホームに「措置」したのは、児童相談所=千葉県です。
無国籍・無戸籍、だなんて思いもしませんでした。
それが分かったのが、結婚・出産のとき。
「婚姻届け」と「胎児認知届」と「出生届」を出したら、「不受理」という文字とともに送り返されたのです。
不受理の理由は、「母親の国籍」が確認できないため。
だから、日本で生まれた母親も23年間、無国籍でした。
18歳だった母親の国籍を取るのに、5年もかかりました。
◇
「大丈夫」「ぜったい大丈夫だから」
そう言いながら、大使館や入管、市役所や家庭裁判所に通ってきた。
だけど、今回、子どもの日本国籍と戸籍の手続きが終わって、改めて怖さが襲ってくる。
私の「大丈夫」には何の根拠もなかった。私が一番よく分かってる。
最初は何をどうしたらいいのか、どこから手をつければいいのか、誰に相談すればいいのか、何ひとつ分かっていなかった。
入管で「子どもは不法滞在の状態です」と言われた時は悔しかった。
生まれてきたことを「不法」という言葉で否定されているようで、悔しくてたまらなくなった。
今まで出会った子どもたちの顔が次々と浮かんできた。
ただ、ここに、生まれてきただけなのに。
ここにいてはいけない、という。
「不法」だとか「公平・公正」だとか、目の前の子どもをみない大人の都合。
あのとき私がゴジラになれていたら、いま東京はなかった( `ー´)ノ
あの時も、母親に「だいじょうぶ」と励ましながら、その大丈夫は、自分に言い聞かせていたのだと、すべてが終わってから気づく。
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