ワニなつノート

「無国籍・無戸籍」の子ども  経過報告(その3)


無戸籍だった子の「児童扶養手当」のこと


前回までの写真を見た方は、私がどんなにうれしく、浮かれていたか伝わったことと思います。
その「つづき」を書こうとしたら、ふいに気がかりなことが浮かびました。


でも、うれしい「つづき」を先に書いておきます。

彼女は再婚し、来週にも「弟」が生まれます。

今回は、「婚姻届」も「胎児認知届」もふつうに受理されました。
だから弟は姉よりも先に「日本人」でした。

生まれる前から、「日本人」であることが約束されていたのでした。


         ◇


彼女の人生は、「紙切れ」の理不尽の連続でした。

お母さんは日本語も役所の手続きも分からず、彼女は小学校に入学できませんでした。8歳の頃、児相への通報により「住民票」が作られ、学校に通えるようになりました。それまで彼女は一人で公園にいたのです。彼女が高校生のときにお母さんは蒸発。児相を通じて「援助ホーム」にやってきました。

文字にすれば数行です。でもその中に、子どもがしなくていい苦労がどれほどあったか。それは私には書きようがありません。彼女にはそういう苦労の影が微塵もみえません。明るく素直で、滝沢カレンと外見も天然も、漢字が苦手なところもそっくりです。


彼女がホームを出て、ようやくふつうの家庭の幸せをつかみかけたとき、また一枚の「紙切れ」に遮られました。「婚姻届」と「認知届」に、「不受理」の印が押され、送り返されてきたのです。

それが離婚の原因の一つにならなかったとは思えません。「妻も子も無国籍」。役所は相手にもしてくれない。一切の手続きが止まってしまう。十代の父親にとって受け止めにくい状況でもありました。


ある夜、彼女からホームに電話。
「さとーさん、まだ起きてる? 今から行ってもいい?」

その夜は親子でホームに泊まりました。でもホームには空き部屋もなく、翌日から私の家で暮らすことになりました。

              ◇


母親の国籍を取るところから始めました。

彼女は「外国人登録証」をちゃんと持っていました。
「市の住民票」にもちゃんと登録されていました。

だから、ふつうの「外国籍」の子どもだと思われていたのです。

問題は、大使館に「出生届」が出されていなかったことでした。そこで大使館に行き、自分で自分の18年前の「出生届」の手続きをしました。ところが、今度は自分を産んだ母親名が「違う」書類が出てきました。

「え? わたしは誰?」の世界。

ふつうなら親に事情を聞けばいい。でもその親が蒸発したから保護されてホームにきたのです。

また最初から。


その間に、入国管理局から私にも電話が入る。「子どもは不法滞在の状態です」。

市役所からも「児童扶養手当を支払うためにも、早く住民票を作るように。国民健康にも入れないから」と心配の電話が入る。

わかってる。こっちだって、一日も早くなんとかしたい。


「だいじょうぶ、この子が小学校に入学するまでにはぜんぶ片付くよ」。
そう言っていたら、本当に6年かかった。途中の苦労は書ききれないから書かない。


ただ、蒸発していた親はみつけました。重い心臓病を患っていました。短い間でしたが、最後に「孫」と暮らしてもらう時間も持てました。

去年の7月の朝、彼女からメールが届きました。
「お母さんが、今朝、亡くなりました」


結局は、親が亡くなったことで、すべてが動き始めました。23年前の出産時のいきさつを知る人がいなくなり、調査が不可能になったからです。そして彼女の国籍が確定。パスポート取得。それが一年前の事。これで、子どもの「日本国籍」が確定できると思いました。

ところが、日本人の父親が「もう関係ない」という態度に出ました。私は父親の実家に行き、これは「子ども」が生きていくためにどうしても必要な書類だからとお願いしました。でも、書類は届かず。やむを得ず、家庭裁判所の調停を申し立てました。

そうして、ようやくようやく、子どもの「日本国籍」と「戸籍」と「住民票」を手に入れたのです。子どもは、来春、一年生。間に合った。浮かれないではいられない。


               ◇

《ここから「気がかり」と「お願い」の話》

戸籍と住民票が作れなかったので、子どもは今まで「国民健康保険」に加入できませんでした。

「ひとり親家庭」に支給される「児童扶養手当」ももらえず。

だから、彼女は一人で働いて、ちゃんと子育てしながら、子どもの国籍と戸籍を取り戻したのです。これで、過去に「全額負担」してきた「医療費」が戻ってくると思ったのです。「児童扶養手当」もいくらかはまとめて支給されるのだと思ったのです。

ところが、支払った医療費は1円も戻らず!!

支払われないできた児童手当は1円も手に入らず!!

はじめは、国籍に比べれば「些細なこと」と思おうとしました。
「小学校入学が近づいているのに、戸籍が作れない」
「弟が生まれてくるのに、この子だけ戸籍が作れない」
それに比べたら、お金くらい、そう思おうとしました。

でも、どうしても気になって、改めて市のHPを読んでみました。

【児童扶養手当とは。…児童を養育されているひとり親家庭等の生活の安定と自立を助け、児童の福祉の増進を図ることを目的として支給される手当です。】

【児童扶養手当を受けることができる人は、…児童を監護しているひとり親家庭等の父母…。】

一月42,500円の育児手当。4年間で計算すると204万円。それに全額自己負担した医療費分。

日曜日には、国籍が取れた喜びだけだったが、こうして冷静に考えると、理不尽は少しも終わっていない。


市は、この子がそこに住んでいたことを認識していた。だから住民票がなくても、市の保育園に、何年も通えた。

この子は、ずっとここに住んでいた。

でも、「住所」はなかった。

戸籍が作れなかったから。

だからこの子は、他の子どもが当たり前にもらっていた「児童扶養手当」をもらえずに育った。

一月42,500円の育児手当。
これがあったら、どれだけ不安は和らいだろう。

一月42,500円の育児手当。
これがあったら、国保に加入できなくても、迷わず病院にも行けただろう。


もともと彼女は、「虐待通報」により施設に来た。そして一人で働きながら高校に通い、施設から「自立」。いわゆる社会的養護出身の「不利益」に負けずにがんばって生きて、子育てしてきたのです。「ひとり親家庭等の生活の安定と自立を助け、児童の福祉の増進を図る」ために、もっとも支援すべき人の一人でした。

その彼女に支払われるはずの「児童扶養手当」が、すべて「なかった」ことにされる。
この国は、どこまで、彼女の人生をないがしろにすれば気が済むのか。

悔しいのは、お金のことじゃない。お金のことなんかじゃない。

だけど、そのお金は子どもの幸せのために使われるはずのお金だった。

苦労してきた過去をなしにはできないけれど、あきらめないでよくがんばってきたねと、彼女とこの子がもらえるはずだったお金のいくらかでも、届けたい。

でも私とホームのお金だけでは心もとないのです。
年末には様々な活動をされている会が、カンパを必要としているのを承知しています。

そのなかのいくらかでも、「ホーム」に分けて頂けないでしょうか。

これはまったくの個人的な動機ですが、どうかお願いいたします。

これから、12月末までにホームに入金されたカンパは、全額彼女たちに贈ります。



児童自立援助ホーム南柏 ホーム長 佐藤陽一

郵便振替口座 【00110-3-417838】
【児童自立援助ホーム南柏】

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ホームN通信」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事