ワニなつノート

ある手紙への返信(2)



繰り返しになりますが、
2月26日に紹介した文章を載せておきます。

さきの作文の家族は、
別れて暮らさなくても、本当はよかったのです。
6年生のお姉ちゃんは、弟と暮らすことが、
一緒に遊ぶことが、本当はできたのです。

彼女の苦しみは、病気の苦しみではなく、
国の差別に押し付けられた苦しみだったのです。


≪国家が生み出した差別感ということについて≫

『ハンセン病は病変が顔や手足など
 人の目に触れる所に現われ、
 身体的変形が後遺症として残る。
 このため、「業病」「天刑病」などと恐れられ、
 古来から偏見差別の対象とされてきた。

 ところが、明治以降になると、
 差別感は明らかに性格が異なってくる。

 国の患者収容の徹底強化によって、
 過度の恐怖心を持つようになった。

 その結果、社会的な差別偏見が増強された。

 社会防衛のため、
 僻地・離島に作られた療養所自体も。』
 (熊本地裁判決より)
                    (p160)


≪「人生被害」という言葉≫

言語に絶する人権侵害に対し、
判決は人生被害という言葉を使った。

…杉山正士裁判長は、のちにこう語っている。

「隔離被害が長期化した原告には、
 そのような表現しか見当たらなかった」
                     (p160)


≪医師・専門家の責任について≫

「ハンセン病は隔離の要件を満たす病気でもない
 にも関わらず、日本は隔離政策を維持し続けた。

 その原因は『専門家』と言われる
 医師の不勉強、怠慢に尽きます。

 中には、志ある医師もいたが、
 学会では異端児扱いされていたことが
 あらためて分かった。」

「(国賠訴訟の判決後も)
 残念ながら、少しも変わっていない。
 『結果として隔離は悪かったが、
 当時はやむを得ない面もあった。
 われわれは、患者たちのために
 最善の努力を尽くしたんだ』
 との意識がいまだにぬぐえていない」
                       (p143)


≪宗教者の責任について≫

宗教者たちの根底にあるのは「救らい意識」

世の中で最も哀れな人たちに、
救いの手を差し伸べなければならないという思い。

入所者には隔離の現実を受け入れて、
ここで一生を終えることこそが、
あなたたちにとって救いなのだと。

隔離に抗うのではなく、
受忍、受容、救済という意識へ導かれた結果、
入所者は内面に自ら囲いを作らされた。

隔離も試練へとすり替えられた。
隔離の中での救済という自己完結に陥ってしまった。

断種、堕胎、などの人権が奪われていく隔離の現実に、
覆いをかぶせて見えなくした。

ある意味、
これこそが究極の人権侵害だと思います。
                       (p150)


≪メディアの責任について≫

…こんなひどいことを、
なぜ新聞記者は見逃してきたのか。

…社会の欠陥や法の足りない部分を指摘し、
問題提起するのが記者の役目だとすると、
担うべき役割を放棄してきたと言わざるを得ません。

…多数を相手にしていて、少数の問題に冷たい。
世論が、関心を持って初めて取り組むという
悲しい現実がある」
                         (p153)


国がなぜ強制隔離を続け、
差別政策を取ってきたのか。

私たちはハンセン病問題から、
十分汲み取っていないし、
学ぶべきものは多い。

どういう社会を作っていくかを考えるときも、
大切なヒントを与えてくれるだろうし、
教訓化しないままかこのこととして
忘れてしまうのはもったいない。
                       (p157)

以上、引用は、
『ハンセン病とともに心の壁を越える』
熊本日日新聞社編
岩波書店 より。
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