ワニなつノート

ある手紙への返信(1)




 ≪ 私の弟 ≫
              尋六 T・Y子



私の弟は今尋常二年生です。
名をAと云い、丸々と太ってドングリの様な目をしています。
聞く所によると、中々やんちゃでいたづら坊だそうです。

今は私達と別れて唯一人保育所へいってゐますが、
私達が此の愛生園に入園した最初の晩、
弟は収容所のベッドの上から転げ落ちて泣いたのに、
でも、無理もない、
あの時は未だたった四つで、
言葉もろくにいへなかったのだもの、
もうその弟が十になつてゐます。

保育所へいつてからも小さい女の子に石を投げてけがをさしたり、
家に帰るんだといつてむづかったりしたといふ事です。

私は売店へ使に行く途中、
青々として、波の静かな入江の向ふに立つてゐる
赤い屋根をした保育所の前で、
白いエプロンを掛けた女の児や男の児がブランコに乗つたり、
滑り台を滑つたりして、遊んでゐる様を、
ヂット立止つて見てゐる時がよくあります。

そしてあれが弟ぢやあないか知ら、
あの黒い服が弟ぢやあないか知らと、
何時も見てゐるのです。

遠い入江の向ふなので、顔は全然見えないけれども、
自分の弟だけは分る様な気がします。
時々「わあ、きやあ」とか
又日によると子供達の話す言葉の一つ一つが
はつきりときこえて来る時があります。
あの色々な声の中に、弟のこえも交つてゐるのだろうと思ふと、
たまらなく懐かしい気がします。

弟は父が死んだ時ちつとも悲しがりませんでした。
それも永い間離れて住まつてゐたせいでせう。
でもお父ちゃんが病気で苦しんでゐた時は、
保育所の保姆(おかあ)さんと二人で美しい箱に果物を入れて、
見舞に持つてきてくれました。
私はその姿がいぢらしくなつて来ました。

それでゐて保育所の保姆さんに
「Aさん、お父さんの所へ御見舞に行きませう」と言はれると、
弟はいつも「僕そんなお父さん知らない」と答へるさうです。
お父さんはそんな事をきくと
「でも仕方がないわい、知らんのも無理はない、
 こんな姿がかはつては」と
あきらめた様な静かな口調で言はれました。

弟はでも毎年お正月には、
一年間の学校の成績品の図画とか書方とかを、
お父さんやお母さんに見せに来ます。
保育所の保姆さんにつれられて、一張羅の洋服を着、
白いエプロンを掛け、恥ずかしそうに縁先に立つてゐます。

私達が出て行くと
「お父さん、お母さん、お目出度うございます」と
蚊のなく様な小さな声で新年の挨拶をします。

それから手に抱へてゐた成績品を黙つて、差し出します。
お父さんは目が見えないので、
「Aも大きくなつただろうな、今度三年生といふじやないか、
 体に気をつけてしつかり勉強するんだぞ」と優しく言ひます。
 Aは今にも泣き出しそうな顔をしてこつくりうなづきます。

私達はお正月にその弟の成績品を見るのがたのしみでした。
火鉢の傍で目の見えない父に一枚一枚ていねいに説明して見て行きます。
時々とんでもない絵などに出くはすと皆大笑ひします。

一年生の時のは「ハナハト」と書方で書いたのが
「ト」といふ字がふにやふにやに曲がつてゐたり、
「ナ」が大きすぎたり、滑稽なのが随分ありました。

けれど二年生になつて持つて来たのに比べると
見違へる様に上手になつていました。

入園した時は四つの小さい弟であつたのに、
ベッドからころげ落ちた程の弟であつたのに、
もうこんな字を書く様になつたのかと思ふと、かはゆくてなりません。

そしてヂツトその成績品を前に置いて見てゐると、
離れて住んでゐる弟がたまらなく懐かしくなりました。
私はその時なんぼ離てゐても
姉弟がある事はいいもんだなあとつくづく思いひました。

また礼拝堂のお集まりの時、
私は知らず知らず一段高い所にお友達と一緒に坐つてゐる弟の顔を
ヂツト見てゐることがあります。
そんな時ふと弟の目とかち合ふと、
弟はニツコリ笑つてくれます。

でも私は何故か顔をそむけてしまひます。
につこり笑つてやらなければいけないと思ひながらも、
何だか顔を合はせるのが、恥かしい様な変な気持ちです。

四つの時に別れたんだから、私の心も知らないであらう。
又姉弟の親しみもあまり感じないであらう。
無理もないことと思ふけれど何だか私の心は満ち足りない。

私が病気でさへなかつたら飛んで行つて、
側で仲よく遊んでやるのにと思ふと、
今更自分の病気の身がなさけなく思はれます。(1941・8・20)


『ハンセン病文学全集 10 児童作品』より
               皓星社 5040円




私は、児童相談所の一時保護所で暮らす子どもとつきあっていた時、
そして、児童自立援助ホームで子どもとつきあっていた時、
自分が、子どもたちの思いを受け取り損ねないようにと願って、
この本を買った。
特に泊りの仕事の時は、この本をお守りのように持っていた。

時代も、事情も違うけれど、
本当なら家族と当たり前に生活できていたはずの、子どもの時間を、
訳あって、私と過ごしているのだということを、
忘れないでいようと思った。

私とどんなに楽しく過ごしても、
私とどんなに仲良くなっても、
本当なら、この子たちは、普通に家族といたかったのだと。
家族といたいと、そんなことさえ思わずに、
一緒にいたかったのだと忘れないように。

「子どものため」と理屈をつけて、
自分の思いを押し付けたりしないように。
自分が子どものためにいいことをしていると、
そんなふうにうぬぼれないように。

自分のいる場所、自分の知らない子どもの人生を、
知らないながらも敬意をもって、
3歳の子どもの前にも立てるように。

そんなことを願っていた。

そうしたことを自分に忘れないようにと、
時々この本を読み返していた。

ある手紙を読んで、この本を思い出しました。



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