ワニなつノート

テーマⅡのメモ(その7)


テーマⅡ 
「普通学級に当たり前に居続けるために知っておきたい大切なこと」
(あるいは普通学級を手放さないために知っておきたい大切なこと)

《強力な固定観念・2》



私の中にも、「強力な固定観念」が確かにあった。

自分自身が分けられる悲しみを味わったのに、私は「分けられた子ども」たちを遠ざけて生きた。

8才の時に分けられかけた場所を恐れ憎んだ。
絶対にあそこにだけは行きたくないと、願いながら子ども時代を生きた。

中学1年の時、隣の教室が特殊学級だった。
私はその教室を「透明なもの=ないもの」にした。
その教室にいた生徒たちを、ただの一人も覚えていない。
男の子がいたのか、女の子がいたのかも覚えていない。
影も形も記憶がない。

ただ特学の担任だけは、顔も話し方もあだ名も覚えている。
いま考えれば、とてもいい先生だったのだろう。
特学の子どもたちと普通学級との距離を作らないように、廊下で遊んでいる私たちによくちょっかいを出してきた。
同級生たちは、その先生を面白い先生、いい先生だと話していた。

私はその先生が見えると、隠れていた。
見つからないように。目をつけられないように。
私は、いつも「特殊学級」から必死で逃げていた。


中学3年のある日、同じクラスの女の子が二人、特殊学級に移ったと聞いた。

いま考えると、たぶん高校が難しいから「就職」の関係で、学籍を移したのだと思う。
小学校も中学校もずっと同じで、誰も「障害児」とは見ていなかった子たちだった。

その時も、私は何も考えないように、何も感じないように、自分を消した。
自分とは「関係のないこと」にしてしまおうとした。

自分だけが、みんなのいる所にいられるように。
自分だけ逃げきれればそれでよかった。

       ◇


私が何かから必死で逃げながら生きてきた子ども時代。
それをちゃんと見ていた友だちもいる。

数年前、中学の同級生と飲んでいた時、「あなたはそうやって、いつも冷めてるんだから、もっと呑みなさいよ」とからまれたことがある。
「私たちが酔っぱらってるのを、バカにしてるんでしょ。」

「えー、ちゃんと呑んでるよ。バカになんかしてないって」
「うそばっかり、あなたは昔からそうなんだから」

「昔から」という言葉が引っかかって聞いてみた。
「昔って…、いつからそう思ってたの?」
「いつからって、子どものときからずっとよ。みんなで盛り上がっていても、一人だけさめてみてるんだから」

意外だった。中学のころはみんなとバカをやって、ちゃんと溶け込んでいたつもりだった。
そんなふうに見えていた人もいたのかと初めて知った。

たぶん、私は自分がみんなとは違う、分けられた子だから、それがばれないように必死で取り繕って生きていたのだと思う。

分けられた子どもだとばれたら、みんな離れていってしまうと、いつも恐れていたのかもしれない。

だから、私のなかの、「障害児が大事にされるはずがない」という「固定観念」は、誰よりも強力に育った。


「分けること」は、分ける側の「固定観念」をさらに強固にする。
「やっぱり、あの子たちは、違う、のだ」と。

「分けられること」は、分けられた子どもの「固定観念」をさらに強固にする。
「自分は、ふつうの子どもたちとは、どこか違う存在なのだ」と。


(つづく)
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