ワニなつノート

あの子が、この子の支えになっている(その6)


あの子が、この子の支えになっている(その6)



あの子がこの子の支えになっている。
あの子もこの子の支えになっている。
となりのクラスのあの子も、この子の支えになっている。
あの子も、あの子も、あの子も…。


保育園のころ、教室でも園庭でも、この子は誰ともいっしょに遊ばなかった。
はじめのころ、廊下の傘立てにしがみついて絶対に教室には入らなかった。
そんな状態で一月が過ぎた頃、おばあちゃんもおじいちゃんも、そんなに無理しなくても、それじゃかわいそうだと心配した。
年中さんだったから、これ以上無理しないで、来年入園し直そうかと話しているころ、いつのまにか教室には入るようになった。

教室に入るようにはなったけれど、いつも一人で、好きなことをしていた。

「あれもできない、これもできない、その上いつも一人遊び。
ここにいて、これでいいのですか?」

そう言われた日。
ふと、みると、園庭の砂場で遊びながら、あの子はたしかにみんなが走っているのを目で追いかけて、確かに笑った。

その瞬間、ああ、この子がここにいる。と、心から思えた。

そのとき、この子が行かないと言ったことが一度もなかったことにはじめて気づいた。
もともとこの子は、嫌なことだけははっきり嫌と伝えてくれた。
どうして、そのがんこさを、信用してあげられなかったのか。
この子は、この子のやり方で、保育園という子どもの生活場所を楽しんで、自分の居方を形作っている。

小学校に入っても、はじめは朝の数分しか教室にはいなかった。
でも、給食になれば呼ばれなくても戻ってくる。
それって、自分の居場所は分かってるってことだと思うようにした。

「あれもできない、これもできない。」
「みんなと一緒と言われますが、そもそもみんなと一緒に教室にさえいられないじゃないですか。」
「こんなんで、ここにいる意味があるのです。」
「もっと、この子に合った場所が他にあるんじゃないですか。」

毎日のように繰り返された言葉。

そのうち3年生くらいには、教室を抜け出すこともなくなった。

1、2年の頃は、運動会でもマラソン大会でも、この子を探したことが一度もない。
探すまでもなく、この子の姿と、この子を追いかける子どもや先生の姿が、目に飛び込んできた。

それがいつのころからか、みんなの中になじんでしまって、探しても見つからないようになった。
どこかにいなくなったんじゃなくて、みんなとダンスを踊っているはずなのに見つからない。
それくらい、あの子たちと溶け込むこともおぼえた。


あれから中学、高校、…成人式とこの子の人生のそばにいて、
いつも、この子の支えになっていたのは、
あの子たちがそこに一緒にいてくれたことだとあらためて気づく。

大人になったいまの話じゃなくて、幼稚園のあのころも、子どもの時間の一年、一年、この子を支えてくれたのは、いっしょにいた仲間のひとりひとりだった。

誰が、何をしてくれた、ということをこえて、あの子とあの子とあの子と…が、いつもこの子の支えになっていた。

そして、この子も、あの子の支えに、きっとなっていた。

それが、子どもがいっしょに暮らし、大人になっていく途中の時間のしくみだと、子どもたちがわたしに教えてくれた。
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