昨日、何気なく本棚から手にとった詩集から。
『母の詩集』 池下和彦 童話屋
☆ ☆ ☆
軍歌
ここはどこ
母が一日に何回か口にする問いだ
ある日の夕方
近所を散歩していた途中
ここは、と
母は言いかけた
ここはね
と答える私の言葉のうえを
母は
おくにのなんびゃくり
とつづけた
一番をいっしょにうたい
二番は
母がうたう歌をきくことになった
この何十年前の銃後の守り手に
わたしは
ここをどこだと答えようとしたのだろうか
つづき
うたこ
だんだん
ばかになる
どうかたすけて
起きぬけ
母はそう言って私にすがりつく
だれが
この病を
老年痴呆と名づけたのだろうか
かつて私は
こんなにも賢いさけびをきいたことがない
私は
母のまねをしてすがりつく
もののいい方
「そんなもののいい方あるの」
母は突然言う
そしてすぐ
もどる
父や私に謝るひまも与えてくれない
平凡な言葉のはしばしにあらわれた
そんなもののいい方を
母は指摘して
間もなくもどるのだ
それが悲しいのではなく
なにか悲しいのでもなく
その家に
しばし沈黙がおとずれる
友達
このところ
母は私が息子であることを忘れている
ひとまわり上の姉は
母さんの病気は記憶の新しい順に忘れていくから
子供たちの中で
和ちゃんを最初に分からなくなっても
すこしもふしぎじゃないのよ
と解説してくれる
ひとまわり先に忘れても
母は私を
なにかしら親しいものでるとは感じている
親しいものであると感じる気持ちを
たよりにしながら私は
ひとまわり先に
母の親しい友達になる
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