ワニなつノート

物語としての自立生活ケア(8)



≪「私」とか「主体」のメモ (その4)≫

「私」について考えるときには、
いつも浜田寿美男さんの話をいくつか思い出します。
その中の一つ。
今は、どこから引用したのか思い出せないのですが、
分かり次第、お知らせします。



『私のことは私が決める?』 浜田寿美男

私たちはみんな、
この私のことは私が決めるんだって思っています。
だけど、ほんとうにそうでしょうか。

じつのところを言えば、「私」というのは、
自分のことを自分で自由に決められるほど、
自由な存在でありません。

一つには、何かしたいと思っても、
周囲の状況でなかなかうまくいかない。
旅行に行っておいしいものを腹いっぱい食べたいと思っても、
お金がなかったり、時間がなかったり……
そんな不自由がいくらもあります。

そしてそれよりもっと問題なのは、これをしたい、
あれをしたいという、その自分の思いが実現しないとき、
これを簡単には断念できない、
つまり自分で自分を左右できないということ。
これが二つ目の不自由です。

たとえば、好きな人ができて、思いを打ち明けたが、
相手が自分の思いに応じてくれない。
それは第一の不自由ですが、そのうえで、
相手が応じてくれないからと言って、すぐに気持ちを切り替えて、
その人のことをあきらめるというふうに簡単にはいかない。
そうして自分の思いをもてあまして、
日々の生活が破綻することさえある。 

人は自分自身の思いさえ、たやすく自分でコントロールできない。
こういうことが私たちにはいっぱいある。
この不自由こそは、人間の厳然たる事実です。

ところが私たちは、このことを正面から認めず、
自分のことくらいは、自分で決められるのが当然だと
思っている節があって、そのことを人にも自分にも要求しがちです。

だけど、そこにはやはり無理があります。

そもそも「私」というものが、どうやって成り立ってくるかを
考えればわかりますが、「私」というのは身体の後にやってくる。

私たちは気がついたら生きていたんですね。
「私」の成立以前のところですでに身体はあって、
その身体の働きのうえにこそ「私」は、
いわば後進のものとして成り立ってきたのです。

じっさい人間も最初は受精卵だった。
私もあなたも、彼も彼女もそうです。

肉眼で見えるかどうかというくらいの小さな受精卵からはじまって、
細胞分裂を繰り返し、膨大な数の細胞が組織を形成し、
器官を作り出し、胎児の身体をなすようになる。

その胎児が時とともに育ち、やがて母の胎内から出でて、
赤ちゃんとして誕生する。

その育ちは人間の人為では左右できない、
まさに自然の営みですし、自然の計画したとおりの流れです。

「私」というものが登場するのは、
その流れのさらに延長上のことであって、
けっして流れの最初からあるものではありません。

身体のうえに私が成立するのであって、
私のうえに身体が成立するのではない。

この当たり前の事実を考えただけで、
私でもって私を左右しきれないということは
当然だということに気づくはずです。

さてさて、
とんでもないところからはじめてしまったかもしれません。
だけどこのことの確認をしておかなければ、
子どもの「巣立ち」について語る話が、
安易なハウ・ツウ話になりかねません。

☆     ☆     ☆     ☆


おもしろすぎて、何もいじらない方がいいのかもしれませんが、
最後のところだけ。
「巣立ち」を「自立生活」に変えれば、
私のこだわりが、少し伝わるかな、と思います。

コメント一覧

岩ちゃん
よ~~くわかります!!
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