ワニなつノート

「大丈夫」と「希望」の在りか(その2)

「大丈夫」と「希望」の在りか(その2)

震災によって親や家族から分けられてしまった子どもたちの孤独・・・
彼らが失った膨大な量の「大丈夫」を、私はただ呆然とみている。

今回は安全な場所にいる私は、あれから一月もたたないのに、呆然自失と感じるほどの無力感は薄れていく。その自分の、鈍さ、その中で思い出される子どもたちの顔がある。
ああ、私はそうした子どもたちの顔を、孤独を、何度もみたことがあるのだった。その時々に、今回のような、自分の想像力の鈍さ、と、中途半端な無力感を感じてきたのだった。
それぞれの事情による孤独な顔をした子どもたちに出会ってきた。保護所で。ホームで。学校で。会で。そして、普通学級の前で、不安そうに閉ざされた門を見上げていることもたちに出会ってきた。

康司、halくん、えりちゃん、かいとくん、Tくん…。
みんな、心の中では、大震災に巻き込まれて取り残されたような孤独な場所にいたんじゃなかったか。

「いける? だいじょうぶ?」
一年前にそうつぶやくえりちゃんの声と顔がうかぶ。
先月の定例会で、一年ぶりにえりちゃんに会った。
少しお姉ちゃんになったその顔には、「だいじょうぶ?」と首をかしげる不安な姿は消えていた。お父さん、お母さんが、新しい学年やクラス替えに不安を話しているあいだも、その横で静かに絵を描いている姿は、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と言っているようにみえた。
一年前の、「いける? だいじょうぶ?」と両親を見上げる顔は、見せなくなっていた。

特別支援の支援とは、その土地に70年、80年、90年生きてきた人の人生をリセットし、ただ衣食住を用意するからという支援になんと似ていることか。
「ここでは、もう暮らせないから、遠くの県に行けという。移住しろという。あなたの幸せのためだから。そこなら家も食べ物もあるから、これからはそこで暮らせという。隣の家の人は?その人はまた別の町へ。向かいの人は? その人はまた別の町へ。とにかく住宅を用意してあげるから。一人じゃここでは無理だから。」と。
そういう「支援」の仕方は、「特別支援教育」となんと似ていることだろう。今までの、障害児への「特別支援」、障害者への「支援」とは、そういう支援だったんじゃないかと思う。


親から分けられることで、子どもが失う「大丈夫」の数々。
兄妹から分けられることで、子どもが失う「大丈夫」の数々。
家族から分けられることで、子どもが失う「大丈夫」の数々。
自分が毎日通っていたクラスから分けられることで、子どもが失う「大丈夫」の数々。
友達や同級生から分けられることで、子どもが失う「大丈夫」の数々。
暮らしている地域から分けられることで、子どもが失う「大丈夫」の数々。
高校を点数で閉ざされ、分けられることで、子どもが失う「大丈夫」の数々。

子どもが失う無限の「大丈夫」を思う。

原因や理由は違っても、ある日、突然、親と分けられてしまう子ども。
兄弟と分けられてしまう子ども。
家族と分けられてしまう子ども。
友達や同級生から分けられてしまう子ども。
子どもたちが失った「大丈夫」の数々を思い返す。

その「大丈夫」の姿と意味を、私たちはふだん見ていない。

「大丈夫」はどうやってみえるか?
「大丈夫」をどうやって伝えるか?

コメント一覧

yo
お疲れさまです。
とりあえず、支援員は交代したようでよかったです。
次の心配はあるでしょうが、それを含めていろんな出会いがあるのが、普通学級のいいところ、いいえ、シャバのいいところですよね。

こちらでは、りっくんもちーちゃんも無事?入学式を終えたようです。
みーちゃんはちゃんと看護師も決まっての入学式になりました。

今年もまた、6才の子どもたちが、ヒデや○くんの歩いた道を、歩き始めましたよ(^^)v

ai
事前に予定変更があり、
慌ただしい空気を感じたのか、
○は、学校の玄関の前まで来て、
急にまわれ右。
そのまま家に帰ってきてしまいました。

私も、無理に引きとめることはしませんでしたので、新しい支援員さん二人と遭うことができませんでした。

明日から新学期が始まります。
新しいクラス、友達。
思春期の○を迎える様々な出来事。

○のこれからを見守りたいと思います。

無理しないで。

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