ワニなつノート

経過報告 2014



8月1日で、ホームを始めて3年が過ぎました。


10代で「家」(家庭)を失った子どもを「支える」という仕事に携わって分かったことは、私自身がどれだけ膨大な支えに恵まれて生きてきたか、ということでした。

単に、自分が恵まれた家庭、環境にいた、ということではありません。

「自分のことは自分で決めてきた」と当たり前に思っていたこと。
いまの言葉では「自己決定」というのでしょう。

高校に行くとか、どの部活に入るか、大学を出てからの行き当たりばったりの生き方の一つ一つの選択を、「自分で決めてきた」と私はおもってきました。

でも、その「自分で決める」を支えるものは、自分の知識や能力ではありませんでした。

自分で決める能力があったから、ではなく、自分で決める「みえないつながり」の支えがあったからでした。

人ととの出会いと関係、つながりこそが、自分の「自己決定」を支えてきたのだと思うようになりました。

それは、障害のある子たちのつきあいのなかでも感じてきたことですが、その重要性は「できる・できない」をはるかに超えたものだと思います。


「家庭」という基本の出会いの場と人とのつながりを失くした子どもと暮らしているなかで、徐々に実感するようになったのは、子どもたちの「失ったもの」にこそ、わたしたちは「支えられている」ということでした。

3年のあいだに、このホームで暮らした子は13人です。
ここに来るまでの過程は一人ひとり違います。

でも、ここで「自立することを迫られ、覚悟を決めなければいけない葛藤」は同じです。

中学を出たばかりの15歳の子に、自分の生活費を自分で稼ぎ、アパート借りて一人で生活するための貯金をして、自立しろ、と迫る。
その覚悟を「支援」する仕事、と書けば、けっこう冷酷な仕事だとも思います。

一人で生活するには、それなりの「覚悟」は必要です。

一人で生きる覚悟。
働いて稼ぐ覚悟。
自分で稼いで、自分を養う覚悟。

現代の日本では、親が15のわが子には、ほとんど迫ることはないだろう「覚悟」。
親がいない子にだけ、社会が迫る「覚悟」。
そんな誰も経験したこともない覚悟に至るには、どれほどの「葛藤」が必要か。

わたしは、一人ひとりの子どもの人生を知りません。
だから一人ひとりの葛藤の深さも暗さも私にはわかりません。

同世代のほとんどの子は、家族と暮らし、親の保護のもとで高校に通っている。
でも、自分にはその守りもぬくもりもない。
なぜ、自分だけが。

その自立への葛藤をほぐすには、十分にその葛藤をくぐるしかない。
自立する、という覚悟を決めるには、十分な葛藤や迷いをあがきぬくしかない。

自立を援助するとは、一人ひとりの自立の形を覚悟するまでの葛藤につきあい、見守ることらしい。
その時間の中で、本人が自分で自分の葛藤をほぐし、自分の覚悟にたどり着くしかないらしい。

・・・そんなことを、3年たってようやく実感してきたところです。



ホームの子どもたちを気にかけてくださり、支えてくださっている方々に、お伝えしたいことがたくさんあるのですが、なかなか「通信」を出すことができずにいます。
でも、失敗もたくさんありますが、とりあえず順調に失敗を繰り返すことができていると思います。
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