ワニなつノート

《知的障害児の高等教育を考える》(その3)



《星の見える方角》



前川さんと寺脇さんに、「知的障害児の高等教育」があって当たり前だと、気づかせてもらった。

でも、二人の考えている「知的障害児の高等教育」は、私の考えたいものとは、たぶん違う。

だから、二人の本を読んでも、「星」は見えない。



たとえば、高校の「希望者全入」について、前川さんは次のように書いている。


【高校無償化というのは、十五歳から十八歳までの、すべての若者に学習機会を保障しますよという、学習権保障の思想なんですね。
「無償で学ぶ権利があります」と言うからには、入学を希望するすべての若者が学校に行けるようにならないと、おかしい。
つまり、論理必然的に、希望者全入が実現しなければならないわけです。】



ここまでは大賛成。

ただ、この後に、こんな言葉が続きます。


【日本の場合、高校無償化は実現できましたが、次のステップへ進む際の課題の一つとして、中学校の特別支援学級を卒業した子の進学先が十分用意されていないという問題があるんですね。
……障害の軽い子でも、特別支援学校高等部に入れますが、障害の重い子から入学させることになっているので、空きがなければ入れない。こうして、障害の軽い子の多くが、定時制高校に行くことになってしまう。この状況をなんとかしたいんですね。

障害のある子どもの場合、通常の小・中学校に入って通級指導を受けることもありますし、特別支援学級に入ることもあります。そういう子どもの場合、高校には同様の制度が用意されていなくて、困ったことが起きているわけですね。

じつは法律上は、高校でも特別支援学級を設けられることになっています。ところが、特別支援学級に応じたカリキュラムを組んでいいという省令がありません。一般の高校生と同じ教育過程では意味がないわけですから、ここを何とかしなければいけない。】

 


残念ながら、この発想だけだと、知的障害児には普通高校は無理、という理解になってしまいます。

前川さんは次のようにも言います。

「知的障害のある子どもにも、高等教育機関が用意されてしかるべきだと思うんです。手始めに、特別支援学校の高等部に、知的障害のある子どものための専攻科を設けるという方法もあります。」



前川さんが、「だれもが18歳になるまで、学ぶ場が必ず確保されているという状態」を作りたいという強い意思を持っていることを、純粋にすごいなと思う。


でも、そうして、「別の場」から準備することが、「みんな」の心に、「あの人たちは別」「あの人たちのための学びの場は別にある」という意識を作ることを、見落としていると思う。



「あの人たちのための学びの場は別にある」という考えを、「なんで昔の人は、そんな発想をしていたんだろう?」と疑問に感じる人たちの、「学び」の中身。

それこそが、「知的障害児の高等教育」の内容の一つであり、きっとその方角にわたしの見たい星がある。


私にいま見えている「星」は、ゆうきくんやまゆちゃんの感じている世界、はるくんやあーちゃんが感じている世界、「専門学校に行きたい」というなっちの言葉の先にある世界だ。


そういえば、昔「星になったヒデ」という文章も書いたっけ。

前川さんも、小中高と「ふつう」で学び、星になったヒデと出会えば、きっと分かってくれると思う。


私たちの目指す星は、私たちが出会ってきた子どもたちの関係そのものだ。

だから、「知的障害児の高等教育」も、そこに必ずあるはずなのだ。


その星をみつけたい。


(つづく)
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「新しい能力」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事