《物語が歩いているという感覚》②
□
障害について、大学の授業で聞いたことをふと思い出した。
「ダウン症とは」「自閉症とは」「知的障害とは」。
当時も思っていたが、いま改めて確信する。
大学で聞いたような「ダウン症」の子、「自閉症」の子に一人も出会ったことがない。
どうしてあんな「くそくらえ」な知識、情報を、大学の先生は大真面目に、恥ずかしげもなく、語れたのだろう?
よくもまあ、あんな大嘘を「大学」で。
いや、大学だからか?!
だって私が出会った子どもたちは、みんな大学以外の場所だった。小学校、中学校、高校。
そういうことか。
大学の先生は、「治療」や「訓練」の相手としては知っていても、大学で、知的障害のある子といっしょに学ぶことを、自分の仕事だと思ったことがない人たちだった。
火星人はこんな生き物、UFOはこんな乗り物、みたいな話だったのか。そりゃ、あやしいわけだ。
□
自分ができの悪い学生でよかった、といま心から思う。
そして、できの悪い保育園児、できの悪い子どもでよかったと。
自分が「分けられる」体験をしなかったら、私は「自分の声を聞けないまま」だった。
最近になって、ようやく「自分の子ども時代の物語」を読めるようになってきた。
【写真:仲村伊織】