わじこSCHOOL

個性の強い先生と、個性の強い生徒が集う西多賀の寺子屋。

震災から少したって思う事

2011年11月10日 23時08分44秒 | 非日常の出来事
閖上地区にいってきました。通行止めになっていたこともあり震災後に行ってませんでしたが、後学のためにと行ってきました。用事があったり、通り道であるような場所は何度か目にしていましたが、津波の傷跡を見に行こうとして行ったのは今回が初めてでした。そもそも仙台にやってきて、右も左もわからないころに初めて行った海も閖上。その後たびたび釣りや海水浴をしたのも閖上です。朝市もあったり、ちょとしたデートスポットのような役目もしていたような、そんな町だったので、他の被災地よりも格段に思い入れがあるのです。

当時使っていた道はまだ通行止めで、一本南側の道から入っていったことや、津波で町並みが変わってしまっていたこともあり、思い出が走馬灯のように、、、という風にはいかず、しらない場所に来てしまった感覚でした。ややも進んでいくと橋が見えて来て、位置関係が急にはっきりしてきました。位置関係がはっきりすると、不思議な事に、家の基礎しか見えない風景と重なって当時の様子がカラーで浮かび上がってきました。当然、いま目の前に広がる世界もカラーなのですが土と石とコンクリートばかりなのでセピア色の世界が現実世界なのです。

閖上地区には本日20歳の誕生日を迎えた知り合いが一人いるだけです。彼女の家にも一度伺ったことがあったので、その時の様子が思い出されます。もちろん彼女の家も基礎しか残っていません。その瞬間、息苦しいような感覚に吐きそうになりました。いままで見て来た、知らない風景の被災地とは一線を画します。その場所に住んでいない人間でさえ、瓦礫の中で風景を思い出し、ちょっとした思い出をそこに重ね合わせて、あまりのひどさに戸惑います。その苦しさは少し方向性が違いますが失恋に近いような感じです。

その後、自然と考える事は、「ここに住んでいた人々はこの風景をみてどんな気持ちになるのか」ということでした。それを考えると気持ちがあまりに沈みそうなので、その場から帰路につき、その道中で再び考えてみました。よみがえる思い出の量がそもそも違います。考えてみてください、自分の通った学校が消え、家も、近所も、そして人も消えてしまっているのです。家財もないのですから、PCに入っている写真のデータどころか、卒業アルバム、先祖の写真や遺影、何もないのです。そのむなしさはきっと、家族失うときと同じような感情ではないのでしょうか。

少ししっている被災地にいって、ニュースなどで流れる「心のケア」の必要性が改めてわかった気がします。おそらく、普通に生活している分にはそこまで思い出さないけれど、一度考え始めたらとめどないセツナさに潰されそうになるのだと思いました。わたしにもっと文章を書く力があれば、この気持ちを世界に配信したいものです。犯罪なんてなくなりますね。知り合いに津波の被害をうけた人がいたら、卒業アルバムのコピーでも渡してあげたらいいのではないでしょうか。はじめは戸惑うかもしれませんが、いつか失った一部を取り戻したような晴れ渡った気分になれるかもしれません。



しめちゃん、誕生日おめでとう。