第2ラウンド、ソ連は「南アフリカの動揺」をイベントで使用。
サンシティなんかに行くものか

サンシティなんかに行くものか
アメリカは何でもすると約束した
協調路線がレーガンのプラン
何もしないのが外交だなんて
きっと悪いジョークにちがいないぜ
サンシティなんかに行くものか
https://youtu.be/X36NC-mIbq0
1985年、イギリス・アメリカのアーティストたちが集まり、合衆国政府の対南ア外交方針を「人種隔離政策を容認するものである」として痛烈に批判した。88年南アフリカでクーデター発生。
ソ連は南アフリカ2:3とボツワナ0:2に影響力を配置した。
アメリカはすぐに反撃。「亡命者」でアンゴラにクーデターをおこす。サイコロは3で成功。アンゴラは1:1、デフコンレベルは2となった。
これで双方ともにアフリカでクーデターをおこせなくなった。第3ラウンド、ソ連は「核実験禁止条約」をポイントで使用。
南アフリカ2:5、アンゴラ1:2、ザイール1:2を支配下に、アフリカのスコアリングを2:8とした。
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