昭和34年5月6日は、私の父の命日だった。
26歳の私は息子を身ごもっていて、出産予定日が11日のため、万が一
を考えて、お葬式には出られないため、3歳の娘を連れてお花を持って
タクシーで早朝実家へ帰った。最後のお別れをした父は、まだ59歳の
若さであまりにも早く亡くなった。あれから57年過ぎ、私達も高齢になり
二人ともいつ死んでも当然な年齢になった。
1日早く地下鉄白金高輪駅近くの実家のお墓参りをしたが、墓地は最も
高台の一等地にあり、代々住職のお墓と並んで建っている。
多分昔に山を切り開いて作ったのだろうが、その急で高い石段を上るのは夫に
とっては、年ごとに大変になるようだ。手すりにしがみつくようにして上まで
登ったが、そこにある水道から手桶で水を持って行くことができない。
私が手桶の水を持ったのは今年初めてなので、改めで夫の老化を痛切に感じた。
あんなに健脚で歩くのが早かったし、力持ちで何でもやってくれて、頼りがい
のある人だったのにと、改めて夫をしみじみ見た。
月日の流れは恐ろしいように早い。この7月に86歳になる夫と、いつまで
一緒に暮らせるかと思うと、その日その日がたまらなく愛しい。
昨夜テレビ番組でアメリカから来た博士が「認知症を改善する画期的な方法」
を紹介していた。その中の食事法は、毎日我が家で手作りする食事に酷似して
いて、彼が8年目にしてこの精神状態をキープできるのは、私がいろいろ工夫
している食生活が、もしかしたら相当効果があるのではと思った。
昨日サトイモ、シイタケ、生揚げを煮たので、私の味付けが大好きという友人に
「良かったどうぞ」とメールした。すると、今年一番に咲いたアジサイに、愛らしい
バラを添えて届けてくれたが、あまりに可愛らしくしばらくじっと眺めた。
26歳の私は息子を身ごもっていて、出産予定日が11日のため、万が一
を考えて、お葬式には出られないため、3歳の娘を連れてお花を持って
タクシーで早朝実家へ帰った。最後のお別れをした父は、まだ59歳の
若さであまりにも早く亡くなった。あれから57年過ぎ、私達も高齢になり
二人ともいつ死んでも当然な年齢になった。
1日早く地下鉄白金高輪駅近くの実家のお墓参りをしたが、墓地は最も
高台の一等地にあり、代々住職のお墓と並んで建っている。
多分昔に山を切り開いて作ったのだろうが、その急で高い石段を上るのは夫に
とっては、年ごとに大変になるようだ。手すりにしがみつくようにして上まで
登ったが、そこにある水道から手桶で水を持って行くことができない。
私が手桶の水を持ったのは今年初めてなので、改めで夫の老化を痛切に感じた。
あんなに健脚で歩くのが早かったし、力持ちで何でもやってくれて、頼りがい
のある人だったのにと、改めて夫をしみじみ見た。
月日の流れは恐ろしいように早い。この7月に86歳になる夫と、いつまで
一緒に暮らせるかと思うと、その日その日がたまらなく愛しい。
昨夜テレビ番組でアメリカから来た博士が「認知症を改善する画期的な方法」
を紹介していた。その中の食事法は、毎日我が家で手作りする食事に酷似して
いて、彼が8年目にしてこの精神状態をキープできるのは、私がいろいろ工夫
している食生活が、もしかしたら相当効果があるのではと思った。
昨日サトイモ、シイタケ、生揚げを煮たので、私の味付けが大好きという友人に
「良かったどうぞ」とメールした。すると、今年一番に咲いたアジサイに、愛らしい
バラを添えて届けてくれたが、あまりに可愛らしくしばらくじっと眺めた。