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お気入俳人の俳句鑑賞します。
多側面から俳句を分類します。
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俳句の箱庭

「箱庭へ風の粒子の粗く吹く」(透次) ◯浮かんだときが作るとき。作ることに無理はしないように。 ◯各俳人の情報は書籍・ネット他で一般に公開されたものから得ています。各俳人の情報は最新でない場合があります。各俳人の敬称略させていただきます。Tweet句については作者の承諾を得ていませんが、営利目的の要素はありませんのでご了承ください。 ◯「俳句の箱庭」ヽ(^ι_^)ゞノ♪透次

●色彩俳句016・黄03・与謝蕪村

2010-11-10 18:17:34 | 色彩俳句

○色彩俳句016・03・与謝蕪村

○「山は暮て野は昏の薄哉」(与謝蕪村1)

○季語(薄・三秋)

【鑑賞】:この句は山と野との対比を詠んでいます。蕪村の得意とする大景の描写です。画家としてのすぐれた能力が句にも生かされています。秋の陽の落ちるのはあっという間です。山の方はすでにとっぷりと暮れて、平野は薄が黄昏れの色に輝いています。

 

与謝蕪村(よさぶそん)(1716~1783)

○好きな一句:「菜の花や月は東に日は西に」2

○季語(菜の花・晩春)

【Profile】:江戸中期の俳人・画家。摂津国毛馬(大阪市)の出身。姓は谷口、のち与謝(よさ)を名のる。門下からは→高井几董(きとう)・江森月居らがでた。また上田秋成との交遊も知られている。わかいころ江戸にでたが、1751年(宝暦元)に京にのぼった。54~57年に丹後国宮津、66~68年には讃岐国に滞在した。1766年(明和3)、→炭太祇・→黒柳召波らと「三菓社」を結成して俳人として活動、さらに尾張国の→加藤暁台、伊勢国の→三浦樗良らとまじわり、俳諧の「中興期」とよばれる安永・天明期(1772~89)を代表する俳人となった。忌日の季語は「蕪村忌・春星忌(陰12.25冬)」。

与謝蕪村掲載句

03窓の人むかし顔なるしぐれかな(しぐれ・初冬)〈方法22・冷凍保存3〉2010/12/23     

04四五人に月落かゝるおどり哉(おどり・初秋)〈方法54・冷凍保存5〉2011/8/18

05橋なくて日暮んとする春の水(春の水・三春)〈特集75・言葉(橋)1-4〉2012/5/4

06うつくしや野分の後のたうがらし(野分・仲秋)〈特集310・美し俳句〉2016/10/21

07身にしむや亡妻の櫛を閨に踏(身にしむ・三秋)〈五体・身体〉2017/9/4

08おろし置笈に地震なつ野哉(なつ野・三夏)〈五感483・振動覚2〉2020/6/15

09ほととぎす平安城を筋違に(ほととぎす・三夏)〈五感483・振動覚2〉2023/5/19

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