乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

今日はテレビで  『恋飛脚大和往来~新口村』(1982年)を見るよ☆

2014年02月20日 | 舞台・音楽 雑感メモ
   (京都  金戒光明寺の山門)



 今日は衛生劇場で、今月二度目
    『恋飛脚大和往来~新口村』(1982年)がありますね^^


 出演の役者さんは

    二世中村鴈治郎さん 
    中村扇雀(現・坂田藤十郎)さん 
    實川延若さん


 

    前回も見たけれど、この舞台は今一度、見たい!
    演じられた役者が、時代が心にしみ込む。
    窓から、温かな光が差し込むようだ。


 

    関西に住み、わたくしの描く歌舞伎を見られない昨今
    テレビで歌舞伎座などの芝居を見ることができると
    救われる気がする。

    本当は遠征もしたいし
    東京の諸劇場で生きた舞台を見たいけれど、無理。
    テレビは救世主だと手を合わす。





    オペラや歌舞伎の様子を紹介して下さっている某ページ☆
    彼女のページに救われます。楽しませて頂いています。
    ありがとう!ありがとう! ありがとう!
    



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京都  金戒光明寺の山門や御影堂   (8景)

2014年02月19日 | お出かけ




  金戒光明寺の山門


 

 

 

 
 内部
 撮影可


 
 左が上…とはいえ
 上下左右正しくUPしています^^
 とても美しいフォルムでしょう!^^!
 子供たちが遊び、生活にとけ込んだ、きれいな山門です。


 
 金戒光明寺の山門近くには、黒谷幼稚園がある。
 ちょうどお母さん方のお迎えのお時間と重なった。
 山門では子どもたちが多く遊んでいた。


 わたくしが通った幼稚園は、お寺だった。
 子供の頃、お寺のお友達も多かった。
 お友達のお寺には数えきれないくらい訪れた。
 どのお友達のお家もみんなで本堂で走り回って遊んでいた。
 木魚をたたいてもしかられなかった。

 写真のような光景は、なんだか、懐かしい感じがする。


 
 金戒光明寺の御影堂
 
 
 金戒光明寺の御影堂の階段を歩かれる御婦人たち
 こういった景色も懐かしく思う。




 誰しも懐かしく思う地があると思う。
 その土地を離れて暮らしていると、その気持ちはひとしお大きいと聞く。
 人は懐かしい場所を歩くと、心がときめくようだ。
 今年は数多く京都に帰ろうと思う…。








 昨日は454人の方にお越しいただいておりました。

2014.02.18(火) 2911 PV 454 IP 1668 位 / 1989569ブログ
2014.02.17(月) 2682 PV 426 IP 1891 位 / 1989144ブログ
2014.02.16(日) 3649 PV 439 IP 1877 位 / 1988837ブログ
2014.02.15(土) 3174 PV 427 IP 1903 位 / 1988578ブログ
2014.02.14(金) 2969 PV 421 IP 1899 位 / 1988268ブログ
2014.02.13(木) 3070 PV 417 IP 1898 位 / 1987879ブログ
2014.02.12(水) 2688 PV 405 IP 1823 位 / 1987483ブログ
コメント (2)
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315

2014年02月19日 | ことのは
   (東京国立博物館所蔵)  


 2月19日

 2月19日
 グレゴリオ暦で年始から50日目にあたる。
 年末まであと315日

 わおん~~
 年末まであと
    315ニッティ
   315ビッチ
  315日
 315

   315


 315っていう数字、
 なんだかカッコよくない?






 315
 語呂合わせで
 サイコー
   ナァンて、言ってませんってば!

 奇数の組み合わせ方が、かっこいいじゃん!



      ただ、それだけ


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30: 『名作歌舞伎全集第十九巻』から「どんつく(神楽諷雲井曲毬 かぐらうたかもいのきょくまり)

2014年02月18日 | 名作歌舞伎全集/古典文学全集(浄瑠璃含)、歌舞伎関係本
  (東京国立博物館所蔵)


   30: 『名作歌舞伎全集第十九巻』から「どんつく(神楽諷雲井曲毬 かぐらうたかもいのきょくまり)」



 「どんつく(神楽諷雲井曲毬 かぐらうたかもいのきょくまり)」
  上下 解説      264-265 郡司正勝
  上下 菅原伝授手習鑑 266-271  

 東京創元社
 昭和44年



 テレビで「どんつく」で見た直後、『名作歌舞伎全集第十九巻』から「どんつく(神楽諷雲井曲毬 かぐらうたかもいのきょくまり)」を読む。
 これまでのテレビ鑑賞記録でも相当な過激さを匂わせていたこともあったかもしれない(笑)が…
 あら!あそこも。まぁ!これも!なぁんて思っている以上に言葉遊びの激しい〈御SUKEBE 〉ぶりでございました^^
 でもあけえら感としていて、おめでたくって、大神楽など日本のこういった昔あった大道芸もいいなと思うのでした。
 その楽しさを見事に表情にあらわしておられたのが、仁左衛門丈と福助さん。
 三津五郎さんの踊りのお上手さや滑稽な踊りを見ると余韻が残り、今日は大変時間がせいているわたくしなのでありますが、『名作歌舞伎全集第十九巻』からこの部分「どんつく(神楽諷雲井曲毬)」だけを楽しんだのでございましたとさ。


 千代の縁(えにし)を結びの神の、仲人島台、梅松茸(うめまつたけ)の、杯は、うれしい仲じゃないかいな。悪魔降伏千代万歳(ちよばんざい)、めでたき春と祝しける。
  トよろしくあって皆々引き張りの見得、
  通り神楽にて拍子。

                 幕
 (271ページ)


        めでたしめでたし
        
 


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『神楽諷雲井曲毬~どんつく』(かぐらうたかもいのきょくまり)三津五郎 仁左衛門

2014年02月18日 | TVで 歌舞伎・能楽
 (東京国立博物館所蔵)



 『神楽諷雲井曲毬~どんつく』(かぐらうたかもいのきょくまり)」



 これまでに何度もテレビで見ている『神楽諷雲井曲毬~どんつく』
 楽しくて滑稽でずいぶんエロチックな言葉と踊りとリズム…
 仁左衛門丈がめっちゃかっこう良くて大神楽を見る目が優しくって…
 三津五郎さんの踊りが楽しくってお上手で…
 團十郎は漫画!のように滑稽で…
 
『神楽諷雲井曲毬~どんつく』は満足☆満足☆

 これまでから『神楽諷雲井曲毬~どんつく』は一緒におどりたくなるようなはやる心を抑えねばならないくらいに好きなんだよ。

 ずいぶん江戸らしくって、
 本日6月までしか読めなかったけれど『絵本江戸風俗往来』(東洋文庫)を思い浮かべながら、『神楽諷雲井曲毬~どんつく』を見たんだよ^^

 舞台『神楽諷雲井曲毬~どんつく』を見た後は仁左衛門丈と三津五郎さんの踊りと「どんつく(踊り)」を見る福助さんのお優しい目の表情が心に残っていて、『名作歌舞伎全集第十九巻』「どんつく(神楽諷雲井曲毬 かぐらうたかもいのきょくまり)」を読んだよ。 

 思っている以上に言葉遊びの激しい〈御SUKEBE 〉ぶりでございました^^
                       あなかしこ





本編尺:45分
製作年:2010年
出演:市川團十郎 坂東三津五郎 中村梅玉 中村魁春 中村福助 坂東巳之助 坂東小吉 中村錦之助 坂東秀調 市川左團次 片岡仁左衛門

多くの参詣人で賑わう亀戸天神の境内。その中でひときわ人目をひくのが、太神楽の親方鶴太夫と太鼓打、荷物持ちのどんつく。江戸っ子らしい親方のきびきびとした動きと、田舎者のどんつくのしぐさが人々の笑いを取り、曲芸を見せる太神楽で盛り上がる。
『どんつく』は七世三津五郎をはじめ、八世、九世三津五郎が得意とした華やかな常磐津の舞踊作品。それを当代三津五郎、團十郎、仁左衛門といった豪華な顔ぶれが賑やかに踊る。七世・八世・九世三津五郎の追善狂言として故人の面影を偲ぶ一幕でもある。(2010年/平成22年10月・新橋演舞場)










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29: 『絵本江戸風俗往来』(東洋文庫)再読  1月~6月まで

2014年02月18日 | 古典全般(奈良〜江戸時代)



 29: 『絵本江戸風俗往来』(東洋文庫) 20版

 2012年4月14日に読了した『絵本江戸風俗往来』(東洋文庫)をもう一度丁寧に読む。今日はこの本と格闘して楽しんでいるが、今のところ、6月(133ぺーじまで)。只今、夕刻の6時前なので、本日中に読み終えるのは、無理かもしれない…。


 以前に読んだ記録(写真つき) 9版
    ↓
 57: 『絵本江戸風俗往来』菊池貴一郎著 鈴木棠三(とうぞう)編 東洋文庫50



『絵本江戸風俗往来』メモ
 
 1月
 正月:恵方に向かって、水を汲む。 
 発風呂:湯屋の二階
     二階の石榴口も負わす
     ↓
     桜湯 
 初結;髪結床
    廻り  (『髪結新三』はこちら^^)
 歌留多遊び; 四十八字とは無関係の物あり
        ことわざなど  例「はなより」「だんご」
 
 2月から6月
 興味深いことが多くかかれているが時間の関係上省略。


 ただし…
 3月 「御女中芝居見物」 のみ 写真  (72,73ページ)
 







 東洋文庫  50
 平凡社東洋文庫

『江戸府内絵本江戸風俗往来』
 袋綴活字 (二段組・石版刷  二冊本)

 菊池貴一郎著




 鈴木棠三とうぞう編
 静岡県生まれ。國學院大學国文科卒業。國學院大學講師などを務め、近世の文芸を中心として多くの著書・編纂を残した。
俗語 語源散歩 東京堂 1961
ことわざ歌留多 東京堂 1961
しゃれ 東京堂 1961 「日本語のしゃれ」講談社学術文庫
ことわざ処世術 東京堂 1962
なぞの研究 東京堂 1963 のち講談社学術文庫 
対馬の神道 三一書房 1972
安楽庵策伝ノート 東京堂出版 1973
今昔いろはカルタ 世渡りの知恵・ことわざ 錦正社 1973
近世紀行文芸ノート 東京堂出版 1974
ことば遊び 1975 (中公新書) のち講談社学術文庫 
日本年中行事辞典 角川書店 1977.12 (角川小辞典)
私家版金具屋年代記 1978.6
日本俗信辞典 動・植物編 角川書店 1982.11
狂歌鑑賞辞典 角川書店 1984.8 (角川小辞典)
日本のなぞなぞ 万葉から江戸時代まで 1986.10 (岩波ジュニア新書)
醒睡笑研究ノート 笠間書院 1986.12 (笠間叢書)
説話民謡考 三一書房 1987.12
鎌倉への道 三一書房 1988.6
俳諧の系譜 その笑い 1989.5 (中公新書)
語源散策・相合い傘 創拓社 1990.7
藤岡屋ばなし 江戸巷談 正続 三一書房 1991-92 のちちくま学芸文庫 
中世の笑い 秋山書店 1991.12
日常語語源辞典 東京堂出版 1992.6
言葉と名前 秋山書店 1992.12








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菅原道真 4  メモ

2014年02月18日 | 菅原道眞
(先日ふった雪は、すっかりとけました。今日はフキが元気に頭を上げています。春よ、こい!です。)



  菅原道真 4  メモ


 東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ  菅原道真 その1
 菅原道真 (菅原 道眞)  その2 秀才道真、業平と親交が深かったか…
 27;東風吹かば… 春を忘るな・(春な忘れそ) 『大鏡』『拾遺和歌集』菅原道真 その3


北野天満宮所蔵『北野天神縁起絵巻〈承久本〉』「平成記録本」全9巻 京都文化博物館 京の至宝と文化

乱読記録2012年97:『日本絵巻大成21 北野天神縁起「承久本」』解説/ 岩波古典『菅原文草 菅家後集』

『天神縁起の系譜』「北野天神絵巻」(承久本)から巻一、巻二 須賀みほ編



 菅原道真メモ
    『太平記 一』
    『神道集』
    『寺社縁起』



 先日は菅原道真の日を過ごした。
 その後もマイ道真ブームはつづいている。

 寒いので外出を控えている。
 家の本を手に取って遊んでいると、菅原道真の本が結構多いことに気づく。

 古典文学大系の中には多く出てくるし、直接の名前がついてない物でも『太平記』や『神道集』などなど
 おまけに先日図書館でお借りした『寺社縁起』も我が家の本棚の片隅に鎮座していた。(『寺社縁起』には「北野縁起」などが所収されている。)

 只今もいつもの通り興味のある本を数冊以上併読し、積ん読開く時間切れ積ん読開く力不足…みたいな日々を送っている。

 なぜ世の中にはこのように面白そうな本や美術や舞台や映画や音楽が多いのん?
        と、頭をかかえ時間を欠く。

 楽しい時間を過ごすはいいが、時間が足りず困った困った駒左衛門。


 道真とは無関係だが、とりあえず今日は『絵本江戸風俗往来』(東洋文庫)を読もう!と、心に決める☆





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1966年よりカッパドキアへ古代オリエント美術調査団の一員だった柳宗玄の誕生日

2014年02月18日 | 乱鳥徒然 Rancho's room.
    (写真は天神祭 船能 「羽衣」)






 柳宗玄
 1917年2月18日柳 宗玄の生まれた日

 柳宗玄(やなぎ むねもと、1917年2月18日 - )
 美術史家。
 お茶の水女子大学名誉教授。

 父は民藝運動で著名な柳宗悦で、次男。母は声楽家の柳兼子、妻は志賀直哉の四女・万亀子。

  柳宗玄は東京生まれ、白樺派運動の中心にいた父 柳宗悦の下で幼少期より芸術活動に触れていた。



 父 柳宗悦
 民芸運動
 1926年(大正15年)、「日本民芸美術館設立趣意書」の発刊により開始された、日常的な暮らしの中で使われてきた手仕事の日用品の中に「用の美」を見出し、活用する日本独自の運動。
 21世紀の現在でも活動が続けられている。
 雑誌『白樺』の同人であり西洋近代美術の紹介者でもあった柳は、1914年(大正3年)、朝鮮陶磁研究家の浅川伯教との出会いを通じて朝鮮の美術に関心をもつようになり朝鮮王朝時代の白磁、朝鮮民画、家具などの素朴な美を世に紹介することに努めた。

 1923年の関東大震災の大被害を契機として京都に居を移した柳は、濱田庄司、河井寛次郎らとともに、いわゆる「民芸運動」を展開した。
 柳、濱田、河井らは、当時の美術界ではほとんど無視されていた日本各地の日常雑器、日用品など、無名の工人による民衆的工芸品の中に真の美を見出し、これを世に広く紹介する活動に尽力した。
 柳はこうして収集した工芸品を私有せず広く一般に公開したいと考えていた。


 白樺派(しらかばは)とは
 1910年(明治43年)創刊の同人誌『白樺』を中心にして起こった文芸思潮のひとつ。
 また、その理念や作風を共有していたと考えられる作家達のこと。
 作家では有島武郎、木下利玄、里見弴、柳宗悦、郡虎彦、長與善郎の他、画家では中川一政、梅原龍三郎、岸田劉生、椿貞雄など
 大正デモクラシーなど自由主義の空気を背景に人間の生命を高らかに謳い、理想主義・人道主義・個人主義的な作品を制作した。人間肯定を指向し、自然主義にかわって1910年代の文学の中心となった。
 写実的、生活密着的歌風を特徴とするアララギ派と対比されることもある。



 柳宗玄は1966年よりトルコのカッパドキアへ古代オリエント美術調査団の一員として参加。
 1972年『ロマネスク美術』(学研)の編集で毎日出版文化賞受賞



 今日2月18日は柳宗玄氏の誕生日
 そんなこんなの日で、お誕生日おめでとうございます。
 
 さ!!家事の続きをしましょうっと^^
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28:『篠山本鼠草紙』絵巻の文字がすべて読める 愛原豊 著 三弥井書店(写真7枚)

2014年02月17日 | 草双紙:洒落本、仮名草子、黄表紙、黒本、赤本、合巻 等




 28:『篠山本鼠草紙』絵巻の文字がすべて読める 愛原豊 著 三弥井書店  (7枚)



 2012年2月2日に楽しんだ『篠山本鼠草紙』を本日読了。
 前回は【ねんねんねこ…】など、言葉遊びの部分に興味を持っていたようだ。
  前回 →『篠山本鼠草紙』絵巻の文字がすべて読める

『篠山本鼠草紙』はその後も何度か手に取っていて、親しみを持つ絵巻物の一つ。
『篠山本鼠草紙』は著者である 愛原豊先生の解説や編集のとられた方法や絵巻物の見方が詳しくわかりやすい。
 わたくしは2012年に絵巻物(本)としては『篠山本鼠草紙』を始めて読み楽しんだので、絵巻物を好きになったのだと感じる。
  愛原豊先生には感謝しつつ、今回改めて『篠山本鼠草紙』を(わたくしなりに)味合わせて頂いた。ありがとうございました。

 

『篠山本鼠草紙』は筋書きの展開も絵も大変面白い。
 言葉は面白く、絵も思わず微笑んでしまい、何度も何度も見てほくそ笑んだ。

 その中から一部紹介。
 ここからはほとんど、解説無しにて失礼申し上げます。

  
 で面白くて、思わず吹き出しそうになりました…^^


 
 
 悟りを開いて何もしないとはいえ…
 はじめは猫の顔^^
   
 
 ふたり一緒に旅し、高野山に着くと…
   
 
 鼠に歩み寄ったような穏やかな顔

 

 遠くから見ると本坊(?)の屋根は
 
 猫の顔
   
 
 拡大すると、鬼瓦でした^^

 

 
 
 上; 篠山本
 中; サントリー本
 下; 東博本    (125ページ)


     

 愛原豊氏  (1933-)

 1933年、兵庫県朝来市に生まれる。公立小・中学校教諭を経て、後半は学校法人親和学園(親和女子高等学校・親和中学校)教諭。1998年退職。所属:日本語学会(旧名、国語学会)、日本語文法学会(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
『絵巻の文字がすべて読める篠山本鼠草字』より


 愛原豊 タイトル 著作者等 出版元 刊行年月
篠山本鼠草紙(ねずみのそうし) : 絵巻の文字がすべて読める 愛原豊 著 三弥井書店
2010.11
体験ばなし自費出版 愛原豊 著 交友プランニングセンター
友月書房
2007.4
中学校国語教育の豊かな世界 愛原豊 著 友月書房
2002.6
小学校絵を見て学ぶ国語教室 愛原豊 著 友月書房
2001.5
一辞書の運命 : 国学者後藤奈牙遠の業績 後藤教子, 愛原豊 編 交友プランニングセンター
後藤教子
2000.8
日本語の機能構造 愛原豊 著 くろしお出版
1999.11
現代日本語の構文 : 国語教育のための基礎研究 愛原豊 著 創造社
1976
風といちじく 愛原豊 著 四季書房
1960


     


『篠山本鼠草紙』メモ
  『日本古典文学全集 36 御伽草子集』「鼠の草子」(サントリー本)
   残念なことに、『岩波古典文学大系 御伽草子』には 「鼠の草子」はなかった。
  『岩波古典文学大系 御伽草子』には「猫草子」が所収されていた。
  「猫草子」のあらすじはまだ知らない^^
コメント (2)
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27;東風吹かば… 春を忘るな・(春な忘れそ) 『大鏡』『拾遺和歌集』菅原道真 その3

2014年02月17日 | 菅原道眞
  (北野天神縁起絵巻 平成記録本 巻9 白描)



『大鏡』(岩波古典文学体系21)、『拾遺和歌集』(新岩波古典文学体系7)


 東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ  菅原道真 その1で書いていたことの続きです。

 
   東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな
        『拾遺和歌集』による表記。

   東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ
         後世、「春な忘れそ」とも書かれるようになった。





 私は 「春な忘れそ」で知っていたのですが、「春を忘るな」を読みたくて『拾遺和歌集』を見て見ると、載っていました。
 
     『大鏡』(岩波古典文学体系21  第二巻)

   ………御前の梅を御覧じて、
   在拾遺和歌集十六
   こちふかばにほいをこせよ、むめにはな、あるじなしとてはるをわするな」。
   又、亭子(宇多)のみかどにきこえさえ給、
   ながれゆくわれはみずとなりはてぬ、きみしがらみとなりてとどめよ」。

              (岩波古典文学体系21  72ページ)
               全文仮名
              ( 」。はママ)

 
 昨日夜中のこと。
 岩波古典文学体系や新岩波古典文学体系などの歌の巻のインデックスを見ていましたら、『拾遺和歌集』意外にも【春を忘るな】が見つかりました。
 
     『拾遺和歌集』(新岩波古典文学体系7 第十六巻)

   1006
   東風吹かば にほひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな
               (新岩波古典文学体系7 288)
               (『日本紀略』『大鏡』『時平伝』など)

          



 東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて春を忘るな
 東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ

     共に心にじんわりとこみ上げてくる物がございます。



 昨日2月16日の道真の旅立たれたと伝えられております日、わたくしは菅原道真の一日となってしまいました。
 今年の梅の候には京都に帰り、天神さんに行ってみたいなぁ~~~と、しみじみ思います。

     
 (写真は 京都、出町柳近く)






北野天満宮所蔵『北野天神縁起絵巻〈承久本〉』「平成記録本」全9巻 京都文化博物館 京の至宝と文化

乱読記録2012年97:『日本絵巻大成21 北野天神縁起「承久本」』解説/ 岩波古典『菅原文草 菅家後集』

『天神縁起の系譜』「北野天神絵巻」(承久本)から巻一、巻二 須賀みほ編




 昨日は439人の皆様にお越しいただいておりました。

日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2014.02.16(日) 3649 PV 439 IP 1877 位 / 1988837ブログ
2014.02.15(土) 3174 PV 427 IP 1903 位 / 1988578ブログ
2014.02.14(金) 2969 PV 421 IP 1899 位 / 1988268ブログ
2014.02.13(木) 3070 PV 417 IP 1898 位 / 1987879ブログ
2014.02.12(水) 2688 PV 405 IP 1823 位 / 1987483ブログ
2014.02.11(火) 2681 PV 415 IP 1919 位 / 1987122ブログ
2014.02.10(月) 2646 PV 433 IP 1658 位 / 1986766ブログ


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菅原道真 (菅原 道眞)  その2 秀才道真、業平と親交が深かったか…

2014年02月16日 | 菅原道眞
(『北野天神縁起絵巻〈承久本〉』より、道眞の死の場面)




 菅原道真(菅原 道眞)


 承和12年6月25日(845年8月1日)~延喜3年2月25日(903年3月26日))
 
 菅公、菅丞相、天神、天神様

 北野天満宮天神
 墓所 太宰府天満宮
 官位 従二位右大臣

 平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。

 忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇った。
 しかし、左大臣藤原時平に讒訴(ざんそ)され、大宰府へ権帥として左遷され現地で没した。

 死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となる。
 現在は学問の神として親しまれる。

 

 “平安朝きっての秀才”ということで今日では学問の神様だが、当時は普通の貴族であり、妾もいれば、遊女遊びもしているという伝承もあるが、定かでない。
 とりわけ、在原業平とは親交が深く、当時遊女(あそびめ)らで賑わった京都大山崎を、たびたび訪れているとあるが、確信はつかめない。『大鏡』(岩波古典文学体系21)によれば、業平や道真が大山崎にそのような歓楽街があったかどうかは記されてない。業平は道真より二十歳ほど年上だと思うのでm、接触があったのかもしれないが、これも知らない。日本古典大辞典全集巻3では道真がについて書かれているが、伝承ではなく、史実が淡々と記されている。よって上のことには、全くっ触れられてない。
 
 学問だけでなく、武芸(弓道)にも優れ、若い頃は都良香邸で矢を射れば百発百中だったという伝承もある。

(矢を射れば百発百中は、縁起絵巻の中にも出てくる^^よ

 北野天満宮所蔵『北野天神縁起絵巻〈承久本〉』「平成記録本」全9巻 京都文化博物館 京の至宝と文化
 乱読記録2012年97:『日本絵巻大成21 北野天神縁起「承久本」』解説/ 岩波古典『菅原文草 菅家後集』
 『天神縁起の系譜』「北野天神絵巻」(承久本)から巻一、巻二 須賀みほ編

 

 梅鉢紋

 生誕地は定かではない
 1;喜光寺(奈良市)の寺伝(道真は現在の奈良市菅原町周辺)
 2;菅大臣神社(京都市下京区)説
 3;菅原院天満宮(京都市上京区)説
 4;吉祥院天満宮(京都市南区)説
 5;菅生寺(奈良県吉野郡吉野町)
 6;菅原天満宮(島根県松江市)説
 7;余呉湖(滋賀県長浜市)の羽衣伝説では「天女と地元の桐畑太夫の間に生まれた子が菅原道真であり、近くの菅山寺で勉学に励んだ」と伝わる。


 道真は幼少より詩歌に才を見せる。
 貞観4年(862年)、18歳で文章生(もんじょうせい)

 【文章生】とは
 もんじょう‐しょう 〔モンジヤウシヤウ〕
 大学寮で文章道を専攻した学生。
 もんぞうしょう。もんじょうのしょう。(デジタル大辞泉の解説)

 貞観9年(867年)には文章生のうち二名が選ばれる文章得業生となり、正六位下に叙せられ、下野権少掾となる。貞観12年(870年)、方略試に中の上で合格し、規定によれば3階位を進めるべきところ、それでは五位に達してしまうというので1階のみ増して正六位上に叙せられた。翌年には玄蕃助、さらに少内記に遷任。貞観16年(874年)には従五位下となり兵部少輔、ついで民部少輔に任ぜられた。元慶元年(877年)、式部少輔に任ぜられた。同年に家の職である文章博士を兼任する。元慶3年(879年)、従五位上に叙せられる。仁和2年(886年)、讃岐守を拝任、式部少輔兼文章博士を辞し、任国へ下向。仁和4年(888年)、阿衡事件に際して、藤原基経に意見書を寄せて諌めたことにより、事件を収める。寛平2年(890年)、任地讃岐国より帰京した。

 これまでは家格に応じた職についていた道真は、宇多天皇の信任を受け、以後要職を歴任することとなる。皇室の外戚として権勢を振るいつつあった藤原氏に当時有力者がいないこともあり、宇多天皇は道真を用いて藤原氏を牽制した。
 寛平3年(891年)、蔵人頭に補任。ついで式部少輔と左中弁を兼務。翌年、従四位下に叙せられ、左京大夫を兼任。さらに翌年には参議式部大輔に補任。左大弁・勘解由長官・春宮亮を兼任。寛平6年(894年)、遣唐大使に任ぜられるが、道真の建議により遣唐使は停止された(延喜7年(907年)に唐が滅亡したため、遣唐使の歴史にここで幕を下ろすこととなった)。寛平7年(895年)には近江守を兼任し、従三位権中納言に叙任。春宮権大夫を兼任。長女衍子を宇多天皇の女御とした。伊香具神社の社伝によれば、法華経や金光明経を手写して納経したという。翌年、民部卿を兼任。寛平9年(897年)には三女寧子を宇多天皇の皇子・斉世親王の妃とした。同年、宇多天皇は醍醐天皇に譲位したが、道真を引き続き重用するよう強く醍醐天皇に求め、藤原時平と道真にのみ官奏執奏の特権を許した。正三位権大納言に叙任し、右近衛大将・中宮大夫を兼任する。またこの年には宇多天皇の元で太政官を統率し、道真とも親交があった右大臣源能有(文徳天皇の皇子・宇多天皇の従兄弟)が薨去している。
 醍醐天皇の治世でも道真は昇進を続けるが、道真の主張する中央集権的な財政に、朝廷への権力の集中を嫌う藤原氏などの有力貴族の反撥が表面化するようになった。
 また、現在の家格に応じたそれなりの生活の維持を望む中下級貴族の中にも道真の進める政治改革に不安を感じて、この動きに同調するものがいた。
 昌泰2年(899年)、右大臣に昇進し右大将を兼任。翌年、三善清行は道真に止足を知り引退して生を楽しむよう諭すが、道真はこれを容れなかった。昌泰4年(901年)、従二位に叙せられたが、斉世親王を皇位に就け醍醐天皇から簒奪を謀ったと誣告され、罪を得て大宰権帥に左遷される。
 宇多上皇はこれを聞き醍醐天皇に面会してとりなそうとしたが、醍醐天皇は面会しなかった。
 長男高視を初め、子供4人が流刑に処された(昌泰の変)。
 この事件の背景については、時平による全くの讒言とする説から宇多上皇と醍醐天皇の対立が実際に存在していて道真がそれに巻き込まれたとする説まで諸説ある。
 道真は延喜3年(903年)、大宰府で薨去し同地に葬られた(現在の太宰府天満宮)。道真が京の都を去る時に詠んだ「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」は有名。その梅が、京の都から一晩にして道真の住む屋敷の庭へ飛んできたという「飛梅伝説」も有名である。

 

『北野天神縁起絵巻』に描かれた、清涼殿落雷事件

 <菅原道真の死後、京には異変が相次ぐ。>
 1;道真の政敵藤原時平が延喜9年(909年)に39歳の若さで病死すると、醍醐天皇の皇子で東宮の保明親王(時平の甥・延喜23年(923年)薨去)
 2:その息子で皇太孫となった慶頼王(時平の外孫・延長3年(925年)卒去)が次々に病死。
 3:延長8年(930年)朝議中の清涼殿が落雷を受け、昌泰の変に関与したとされる大納言藤原清貫をはじめ朝廷要人に多くの死傷者が出た(清涼殿落雷事件)。 
 4:それを目撃した醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御した。

 これらを道真の祟りだと恐れた朝廷は、道真の罪を赦すと共に贈位を行った。
 子供たちも流罪を解かれ、京に呼び返された。

 清涼殿落雷事件(せいりょうでんらくらいじけん)とは
 清涼殿落雷事件(せいりょうでんらくらいじけん)は、平安時代の延長8年6月26日(ユリウス暦930年7月24日)に、内裏の清涼殿に落雷した事件。
 平安時代の延長8年6月26日(ユリウス暦930年7月24日)に、内裏の清涼殿に落雷した事件。

 清涼殿落雷の事件から道真の怨霊は雷神と結びつけられた。
 火雷天神が祭られていた京都の北野に北野天満宮を建立して道真の祟りを鎮めようとした。
 以降、百年ほど大災害が起きるたびに道真の祟りとして恐れられた。
 こうして、「天神様」として信仰する天神信仰が全国に広まることになる。
 やがて、各地に祀られた祟り封じの「天神様」は、災害の記憶が風化するに従い道真が生前優れた学者・詩人であったことから、後に天神は学問の神として信仰されるようになっている。

 

 芝居;『天神記』『菅原伝授手習鑑』『天満宮菜種御供』等

 






 『大鏡』(岩波古典文学体系21)、日本古典大辞典全集巻3ウィキペディア、絵巻物解説、デジタル大辞泉の解説など参考
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東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ  菅原道真 その1

2014年02月16日 | 菅原道眞


 

 901年2月16日
 901年(延喜元年1月25日)
 菅原道真が大宰府へ向けて出発する。

 おぉお~~~
 菅原道真が大宰府へ向けて出発された日なんだぁ~~


 東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな
         『拾遺和歌集』による表記。
          後世、「春な忘れそ」とも書かれるようになった。

 東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ  



北野天満宮所蔵『北野天神縁起絵巻〈承久本〉』「平成記録本」全9巻 京都文化博物館 京の至宝と文化

乱読記録2012年97:『日本絵巻大成21 北野天神縁起「承久本」』解説/ 岩波古典『菅原文草 菅家後集』


『天神縁起の系譜』「北野天神絵巻」(承久本)から巻一、巻二 須賀みほ編

 






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Nirvana  ニルヴァーナ・涅槃    Smells Like Teen Spirit 2月15日 涅槃会

2014年02月15日 | ことのは




      Nirvana  ニルヴァーナ・涅槃




 (本来は)旧暦2月15日

 涅槃会
 釈迦の入滅の日に行われる法要。本来は旧暦2月15日。

 涅槃会(ねはんえ)とは
 涅槃講や涅槃忌とも称す。
 陰暦2月15日、釈迦の入滅(にゅうめつ)の日に、日本や中国などで勤修される、釈迦の遺徳追慕と報恩のための法要。
 一例として、奈良の法隆寺で本日の午後1時半から、涅槃会が行われた。
 現在では、3月15日に行なわれているところもある。

 涅槃とは、ニルヴァーナの訳語。

 釈迦が亡くなったという意味で用いられる。

 釈迦は娑羅双樹の下で涅槃に入った際の、頭を北にして西を向き右脇を下にした姿で臥し、周囲に十大弟子を始め諸菩薩、天部や獣畜、虫類などまでが嘆き悲しむさまを描いた仏涅槃図(涅槃図)を掲げ、『仏遺教経』を読誦することとなっている。
 仏涅槃図の絵解きを行うところもあるらしい。
 平安時代には、山階寺の涅槃会がとりわけ有名であり、常楽会(じょうらくえ)とも称されており、『三宝絵』の中でも「年中主要法会」の一として記されている。



 ニルヴァーナとは
 サンスクリットの仏教用語で、涅槃 (Nirvana) のこと。→涅槃

 本件「涅槃会」からは外れるが、ニルヴァーナ (Nirvana アメリカのバンド)のボーカルの声はずいぶん前から好きで度々聞いている。
 涅槃 (Nirvana) の意味そのものの意味合いと、「生け贄」という意味合いを持ってバンド名を名付けたことを今日知った(笑み)

 
 Nirvana - Smells Like Teen Spirit



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つの出せやり出せ、スコップを出せ        雪の翌日に

2014年02月15日 | 乱鳥徒然 Rancho's room.



 あらら あらまぁ さぁたいへん
 初めての雪、大雪小山
 雪かき汗かき時間がかかり、
 給湯器は埋もれ、玄関に雪立ちはだかる
 まいった まいまいつぶりかたつむり
 つの出せやり出せ、スコップを出せ



          2月15日
  

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『道場破り』1964年 山本周五郎原作 長門勇 岩下志麻 左卜全 丹波哲郎

2014年02月15日 | 映画


  『道場破り』


本編尺:92分
製作年:1964年
監督:内川清一郎
脚本:小国英雄
原作:山本周五郎
出演:長門勇 岩下志麻 倍賞千恵子 丹波哲郎 殿山泰司 上田吉二郎 浜村純
松竹


 映画『道場破り』を見た。
 テレビなどで知った顔の役者が多く出ていたと思ったら、1964年の映画。
 山本周五郎作なのでかどうだか、筋書きも面白い。
 京都のどこかで見た風景が何度か出てきた。

 安宿屋での人情味は『どですかでん』を思い浮かべた。
 最後の果たし合いの場には鳥居が立てられ、境界線の向こうには石が積まれていた。
 仕官を目指すうちの一人は積まれている神域の石野山を崩し倒れ、つぶやいた。
「仕官……。」

 主役 長門勇さんの仕官という言葉で締めくくられ、余韻を残す。
 妻(岩下志麻さん)を連れての行く先の道は険しさを示す。
 三月にはテレビで『続道場破り』があるようなので、見られればいいなと感じた。

 長門勇さんがひょうひょうとしながらも、かっこ良かった。
 優しい人間役の長門勇さん、目の奥に潜んだ光は輝いていた。

 丹波哲郎さんが打って変わった美男子役で、決め台詞は対照的だった。
 それぞれにドラマがあり、好感が持てた。

 余談だが、主役の言葉の繰り返しである左卜全さんの
「憎みあってもいないのに…」
と台詞が心に響き、味わい深かった。


      おわりん



 落ちぶれ果てても武士の意地は捨てぬ! 破れ素浪人の怒りの必殺剣法!

 脱藩武士に迫る討手! 剣豪相討つ怒濤の対決! 果たして関所は越えられるか!?

 神道無双流の達人、三沢伊兵衛は、藩主から側室になるよう強要されていた家老の娘、妙を連れて脱藩出奔した。とある宿場町の旅籠に妙を匿い、石川八右衛門と名乗って木賃宿に潜む伊兵衛。関所を抜けるために十両の賄賂が必要だった。伊兵衛は止む無く武士の掟を破り、道場破りに手を染めた。ある日、別の道場を狙った伊兵衛は、謎の素浪人に先を越されてしまう。その男こそ、伊兵衛を追って旧藩が差し向けた刺客、大庭軍十郎である。源氏山権現の祭りの日、互いに素性を知らぬ二人は、賭け試合で宿命の対決をする。果たしていずれが勝ち残るか?







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