乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

父  ポジティブな考え方に故意に転じた言葉 「紺屋の明後日」

2014-02-10 | ことのは
   (京都 真如堂近くの民家)



 

「紺屋の明後日」という言葉がありますね。
 父は、私が幼い頃から「紺屋の明後日」という意味を正しく教えた上で、このように申しておりました。
 
 生粋の京都人の父は京都弁で次のように言っておりました。(が、ここではあえて京都弁を書きません。)

「紺屋の明後日の本当の意味は云々だけどね、そう考えてはいけないよ。紺屋の明後日というのは少し日にちを長めに伝えても、できるだけ早めく相手様に真心を込めてお世話する事だと考えるといいよ。お約束よりも早めに真心をお伝えするのが、人としての礼儀なんだよ。」
 この言い伝えは本来の意味を曲げてはおりますが、某氏を師事と仰ぎ、前向きで努力家の父らしい考え方だと今でも感じております。

 以前、冷泉貴実子さんの『冷泉家八〇〇年の「守る力」』 を楽しみましたおり、著者は「こーと」という言葉を何度も使っておられました。この「こーと」という語も、父が度々口に致しておりました言葉でございます。

 私は、わざとポジティブな方向に故意に転じ考えるように申した父の言葉「紺屋の明後日」と、人の深みを感じる「こーと」という言葉が、いまでも好きでございます。
   
 


コメント (2)
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1837年2月10日 プーシキンの亡くなった日

2014-02-10 | 乱鳥徒然 Rancho's room.



  1837年2月10日 プーシキンの亡くなった日





 2月10日 
 いやー!今日は、プーシキンの亡くなった日じゃないですか☆

 アレクサンドル・セルゲーヴィチ・プーシキン
  (ロシア語: Александр Сергеевич Пушкин)
 1799年6月6日(旧暦5月26日) - 1837年2月10日(旧暦1月29日))

 プーシキンは好きやわ^^




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素敵なおうち  (京都 真如堂近く神楽坂民家)(6景)

2014-02-10 | お出かけ




   素敵なおうち
 


 陽成天皇神楽岡東陵

 真如堂参  

 東北院裏 

  などのすぐ近くに、

 
 
    こんな民家があります。

 屋根瓦の一部なのでしょうか?
 鍾馗様でも大黒様でもありませんね^^

 私の心をくすぐり、どこか魅かれるおうちです。
 
 
 
 
 



   京都 真如堂近く神楽坂民家


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陽成天皇神楽岡東陵   京都府京都市左京区浄土寺真如町

2014-02-10 | お出かけ




    陽成天皇神楽岡東陵



 
 

 第57代 陽成天皇


 樂岡東陵
 京都府京都市左京区浄土寺真如町
 真如堂参道近く
 東北院裏

 

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真如堂【真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)】 (5景) 京都市左京区

2014-02-10 | お出かけ



 

 真如堂(しんにょどう)にいく。ここは以前にも記録させて頂いた。
 今回は外だけの記録。三重の塔が美しい。
 前回は涅槃の庭 を楽しませて頂いた。借景、枯山水の涅槃の庭はすばらしく美しかったことを覚えている。

 

 

 2012年、『続々日本絵巻大成5 清水寺縁起 真如堂縁起 』影印「清水寺縁起」上・中・下巻「解説」(7枚)を読んだが、『近世祭礼・月次風俗絵巻』「紀州和歌御祭礼絵巻」東方出版 2005 狩野博幸 山路興造 藤井健三の記録で私は、『続々日本絵巻大成5 清水寺縁起 真如堂縁起 』の「真如堂縁起」は文字が難しくお手上げだと書いていた。
 あれから一年半たった今のわたくしは、『続々日本絵巻大成5 清水寺縁起 真如堂縁起 』の「真如堂縁起」は読めるだろうか……。

「真如堂縁起」
「真如堂縁起」とは、永観2年(984年)、比叡山の僧である戒算が夢告により、比叡山常行堂の本尊阿弥陀如来を東三条院詮子(一条天皇生母)の離宮に安置したのが始まりといわれる。

 本尊の阿弥陀如来は「頷きの阿弥陀」とも呼ばれており、慈覚大師が「修行者を守護して下され」と祈ると首を横に振り、「衆生、特に女性をお救い下され」と祈ると頷いた、という伝説がある。

 

 真如堂(しんにょどう)
 正式には
   真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)
   京都市左京区
   天台宗の寺院
   本尊は阿弥陀如来

 


 紙本著色真如堂縁起・下巻
 紙本著色真如堂縁起 - 3巻。
 大永4年(1524年)。筆者は掃部助久国。上巻は、天台宗円仁ゆかりの本尊である阿弥陀如来像の由来、中巻は真如堂建立の由来や戒算・貞慶・法然などの逸話、下巻は応仁の乱以降の本尊の流転と再建の歴史が描かれている。詞書の起草者から筆者までの制作の事情がすべて明らかな稀有な絵巻物である。
木造阿弥陀如来立像 - 当寺の本尊。通称「うなずきの阿弥陀」と呼ばれる。像高108cm。様式検討から10世紀末、本堂創建当初からの像だと考えられ、平安中期まで坐像が多い阿弥陀如来像の立像としては現存最古例である。
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