小雨から霧雨に変わった龍田川の昼過ぎ。
すました顔で、静かな時を刻んでいた。
同一日の小雨の龍田川です ↓
http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/c0c92f792792f8cc3b32123e8dc8bd80
お昼、 一人で龍田川に行ってきました。
小雨が降っていて、情緒がありました。
大きな鯉たちが元気良くえさを探していました。
鴨は顔を羽に隠して休んでいました。
もみじを見る観光客も無く、近くにお住まいの方らしい買い物帰りの女性が歩かれているばかりです。
今回は静かな龍田川でした・・・・・・
2006’11’20
同一日の霧雨の龍田川です ↓
http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/82be16a2b06e993bca105494b1a5970e
11月18日。
奈良公園は落ち葉のじゅうたんでふわふわしていました。
鹿の角は切られて少し痛々しいのですが、冬に向かってけはふさふさしています。
鹿の放し飼いは外国の方たちには信じられない珍らしい光景といった言葉を耳にします。
この日も鹿を興味深く見つめておられる方たちも多かったようです。
2006’11’18
お昼に日月亭でもみじ会席をいただきました。
途中で『柿の田楽』、奈良らしいなと思い、ついつい ぽちっ。
合わせ柿を使用してありました。
柿のふた(頭)の方は焼いてありません。
日月亭はあまりおこぶやかつおのおだしは効いていませんでしたが、素材の生かされた味付けで、楽しい時間を過ごせました。
奈良金春会の定期会能のポスターが奈良公演付近の民家の軒先に張られていた。
11月19日・・・わたしたちが出かけた次の日なんだぁ~。
18日は奈良女大学能もほぼ終わりに近い時間、定期会能は明日。
博物館の正倉院店は12日までで終わっており、おまけに雨まで降っていた。
シルクロード交流館と博物館常設展が楽しかったことを考えると有意義な一日を送れたような気がする。
奈良国立博物館に行く途中、奈良県新公会堂の前を通る。
18日は十二時から奈良女の能楽クラブの発表の日だったようだ。
知らなかった・・・・・・
一度大学能を観てみたいと思い 京大の今月の二つ(十一日と十七日)はチェックしておいたのだが、見逃してしまっていた。
「みたかったね。」
と家族に言うと、彼は無言で助かったといった顔で笑みを浮かべてきた。
奈良国立博物館
シルクロード交流館のあとは奈良県新公会堂左横に位置する奈良国立博物館に行く。
博物館も関西文化の日(11月18・19日)とのことで入場料は無料。
但し目的の正倉院店は12日までだったことに気づいたのは三条通で前売り券を買おうとしたときだった・・・・・・ショック!
家族の
「また来年。」
なぁんてにっこり笑うところが、小憎らしい。
常設展はいつもは閑散としているのに、無料ということもあり人がいっぱいだった。
親子連れやカップル、学生や日本語の堪能な諸外国人、ご年配の方、一人でみる人、グループの人などさまざまだったのが印象的だ。
早足で二時間余まりはみてまわったが、まわり切れない。
半分くらい見たが勾玉や銅鑑は見ることできなかった。
四天王は姿も顔も好きだ。
「荒事の花道の決めのような仕草だね。」
とつぶやくと、
「カブキのほうが参考にしてるんじゃない・・・」
と一笑される。
キリリといい顔をした四天王のうちの一体があったので見入っていると、カブキ役者のナカムラカショウさんに似ていることに気づき、ほくそ笑む。
如来は美しい。
奈良の法隆寺や当麻寺、京都の妙法寺といった説明が気に掛かる。
みているとワクワクするが、二時間ではゆっくりみたという実感がない。
五時までといった制約の中で時間に追われ、館内をせかせかと歩いたといった感じがする。
欲求不満が残るほどに素晴らしい展示物が多すぎる。
やはり朝から行って、四日くらいかければ満足できるような気がする。
せっかく親切なある方にネットで教えていただいていた八窓庵に行くことができなかったこともとても残念だった。
次回は是非行ってお茶を頂こう・・・・・・
四時半にチャイムが鳴り、五時には後ろ髪を引かれながら奈良国立博物館を後にした。
ここはまた近いうち、きっとみに来るだろう・・・・・・
奈良国立博物館をみて、また京都の東寺の仏像がみたくなってきた。
同じ日にみた『シルクロード交流会館』の感想です ↓ 長文ですが悪しからず…
http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/1027ce100fd2fbd6110a4a57713305ca
シルクロード交流館
家族と日月亭で昼食を頂いたあと、シルクロード交流館に行く。
入り口で入場料を払おうとすると、
「今日は関西文化の日ですので、無料です。」
と案内される。
わたしたち夫婦はお礼を言ったあと、
『関西文化の日って一体なんなのだろう・・・』
と無言でお互いに目を合わせた。
さて会場はというとあまり広くはないが、貴重な展示品の数々に目を奪われた。
自分が見た各部屋毎の独断による好きな順で、印象的な展示品の一部を紹介したい。
まず一つ目の部屋。
真ん中のイランの大きな壺に目がいく。
時代の乗り越えて来たペルシャンブルーの大壺と素焼きの大壺はかけらがあるので馴染み深い。
ペルシャンブルーは深みの或る緑がかった色彩の方だった。
素焼きのとって部分の水玉模様はいつも見ているそれと同じで親しみ深い。
風に晒された遺跡の前に残っている大量の小さなかけらを思うと、大きな壺がこんなにもいい状態で修理され残っていることに驚きを覚える。
美しい・・・・・・
壺の下が二本の足の壺(イラン)があったので、砂漠にさして固定させるのかと思ったら、ジョウロの役目をする壺との事で、片方は穴を手でふたせねばならないらしい。
あくまでもわたしの推測だが 結構大きな壺だったので水を入れようとすると三人いるのではないだろうか・・・・・・
①穴二つを手でふせる人
②壺を倒れない朗に持つ人
③水を入れる人
美しい形だが、もし自分の体に立てかけて一人で水を入れたとしても 少々ロスが多い。
あたりは水びたしだ。
だが 一晩たって考えてみると・・・・・・(訂正部分)
二本の足部分を途中まで二重の構造ならば、水圧と外部の空気圧の関係で、水はこぼれないのかもしれない。
ただ、かなり時代をさかのぼることから考えて、そのような構造の壺を土で作って焼く知識と技術があったのだろうか・・・・・・
しかし、イラン人のことだから先祖がどのような高い技術と知能を持っていたとしても、不思議はないかも知れないと感じるから不思議だ。
真ん中あたりにはシリアの犬のモザイクがあった。
犬のモザイクは玄関などに飾るものらしく、この習慣はポンペイにもあったような気がする。
確かポンペイには『番犬』があったように憶えている。
イタリアとシリアは近いからこういう共通点があっても不思議ではない。
民話や伝説、映画にもなっていたのではなかったかな・・・・・・
シリアというと同室には頂いたパンフレットにも載っている『石製浅浮堀』の文様に興味を持った。
館内の説明では女性とも書かれていたが、
①台座の上に椅子を置いて座る
②右手は(乳)胸部の上
③冠と着衣の様子
など三点を考えると、おそらく『王』と考えるのが妥当であろう。
王が水タバコを吸っているのかと家族に問うと、紀元前800年頃にはタバコはなかったとのこと。重ねて『笛』だと説明。
はは~~ん、納得。
王が気持ちよく笛を吹いているその上に宿る幸福の鳥。後ろの丸は王の栄光を照らす太陽かな・・・・・・なんて一人重いの世界で遊んでいるとたちまち時間は過ぎてゆく・・・・・・この迷路のような時間が好きだ。
二つ目の部屋に入ると感じはまたがらりと変わる。
この部屋も先ほどと同様、好きな順に紹介したいと思います。
パンフレットの左横にはイランの12世紀頃のガラス(ワインを入れる容器)が展示されていた。
このガラスの色彩がまた美しい。
時の流れによって透明度を失われ、ガラスは一部分が銀化していた。
全体の色は薄いクリームのようなこもった黄色。
このグラスでワインを飲むのは御免こうむりたいなどと大それた妄想に駆られたことはさておき、このガラスの色の美し過ぎた。わたしはその宝物の前から暫く離れることはできないでいた・・・・・・
この部屋にはわたしの好きな『騎士獅子狩文様』(西トルキスタン又はアフガニスタン/7~8世紀)があった。
この文様はいつ見ても惚れ惚れするお気に入り。
この会館のものは騎士は髪型や着衣からみて女性のような感じのする騎士。珍しいなぁ。優しい表情と曲線の騎士とは裏腹に、獅子の口の中にまともに矢が刺さっているといったユニークさにたまらぬ魅力を感じる。
部屋の入り口の対角線の位置にはイランの土製の土偶とシリアの両方銅製の土偶があった。二つとも7~8センチ。この二点もとても素敵だった。
特にイランのものは顔が立てにつままれていただけ。この指で単純につままれた素朴さが表情を一層豊かのしていて、見飽きない。
独特の造形美にため息をついていた・・・・・・
部屋を入ってすぐ左には『印章』の数々。
ここはわたしの質問に対して、家族がいろいろと説明してくれたのでわかりやすかった。
あ、たまたまこの時はわたしたちの他に人がいらっしゃらなかったことを付け加えておきたいと思います。
左印章の次を折り曲がったところには小さなお守りが多く展示されていた。正式には『動物形護符』という。パンフレットの中央上のこまごまとした六個の犬などの形のものがそれだ。
これらは前1500年頃メソポタミアやシリア、イランのものだと説明が載っている。
せいぜい3~7センチくらいの小さなものの数々だったが、アクセサリーのトップのように穴が開けられていた。
やはり首からかけるものらしい。
この一つ一つをゆっくりとみていると、なじみの土偶の形状と共通点のあるものがあった。
素晴らしい。美しい。欲しい・・・・・・。
イミテーションでこんなアクセサリーは土産にないかとたずねてみたが
「みたことがない。」
の一言でかたづけられてしまった。
楽しくて、このコーナーもみるのにとても時間がかかった。
真ん中のガラスケースにはパンフレットの乗っている『金製首飾り』の左に木目のようになったイランの『縞瑪瑙の首飾り』があり、家族がかなり気に入っていたようだ。
もしかして・・・・・・次回に期待。
最後に中国の帯止め。
これは部屋を入って右手を突き当たったガラスケースの一番左に飾られている。
14センチくらいだったように思うが、緑青と元に色彩との調和が見事である。美しい。
8センチくらいまでの太い部分までにすれば、たいへん品の良いバレッタになるなぁと一人阿呆の妄想にかられながら、見入っていた。
なんだかんだとバカなことを考えながらみていると、さほど広くない二つの部屋で構成されている『シルクロード交流館』を一巡するのに一時間三十分を要しまった。
『シルクロード交流館』も貴重な美しい展示物が数多くあり、とても楽しめるものでした。
最後に・・・・・・
ここで紹介いたしました展示物は わたし個人の特に印象的で好きなものだけに絞っていますので、『シルクロード交流館』の素晴らしい展示物のごく一部であることを最後に付け加えさせていただきます。
(写真は近江八幡の酒屋。ふなずしの宣伝用に紙で手作りされた見本です。)
記録のみ
バーバー
感動度 ★★★★★
満足度 ★★★★★
話の展開 ★★★★★
けして単純にならない品の良い展開
英語の美しさ★★★★★
まるでイギリス人が詩を方っているような口調
色彩 ★★★★★+★★
美しい、美し過ぎる・・・・・・
構図 ★★★★☆
縦の使い方、斜めの使い方がシャープで洒落ている
光と影の使い方 ★★★★★
効果的に葉のせせらぎなどくり返しのパターンで心情や場面を強調
キャスト ★★★★★
言葉野調べがが美しい
各人の表情が好き
音楽 ★★★★★
洒落ている★★★★★
総合得点 ★★★★★
2001 アメリカ
監督・脚本 ジョエル・コーエン
制作・脚本 イーサン・コーエン
キャスト ビリー・ボブ・ソーントン
フランシス・マクドーマンド
スカーレット・ヨハンスン
『真珠の耳飾の少女』
他 名前の知らない素晴らしい役者の数々
1949年に合わせて、色調が整えられているが、その豊かな色彩感覚には驚いてしまった。
最後まで素晴らしく、楽しめる秀作のひとつ。
ここではあらすじは省かせていただきますが、『バーバー』は感動した映画のひとつです。
(写真は私の見つけた『イザヨイセイシン雲』です)
ひとりごと・・・
今年も余すところ一ヶ月余。
来月はミナミ座でカオミセ興行か・・・
ニザエモンさんもヤジュウロウさんも出られるというのみ、昼夜ともに微妙な演目の数々。
ニザエモンさんの写実的な『シュンカン』は何度見てもいいものだが、『シュンカン』の場合はコウシロウさんのあの手の『ガバッ!』かキチエモンさんも好きだしな・・・
ニザエモンさんは今年の一月がなんといっても良すぎた。
昼夜2度づつ、合計四回みたが、もう少し通えばよかったかなぁといまだに後悔。
別に拗ねているわけではないが、東京と関西の演目の違いといえば一目瞭然。
毎月どこかでいい芝居がみられる。
今月のカブキ座興行のパンフを子どもが東京の学会に行ったついでにもらってきてくれたが、中味が充実していて悔しい思いを拭いきれない。
カブキ友の会に入会しているので全国の興行は把握しているのだが、こうしてパンフレットを目の当たりにすると、寂しい思いがする。
まぁ、芝居で遠征するよりも家族を優先しているのだから、仕方がないか・・・
たまにしかない関西の楽しみのカブキ興行は今年は一月以外はあまりぱっとしたものがなかったし・・・
昔のミナミ座のカオミセが懐かしいな・・・と、少しいじけてみる。
今回はカンザブロウさんの『ドウジョウジ』で今回は涙ながらにパスしたんだ。
私以外の家族全員からブーイング。
「摺り足、うまいでしょう。」
といってみたところで、
「カンザブロウの『ドウジョウジ』はいらない・・・」
の一点張り。
「カンザブロウさんは『カミユイシンザ』が見たかったよ・・・」
という言葉には納得の私。
まだ後半のチケット販売は先だが、後半は結構予定が詰まっているし、やっぱりパスだな・・・
でも、
ニザエモンさんとヤジュウロウさん、シカンさん、ヒデタロウさんがみたいなぁ・・・
(写真は奈良の田原本町の廃屋です)
予言
満足度 ★★★☆☆
怖さ ★★☆☆☆
話の展開★★★☆☆
三上博史が出ていたよ~~★★★★★
2004年 日本
監督 鶴田法男
原作 コミック「恐怖新聞」 つのだじろう
キャスト 三上博史
酒井法子
山本圭
吉行和子 他
三上博史さんと吉行和子さんが出ているだけでも怖かった&満足。
三上博史さんと酒井法子さんの芝居の表現法異質でかみ合っていない。
キャスティングのミスかな?
ここはひとまず
三上博史、
黒木瞳、
故田村 田村高廣或いは山崎勉或いは元の山本圭、
吉行和子
って役者で固めると、作品がまた違ったものになっていたような・・・・・・
酒井法子さんの皺のない人生観の感じられないきれい過ぎる顔とうますぎる歌が妙に作品野表面を上滑りしているようで、惜しい感じがする。
この『予言』はJホラー六作品のなかの第一段として『感染』徒同時に上演されたらしい。
原作の『恐怖新聞』は何度かは読んだが、原作と映画は別作品に仕上がっていた。
前半の話の展開がもたつき、三上博史さんの演技力がけに頼った感がぬぐいきれない。
吉行和子さんが出てきて安堵感・・・と思いきや、すぐに死んでしまう。
いくら上手い役者とはいっても前半の話の進み具合はスローテンポで、オオアリに鏡餅を運ばせようとしている感じがして、三上博史さんが気の毒な感じが捨てきれない。
三上博史さんはとても表現力の豊かな役者さんで好きな役者の一人ですが、前半は舞台調の表現で今回の映画に関しては少し浮いていた感じする。
やはり相手の女性はもう少し・・・でないと、彼にとってもやりづらさがあるのだろうか・・・
それが証拠に吉行和子さんが出てこられると映画らしくなっていたのですから・・・
先ほども書いたようにキャストは真剣に選らばないとオムニバス形式の一本三十分のドラマの方が密度が濃い場合もあるかもしれない。
後半の三上博史さんは周りに影響されることなく自由に自分を表現され、素晴らしかった。
後半は脚本も充実しており、映像・表現・演技においても抽象的面白みが伺え、絵画で言えばシャガールといった感じがして好きだった。
さすがの三上博史、あっぱれじゃ!
映画のラストは悲劇。
しかし里見の心が解放されたという意味では、ある意味ハッピーエンド。
だが・・・
実際には子どもの身に・・・
子どもの瞳には空から舞い降りる一枚の新聞が舞い降りてきた。
自己の死者の顔写真は父、里見。
子どもの瞳は大きく開かれ、輝いていた・・・
ぅん?
このラスト何かに似ている。
『ゾンビ・・・』か・・・
ゾンビから逃れオープンカーの乗った後部座席の中腰の女。
肩まで掛かった艶やかな金髪をかきあげると、首筋には傷跡が・・・
両作品ともに余韻が残ってこわ~~い。
Jホラーの公式HP ↓