乱鳥の書きなぐり

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『 坂本 長利独演劇 宮本常一の聞き書きによる「土佐源氏」』に感動!なぜかしら涙を流しながら観た。 

2012年06月24日 | TVで 歌舞伎・能楽




     『 坂本 長利独演劇 宮本常一の聞き書きによる「土佐源氏」』に感動!なぜかしら涙を流しながら観た。




    
    写真は衛星劇場4月 プログラムガイドよりお借りしました。【撮影 西川比呂司】



    
   『坂本 長利独演劇 宮本常一の聞き書きによる 「土佐源氏」』
    
    

   土佐源氏 公式HP

    



 四月に録画しておいた『坂本 長利独演劇 宮本常一の聞き書きによる 「土佐源氏」』を観る。

『坂本 長利独演劇 宮本常一氏の聞き書きによる 「土佐源氏」』は『土佐源氏』(宮本常一「忘れられた日本人」より)を読み、坂本 長利独演劇され、1000回を超えるといったロング一人芝居。

 一人芝居といえば一般的には白石さんなどが思い浮かぶ。

 わたしの場合は学生時代 京大西部講堂で観た水俣一人芝居である『天の魚(いを)』を鮮明に思い出す。

 今回観た『坂本 長利独演劇 宮本常一の聞き書きによる 「土佐源氏」』はテレビではあったが、水俣芝居に匹敵するくらいの印象の深さ。

 演技も内容も素晴らしかった。

 
 
 わたしは観ているうちに,芝居を観ているのではなく,民俗学者である宮本常一氏サイドにたって興味深く男の話しに聞き入っていた。

「あんた、よっぽどの酔狂もんじゃの、乞食の話を聞きにくるとはの」
 上の言葉が,心に残る。

 内容は今までに諸々の学者が書かれているもので、確認の意味でも聞き入った。

 いつしか男である「土佐源氏」は赤松啓介氏に思われてきた部分があり,ほくそ笑む。

 

 劇中では若衆に入れずといった言葉が何度も出てきたが、そういった青年組みに入れない青年組みの男は夜這すらできない。

 劇はじめに子守りの後とついてまわったといった言葉も出てきたが、子守り自体が村はずれのよそ者で、村の男が子守りを相手にすると村の女に相手にされないといったこともあったと言われている。

 宮座どことか村の人間として認めてもらえない男は隣町に行き、一見の家を借りコウゾを刈って生活するが、三年目にもとに戻る。

 劇中では位の高い女の迷惑にならぬようにと言った台詞があったのだが,並大抵の苦労ではなかったろうと感じる。

 
 
 女にはモテたと言うことから プレイボーイの源氏に因んで「土佐源氏」とつけられたらしいが、今現在のように秩序が保たれてなかった性習慣の頃の話しを宮本常一氏は奢ることなく,また酒を通して男にうまく聞き出したのだなと感心した。

 劇中で男は徳利を手に横たわる。こういった表現がリアルさを増す。

 度々問題視されているフールドワークの問題点などは,この劇を通しては感じることがなかった。

 

 男は母親が夜這で孕んだ子であり,父親が誰だかわからないという。

 母親は子をおろすため川に入って腰を浸したり石垣に腹を打ち付けたり,高所から飛び降りたが,早産とはいうものの元気に生まれた。

 赤子は祖父母に育てられ、実母は嫁にゆき、間もなく死んだという。

 研究者のどなたかが,夜這でできた子は村全員のことを手育てると書かれていたが,この芝居を見る限り色々な掟の村があったのだと感じた。時代的に観て大きなラインはあったにせよ、やはり赤松啓介氏が書かれていたように隣町や隣の得に行ってさえ風習や決まりが違うと言ったのは今もむかすも変わらないらしい。

 

 幼いことから女の子と自然に遊び始めたそうで,好きな不倫の女が病死し泣き嘆き,目を煩ったという。

 それ以来30年、女房と八十八ヶ所巡りの旅に出て,乞食に身を落としたという。

 

 舞台はいたって簡単

 メークは念入り

 高さ70センチ?、2メートル四方?の台

 台の上には太くて短いロウソク一つ。

 歪ながらローソクは、しっかりと光を放ちまた揺れ動きく。

 まるで男の人生を男が正当化しながらも後悔している風にもとれる。

 男が語り感情が揺れ動く度に、笛のがなり、炎が揺れる。

 男の感情の高ぶりは台の上から転げ落ちそうにもなる。

 

 好みから言えばこういった『坂本 長利独演劇 宮本常一の聞き書きによる 「土佐源氏」』のような芝居は少人数小劇場舞台上で演じられるのではなく,ござをひいて役者と一体化して観てみたい。

 チャンスがあれば『坂本 長利独演劇 宮本常一の聞き書きによる 「土佐源氏」』を観よう。

 その前に岩波の『忘れられた日本人』「土佐源氏」宮本常一をぜひとも読みたい。

 

 一通りの話しが終わる,民家の食事が終わる頃を見計らって残飯をもらいに歩く女房がかえってくる頃,男は女の話しはやめようといいむしろで頭を覆う。

 平穏だった宮本先生との時間を終え,男は現実の世界に戻る。

 吹雪がまい、吹き飛ばされそうな男。

 今話した内容や自分の人生は、夢かうつつか現実か?

 普段見向き押されない男は,民俗学の先生様に注目され、暖かな部屋から吹雪の外へ解放される。

 これが男の生き方なのだろう…。

 

 牛は噓をつかない。5年たっても10年たっても覚えていて、泣いてくれる。

 この言葉は,自分自身に噛み締めるように話し,絞るような牛の鳴き声を聞かせてくれた。

 男の内なる辺境ではないかと感じた。


   
 

 












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