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オスマン帝国外伝~愛と欲望のハレム~  シーズン4 71話〜79話

2021年11月11日 | ドラマ

 

 

 

 

オスマン帝国外伝~愛と欲望のハレム~  シーズン4 71話〜79話

 
 
 
 オスマン帝国外伝~愛と欲望のハレム~ シーズン4の71話〜79話を見ました。
 
 
 
 ヒュッレムが不治の病にかかり、なくなってしまいました。
 儚い、しかしながら愛に満ちた一生でした。
 
 ドラマを見る前、ヒュッレムはもっとあくどい、いわば、「天下とったり!」といった悪女をイメージしていましたが、ドラマを見るにつれ、彼女の深い以上や思いやりに触れることができました。
 彼女は決して理由なく悪事を働いていたのではなく、愛を貫き通すため、自分を守るため、家族を守るための過激な行動で、それは周りに彼女に対する酷い仕打ちに対峙してのものでした。
 彼女の中にも、善と悪、奴隷からの解放及び立ち上がりの願望が、いつしかスレイマンに対す流一途な思いへと変化したようにドラマでは描かれています。
 
 一個の人間に秘められたこの善と悪はこのドラマのテーマともなり、度々『神曲』が出てきます。
 スレイマンがその『神曲』を土に埋めて封印したことは、このドラマでの大きな分岐点となりました。
 一途にヒュッレムの愛を受け入れ、愛を認め、そして心よりヒュッレムの死を嘆き悲しむのでした。
 
 ヒュッレムは死ぬ前に家族への思い、周りの人間への思いの丈を言葉にして表現します。
 本当は優しい心を持ったヒュッレムの二面性。
 上にも書いたようにスレイマンがその『神曲』を土に埋めて封印し、ヒュッレムはスンビュルにこれまでの善行を記した日記を渡し、孫子にその丈を伝えて欲しいと願い出ます。
 それは決して偽善者ではなく、本当の自分を認め伝えて欲しいといった感情からの言動であったと私は信じています。
 
 そしてドラマも、終盤に差し掛かりました。
 
 
 今回も見たと言う記録にて失礼いたします。

 

 

オスマン帝国のイブラヒムが愛読していた『神曲』とは

 
 ウィキペディアによれば、『神曲』とは
 
『神曲』(しんきょく、伊: La Divina Commedia)
 13世紀から14世紀にかけてのイタリアの詩人・政治家、ダンテ・アリギエーリの代表作である。
 地獄篇、煉獄篇、天国篇の3部から成る、全14,233行の韻文による長編叙事詩であり、聖なる数「3」を基調とした極めて均整のとれた構成から、しばしばゴシック様式の大聖堂にたとえられる。
 イタリア文学最大の古典とされ、世界文学史上でも極めて重きをなしている。
 当時の作品としては珍しく、ラテン語ではなくトスカーナ方言で書かれていることが特徴である。
 
 
 原題はイタリア語で「神聖喜劇」を意味する。
 ただし、ダンテ自身は、単に「喜劇(Comedia)」とのみ題した。
 
 喜劇としたのは、悲劇と違って円満な結末を迎えるためや、比較的平易に読める当時の俗語で書かれているためだという。
 出版史上では、『神曲』の最初期の写本には、「ダンテ」「三行韻詩」などの題がつけられていた。
 15世紀から16世紀頃には、ダンテの詩が活版印刷で出版されるようになり、1555年に刊行のヴェネツィア版により「神聖喜劇」の題名が定着した。
 
 邦題の「神曲」は、森鷗外訳の代表作であるアンデルセンの『即興詩人』の中で用いられた。
 その一章「神曲、吾友なる貴公子」において『神曲』の魅力が語られ、上田敏や正宗白鳥ら同時代の文人を魅了し、翻訳紹介の試みが始まった。
 日本における最初期の『神曲』紹介であり、ダンテ作品の受容はここから始まったとも言える。
 故に、今日でもほぼ全ての訳題が『神聖喜劇』ではなく、『神曲』で統一されている。
 
 
『神曲』の成立
 
 ダンテが『神曲』を世に出した背景には、当時のイタリアにおける政争と自身のフィレンツェ追放、そして永遠の淑女ベアトリーチェへの愛の存在が大きい。
 ダンテは、ヴェローナのパトロンであるカングランデ1世(イタリア語版)への書簡で、人生における道徳的原則を明らかにすることが『神曲』を執筆した目的であると記している。
 
『神曲』地獄篇は、1304年から1308年頃に執筆されたと考えられている。
 1319年には、地獄篇と煉獄篇は既に多くの人に読まれており、ダンテは名声を得ていたことが分かっている。
 
 天国篇は1316年頃から死の直前、1321年にかけて完成された。
『神曲』は、当時の知識人の共通語であったラテン語ではなく、トスカーナ方言で執筆されたことも、多くの人に読まれた理由である。
 
 
ベアトリーチェ
 
『神曲』では、実在の人物の名前が多々登場する。
 ウェルギリウスに地獄界の教導を請い、煉獄山の頂上でダンテを迎えるベアトリーチェは、ダンテが幼少のころ出会い、心惹かれた少女の名である。
 しかし、のちにベアトリーチェは24歳で夭逝してしまう。
 ダンテは、それを知ってひどく嘆き悲しみ、彼女のことをうたった詩文『新生』をまとめた(ダンテ・アリギエーリの項も参照)。
 
『神曲』に登場するベアトリーチェに関しては、実在した女性ベアトリーチェをモデルにしたという実在論と、「永遠の淑女」「久遠の女性」としてキリスト教神学を象徴させたとする象徴論が対立している。
 
 実在のモデルを取る説では、フィレンツェの名門フォルコ・ポルティナーリの娘として生れ、のちに銀行家シモーネ・デ・バルティの妻となったベアトリーチェ(ビーチェ)を核として、ダンテがその詩の中で「永遠の淑女」として象徴化していったと見る。
 
 非実在の立場を取る神学の象徴説では、ダンテとベアトリーチェが出会ったのは、ともに9歳の時で、そして再会したのは9年の時を経て、2人が18歳になった時であるというように、三位一体を象徴する聖なる数「3」の倍数が何度も現われていることから、ベアトリーチェもまた神学の象徴であり、ダンテは見神の体験を寓意的に「永遠の淑女」として象徴化したという説を取る。 いずれにせよ、ベアトリーチェは、愛を象徴する存在として神聖化され、神学の象徴ともあると考えられている。地獄と煉獄を案内するウェルギリウスも実在した古代ローマの詩人であり、神曲の中では「理性と哲学」の象徴とされている。
 
 
『神曲』
 
   地獄篇 (Inferno)
   煉獄篇 (Purgatorio)
   天国篇 (Paradiso)
 
 三部から構成されており、各篇はそれぞれ34歌、33歌、33歌の計100歌から成る。
 
 このうち地獄篇の最初の第一歌は、これから歌う三界全体の構想をあらわした、いわば総序となっているので、各篇は3の倍数である33歌から構成されていることにる。
 また詩行全体にわたって、三行を一連とする「三行韻詩」あるいは「三韻句法」(テルツァ・リーマ)の詩型が用いられている。
 
 地獄、煉獄、天国の各篇とも、最終歌の末節は星 (stella) という言葉で結ばれている。
 また地獄篇はキリスト教新約聖書外典である「ペトロの黙示録」で語られている世界観を踏襲している。
 
 
神曲のあらすじ
 
 ユリウス暦1300年の聖金曜日(復活祭前の金曜日)、暗い森の中に迷い込んだダンテは、そこで古代ローマの詩人ウェルギリウスと出会い、彼に導かれて地獄、煉獄、天国と彼岸の国を遍歴して回る。
 ウェルギリウスは、地獄の九圏を通ってダンテを案内し、地球の中心部、魔王ルチーフェロの幽閉されている領域まで至る。
 そして、地球の対蹠点に抜けて煉獄山にたどり着く。
 
 ダンテは、煉獄山を登るにつれて罪が清められていき、煉獄の山頂でウェルギリウスと別れることになる。
 そして、ダンテは、そこで再会した永遠の淑女ベアトリーチェの導きで天界へと昇天し、各遊星の天を巡って至高天(エンピレオ)へと昇りつめ、見神の域に達する。
 
 
  • ドラマ
  • 2014
  • トルコ
 

 

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