写真は、イラン
オスマン帝国外伝~愛と欲望のハレム~ シーズン4 56話〜70話
オスマン帝国外伝~愛と欲望のハレム~ シーズン4の56話〜70話を見ました。
またまた出てき、引用された『神曲』
『神曲』はイブラヒムの愛読書であり、スレイマンは以前、イブラハムから『神曲』を借りて読んでいた。
その『神曲』をここにきて、とある商人の女から進呈され、読み返す。
若かりし頃に読んだ『神曲』は、弱いを重ねたスレイマンにとっては、より一層s深く染み込むであろうと、容易に想像することができる。
シーズン4の56話〜70話でも多くの事柄が起こり、人々は困惑し、自分の道が正しいと信じるふりをして、生きる。
この、人としての葛藤の描き方が、うまい。
今回も見たと言う記録にて失礼いたします。
オスマン帝国のイブラヒムが愛読していた『神曲』とは
ウィキペディアによれば、『神曲』とは
『神曲』(しんきょく、伊: La Divina Commedia)
13世紀から14世紀にかけてのイタリアの詩人・政治家、ダンテ・アリギエーリの代表作である。
地獄篇、煉獄篇、天国篇の3部から成る、全14,233行の韻文による長編叙事詩であり、聖なる数「3」を基調とした極めて均整のとれた構成から、しばしばゴシック様式の大聖堂にたとえられる。
イタリア文学最大の古典とされ、世界文学史上でも極めて重きをなしている。
当時の作品としては珍しく、ラテン語ではなくトスカーナ方言で書かれていることが特徴である。
原題はイタリア語で「神聖喜劇」を意味する。
ただし、ダンテ自身は、単に「喜劇(Comedia)」とのみ題した。
喜劇としたのは、悲劇と違って円満な結末を迎えるためや、比較的平易に読める当時の俗語で書かれているためだという。
出版史上では、『神曲』の最初期の写本には、「ダンテ」「三行韻詩」などの題がつけられていた。
15世紀から16世紀頃には、ダンテの詩が活版印刷で出版されるようになり、1555年に刊行のヴェネツィア版により「神聖喜劇」の題名が定着した。
邦題の「神曲」は、森鷗外訳の代表作であるアンデルセンの『即興詩人』の中で用いられた。
その一章「神曲、吾友なる貴公子」において『神曲』の魅力が語られ、上田敏や正宗白鳥ら同時代の文人を魅了し、翻訳紹介の試みが始まった。
日本における最初期の『神曲』紹介であり、ダンテ作品の受容はここから始まったとも言える。
故に、今日でもほぼ全ての訳題が『神聖喜劇』ではなく、『神曲』で統一されている。
『神曲』の成立
ダンテが『神曲』を世に出した背景には、当時のイタリアにおける政争と自身のフィレンツェ追放、そして永遠の淑女ベアトリーチェへの愛の存在が大きい。
ダンテは、ヴェローナのパトロンであるカングランデ1世(イタリア語版)への書簡で、人生における道徳的原則を明らかにすることが『神曲』を執筆した目的であると記している。
『神曲』地獄篇は、1304年から1308年頃に執筆されたと考えられている。
1319年には、地獄篇と煉獄篇は既に多くの人に読まれており、ダンテは名声を得ていたことが分かっている。
天国篇は1316年頃から死の直前、1321年にかけて完成された。
『神曲』は、当時の知識人の共通語であったラテン語ではなく、トスカーナ方言で執筆されたことも、多くの人に読まれた理由である。
ベアトリーチェ
『神曲』では、実在の人物の名前が多々登場する。
ウェルギリウスに地獄界の教導を請い、煉獄山の頂上でダンテを迎えるベアトリーチェは、ダンテが幼少のころ出会い、心惹かれた少女の名である。
しかし、のちにベアトリーチェは24歳で夭逝してしまう。
ダンテは、それを知ってひどく嘆き悲しみ、彼女のことをうたった詩文『新生』をまとめた(ダンテ・アリギエーリの項も参照)。
『神曲』に登場するベアトリーチェに関しては、実在した女性ベアトリーチェをモデルにしたという実在論と、「永遠の淑女」「久遠の女性」としてキリスト教神学を象徴させたとする象徴論が対立している。
実在のモデルを取る説では、フィレンツェの名門フォルコ・ポルティナーリの娘として生れ、のちに銀行家シモーネ・デ・バルティの妻となったベアトリーチェ(ビーチェ)を核として、ダンテがその詩の中で「永遠の淑女」として象徴化していったと見る。
非実在の立場を取る神学の象徴説では、ダンテとベアトリーチェが出会ったのは、ともに9歳の時で、そして再会したのは9年の時を経て、2人が18歳になった時であるというように、三位一体を象徴する聖なる数「3」の倍数が何度も現われていることから、ベアトリーチェもまた神学の象徴であり、ダンテは見神の体験を寓意的に「永遠の淑女」として象徴化したという説を取る。 いずれにせよ、ベアトリーチェは、愛を象徴する存在として神聖化され、神学の象徴ともあると考えられている。地獄と煉獄を案内するウェルギリウスも実在した古代ローマの詩人であり、神曲の中では「理性と哲学」の象徴とされている。
『神曲』
地獄篇 (Inferno)
煉獄篇 (Purgatorio)
天国篇 (Paradiso)
三部から構成されており、各篇はそれぞれ34歌、33歌、33歌の計100歌から成る。
このうち地獄篇の最初の第一歌は、これから歌う三界全体の構想をあらわした、いわば総序となっているので、各篇は3の倍数である33歌から構成されていることにる。
また詩行全体にわたって、三行を一連とする「三行韻詩」あるいは「三韻句法」(テルツァ・リーマ)の詩型が用いられている。
地獄、煉獄、天国の各篇とも、最終歌の末節は星 (stella) という言葉で結ばれている。
また地獄篇はキリスト教新約聖書外典である「ペトロの黙示録」で語られている世界観を踏襲している。
神曲のあらすじ
ユリウス暦1300年の聖金曜日(復活祭前の金曜日)、暗い森の中に迷い込んだダンテは、そこで古代ローマの詩人ウェルギリウスと出会い、彼に導かれて地獄、煉獄、天国と彼岸の国を遍歴して回る。
ウェルギリウスは、地獄の九圏を通ってダンテを案内し、地球の中心部、魔王ルチーフェロの幽閉されている領域まで至る。
そして、地球の対蹠点に抜けて煉獄山にたどり着く。
ダンテは、煉獄山を登るにつれて罪が清められていき、煉獄の山頂でウェルギリウスと別れることになる。
そして、ダンテは、そこで再会した永遠の淑女ベアトリーチェの導きで天界へと昇天し、各遊星の天を巡って至高天(エンピレオ)へと昇りつめ、見神の域に達する。
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