
田口ランディ「転生」っていう本がある。その本の朗読を、通崎睦美さんというマリンバ奏者の方と、法然院でやるというお誘いを受け、遥々KYOTOまで行ってきた。
すごく良かったです。感じ入りました。
こういうもののよさってのは、部分と全体、二つ連関しての素晴らしさなんでしょうね。
部分の要素をまず。
(1)田口ランディ
この人はかなり興味深い。20個上だけど、全然そんな感じしなくて、大学時代の同級生って感じデス。実際、元々は東大時代のゼミの学びの友つながり。 考えてることもかなりラジカルで、そのラジカルさは同期すること多し。だから出会って10年弱くらい経ちますが、それでも相変わらず仲いいんでしょう。
今まで生きてきて何万人もの人と出会っていて、付き合ってきた時間が長い人も短い人もおるけど、なんだかんだ世界観が同期する人って、お互いが別に仲良くなろうって努力しなくても水が上から下に流れていくような感じで、もうそのままで勝手に仲良くなっちゃうわけで。そしてその関係性はきっと未来永劫続くわけで。そういうの人との関係性って、持続させるために別に何の無理もせんでよくて、自分が自我を肥大させず、自分を飾らず、等身大でいれば、そのままその自然な関係性がありのまま自然に伸びるっていうか。
脱線したけど、田口ランディという人とはそういう過去、現在、未来と言う意味で長い関係性を持ってるわけです。
(2)「転生」
これも人やモノが死んで、生まれて、死んで、生まれて・・・って果てしない話です。わしは気持ち悪い文章って全く思わないですけど、世間的にはこういう本って抵抗ある人もいるみたい。文章と絵がうまくマッチしてる絵本みたいな、自分でイメージ膨らませながらよむ本だと思います。
生き死にっていうのは、医者という職業柄、日々感じること多いし、自分の人生のテーマでの一つでもありますが、こういう輪廻の思想って違和感ないんですよね。これは自分が日本人特有だから?
でも、学問的にも生命の本質に輪廻転生の思想はあると思うんです。だって、人間の構成成分って科学的には水とたんぱく質。この水はどこから来たかって、やっぱり海とか空とか土壌にある水から来たわけで、たんぱく質も同じような場所に含まれてる窒素とか酸素とか、そういう元素記号の部分の組み合わせで構成されたわけで。 自分の体内の水も、死んだら土とか海に循環してリサイクルされるわけですよね?これって、まあインド哲学とか仏教で言う輪廻の思想の根幹に類似すると思う。
脱線しましたが、そういう転生を語っている文章で、その朗読(音読)だから、とても興味深かった。音として脳に刺激が入ってくるのは、読書体験とも違う。
ライブLIVEってライフLifeの動詞だしね。生命感を感じる。
(3)通崎睦美さん
元々は存じ上げませんでしたが、好きなランディさんが好きだって言うんだから、わしも好きなんだろうと思って、会って色々話してみて、やっぱり好きでした。
A→好き→B→好き→C→好き→Dっていう好きを媒介にしたつながりって、A→好き→Dでつながる気がする。波長と言うか、磁場というか、そういうのが近いんでしょうかね。不思議です。
通崎睦美さんのHPで、通崎好み製作所っていうのがあって、それを改めてみていると、多彩・多才な人なんだということを帰宅してから分かったわけです。
通崎好み製作所っていうだけあって、通崎さんの好み・好きなもの、そういうものを作っているHPで特殊です。
その人がどういう人かって、その人の好みとか好きなものや好きな人とか好きな本とか好きな音楽とか・・そういうものでほとんど透けて見えますよね。
マリンバ奏者がメイン活動で、アンティーク着物のコレクターでエッセイも書かれるみたいです。本もCDも注文して鑑賞してみましたが、着物もほんと素晴らしいデザインのが多いのですよ。デザインの歴史を垣間見た気が。デザイン好きな自分には最高。ここのメテユンデっていうとこに、オリジナル着物ブランドがありますが、デザインも優れたかわゆい着物多いですね。こういうの着てる女子ってお洒落でかわゆいと思う。流行りの洋服もいいけど、伝統の着物は間違いなくヨイ。
通崎睦美さん自体もキューティーでチャーミングな人でした。とにかく見た目が若い、若すぎる!HPで見た写真より実物はずっと若く綺麗。年を経てどんどん綺麗になる女性っています。逆も然り。 年をとり、いいもの全てがはぎ落とされて、もうひどい状態に変容してるおばさんって多い。
通崎さん含め、栗原はるみとか宮沢りえとか岡本敏子さんとか、年と共に美しさをましていく女性っています。あれはやはりその人自体の力というか、自分を磨き続けるその持続性や思いの結晶というか、その代替に獲得した美しさなんでしょうか。
そりゃあそういう持続性って大変でしょうし、疲れるでしょうし、面倒なこともあるでしょうし、孤独な作業でしょうし・・。でも、美しさとかって、ある程度そういう自分の生命(肉体や精神)を愛おしくおもって、それを大切にしていくプロセスなのかもしれない。
だから、通崎睦美さんみたいな人、女性は特に目に焼き付けておいた方がいいですよ。綺麗さとか美しさとか、その近辺を考えるきっかけになると思います。オーラあります。
お父さんが、京都の風呂敷の縫製したりする職人さんみたいで、演奏後にお父さんが革ジャン来て挨拶に来ていて、お洒落だなーって思った。ああいう粋で洒落てて風流な人、そして職人、その感覚を受け継いでるんですねー。そこに世代のつながりをみました。わしも、年とってもあんな感じでいたい。
(4)マリンバ
マリンバという楽器自体ちゃんと聞いたことなかったですが、不思議な音色でした。
通崎さんも少し話されてましたが、起源はアフリカで、アフリカのバントゥー語群で「リンバ」は木の棒、「マ」が多くの数を表す接頭語で、それで「マリンバ」は多数の木の棒から成る楽器のことを言うらしい。そして、高音域に拡張したものをシロリンバ、低音専用をバスマリンバとか、色々変形版もあるみたいですね。
マリンバを弾いてる姿って、両手使って鍵盤をたたくわけですから全身動きながら演奏してるんですね。もう何十年も演奏している方なのでしょうから、きっと動き自体も徐々に純化されていって、演奏するために最良の立ち居振る舞いに自然に収束されていってるんでしょうけど、その振る舞いは美しかったなー。舞ってるみたいで。寺の中で演奏してたから、後ろに仏像とろうそくの炎が燃えてましたが、その炎のゆらめきと同期して見えた。
今回の演奏は朗読にあわせて考え抜かれていたらしい。朗読とうまく同期するために、本来の力が10あるとすると、そのうちのたとえば3くらいしかあえて使わず演奏したっておっしゃってました。だから、2.5とか2.7とかそういう感じで演奏して、それはそれで難しかったって表現してて、なかなか深い表現だなって思った。
でも、表現って、そういう制約があったり縛られると、その中でも突出してくるものっていうのがあって、それをしっかり掴むことでまた次の表現につながるんでしょうね。
今度はマリンバだけの演奏も聴きたいって素朴に感じました。東京近辺で演奏されることあれば見に行こうっと。
(5)法然院
法然院の住職の梶田真章さんって、地元では有名な人みたいです。
お寺を開放して色んなイベントやってて、常に人が行き来しているオープンな場らしい。そういうオープンな場って、自分の地域のイメージ、地域が活性化していくイメージに近いし素晴らしいと思う。
ここにも「あの世はあるのか,ないのか」という文章を寄せているけど、話も面白かったなぁー。
昔は死んだ後を極楽って言ってたけど、今は地獄・天国みたいな二項対立な表現になっちゃってて、それは今の時代を反映しているとかね。そういう二項対立な図式って書きやすいし、一見理解しやすいんだけど、そこで零れ落ちちゃうものって多い。
ミスチルの「Gift」の曲にも、
======================
白か黒で答えろ」という 難題を突き付けられ
ぶち当たった壁の前で 僕らはまた迷っている 迷ってるけど
白と黒のその間に 無限の色が広がってる
君に似合う色探して やさしい名前を付けたなら
ほら一番きれいな色 今君に贈るよ
======================
っていうフレーズがある。
この世界って連続してつながっていることばかりで、デジタル的にゼロかイチかでバッサリ断絶して分割できないものは多い。デジタル的に間の余韻をバッサリ切り捨てることで失ったものって多いと思う。
そこで得られたものってせいぜいスピード感とかその程度。速くものごとを理解したような気になるけど、それは単に表層の上辺だけで、本質には到達してなくて、錯覚も多いと思う。10年とか50年の歳月をかけないとわからんことって多い。2項対立で分割した間にある、緩やかに連続しているものも意識しないといかん気がする。鋭い人は、指摘されなくても無意識にわかってるんでしょうけどねー。
脱線。
ところで、法然院のお庭は美しかったー!普通夜には寺に入れないから、夜の真っ暗な中で見る日本庭園の風景はそれはそれは奥ゆかしく荘厳で。いいもの見せてもらった。心の財産。
最近、《よしもとばなな→父の吉本隆明→彼が書く親鸞→師匠の法然→風の旅人でも田口ランディが阿弥陀グッドジョブという法然の文章書いてたなぁ》という感じで、興味が一巡していたところだった。
最近は吉本隆明の「最後の親鸞」っていうのを半分くらいまで読んでるとこだったんで(今週末の学会の準備締め切りが終わったら存分読もうと思ってた)、その辺とも興味がつながりました。これも縁だし、少し親鸞とか法然とか勉強しよう。親鸞の浄土真宗とか、法然の浄土宗って、なんだかんだでかなりの日本人に染み付いてる仏教だけど、ちゃんと読んでみたことなかったし。色んな文豪も親鸞とかとりあげてるし、掘っても掘っても面白いテーマなんでしょうね。アマゾンでざっと見てみても、吉本隆明、吉川英治、梅原猛、五木寛之・・名だたるスターが書いてますね。勉強するのが楽しみー。わくわく。
全体性(1-5)
ということで、そういう部分だけの要素でも盛りだくさんで、それぞれ話題に事欠かないんですが、それがある場【空間+時間】で一つになった全体性を見ましたが、全て調和されてよかった。いいものって、やっぱり部分だけも駄目だし、全体だけでも駄目だし、その二つの要素がお互いに連関して補完しあう関係じゃないといけないんでしょうね。すぐれた部分を何個か集めれば、必ずしもいい全体性を持つものでもない。不協和音をきたすことも多い。これが簡単な足し算にはならない不思議なとこ。
そういうのは昔からボンヤリ考えていた、自分の人生のテーマでもありますが、その思いを新たにすることできたし、その感覚を感じることができた。遥遥遠くまで行ってよかったー。
ということで、【田口ランディ・通崎睦美 ジョイント朗読会in法然院 「転生」】の感想でした。
すごく良かったです。感じ入りました。
こういうもののよさってのは、部分と全体、二つ連関しての素晴らしさなんでしょうね。
部分の要素をまず。
(1)田口ランディ
この人はかなり興味深い。20個上だけど、全然そんな感じしなくて、大学時代の同級生って感じデス。実際、元々は東大時代のゼミの学びの友つながり。 考えてることもかなりラジカルで、そのラジカルさは同期すること多し。だから出会って10年弱くらい経ちますが、それでも相変わらず仲いいんでしょう。
今まで生きてきて何万人もの人と出会っていて、付き合ってきた時間が長い人も短い人もおるけど、なんだかんだ世界観が同期する人って、お互いが別に仲良くなろうって努力しなくても水が上から下に流れていくような感じで、もうそのままで勝手に仲良くなっちゃうわけで。そしてその関係性はきっと未来永劫続くわけで。そういうの人との関係性って、持続させるために別に何の無理もせんでよくて、自分が自我を肥大させず、自分を飾らず、等身大でいれば、そのままその自然な関係性がありのまま自然に伸びるっていうか。
脱線したけど、田口ランディという人とはそういう過去、現在、未来と言う意味で長い関係性を持ってるわけです。
(2)「転生」
これも人やモノが死んで、生まれて、死んで、生まれて・・・って果てしない話です。わしは気持ち悪い文章って全く思わないですけど、世間的にはこういう本って抵抗ある人もいるみたい。文章と絵がうまくマッチしてる絵本みたいな、自分でイメージ膨らませながらよむ本だと思います。
生き死にっていうのは、医者という職業柄、日々感じること多いし、自分の人生のテーマでの一つでもありますが、こういう輪廻の思想って違和感ないんですよね。これは自分が日本人特有だから?
でも、学問的にも生命の本質に輪廻転生の思想はあると思うんです。だって、人間の構成成分って科学的には水とたんぱく質。この水はどこから来たかって、やっぱり海とか空とか土壌にある水から来たわけで、たんぱく質も同じような場所に含まれてる窒素とか酸素とか、そういう元素記号の部分の組み合わせで構成されたわけで。 自分の体内の水も、死んだら土とか海に循環してリサイクルされるわけですよね?これって、まあインド哲学とか仏教で言う輪廻の思想の根幹に類似すると思う。
脱線しましたが、そういう転生を語っている文章で、その朗読(音読)だから、とても興味深かった。音として脳に刺激が入ってくるのは、読書体験とも違う。
ライブLIVEってライフLifeの動詞だしね。生命感を感じる。
(3)通崎睦美さん
元々は存じ上げませんでしたが、好きなランディさんが好きだって言うんだから、わしも好きなんだろうと思って、会って色々話してみて、やっぱり好きでした。
A→好き→B→好き→C→好き→Dっていう好きを媒介にしたつながりって、A→好き→Dでつながる気がする。波長と言うか、磁場というか、そういうのが近いんでしょうかね。不思議です。
通崎睦美さんのHPで、通崎好み製作所っていうのがあって、それを改めてみていると、多彩・多才な人なんだということを帰宅してから分かったわけです。
通崎好み製作所っていうだけあって、通崎さんの好み・好きなもの、そういうものを作っているHPで特殊です。
その人がどういう人かって、その人の好みとか好きなものや好きな人とか好きな本とか好きな音楽とか・・そういうものでほとんど透けて見えますよね。
マリンバ奏者がメイン活動で、アンティーク着物のコレクターでエッセイも書かれるみたいです。本もCDも注文して鑑賞してみましたが、着物もほんと素晴らしいデザインのが多いのですよ。デザインの歴史を垣間見た気が。デザイン好きな自分には最高。ここのメテユンデっていうとこに、オリジナル着物ブランドがありますが、デザインも優れたかわゆい着物多いですね。こういうの着てる女子ってお洒落でかわゆいと思う。流行りの洋服もいいけど、伝統の着物は間違いなくヨイ。
通崎睦美さん自体もキューティーでチャーミングな人でした。とにかく見た目が若い、若すぎる!HPで見た写真より実物はずっと若く綺麗。年を経てどんどん綺麗になる女性っています。逆も然り。 年をとり、いいもの全てがはぎ落とされて、もうひどい状態に変容してるおばさんって多い。
通崎さん含め、栗原はるみとか宮沢りえとか岡本敏子さんとか、年と共に美しさをましていく女性っています。あれはやはりその人自体の力というか、自分を磨き続けるその持続性や思いの結晶というか、その代替に獲得した美しさなんでしょうか。
そりゃあそういう持続性って大変でしょうし、疲れるでしょうし、面倒なこともあるでしょうし、孤独な作業でしょうし・・。でも、美しさとかって、ある程度そういう自分の生命(肉体や精神)を愛おしくおもって、それを大切にしていくプロセスなのかもしれない。
だから、通崎睦美さんみたいな人、女性は特に目に焼き付けておいた方がいいですよ。綺麗さとか美しさとか、その近辺を考えるきっかけになると思います。オーラあります。
お父さんが、京都の風呂敷の縫製したりする職人さんみたいで、演奏後にお父さんが革ジャン来て挨拶に来ていて、お洒落だなーって思った。ああいう粋で洒落てて風流な人、そして職人、その感覚を受け継いでるんですねー。そこに世代のつながりをみました。わしも、年とってもあんな感じでいたい。
(4)マリンバ
マリンバという楽器自体ちゃんと聞いたことなかったですが、不思議な音色でした。
通崎さんも少し話されてましたが、起源はアフリカで、アフリカのバントゥー語群で「リンバ」は木の棒、「マ」が多くの数を表す接頭語で、それで「マリンバ」は多数の木の棒から成る楽器のことを言うらしい。そして、高音域に拡張したものをシロリンバ、低音専用をバスマリンバとか、色々変形版もあるみたいですね。
マリンバを弾いてる姿って、両手使って鍵盤をたたくわけですから全身動きながら演奏してるんですね。もう何十年も演奏している方なのでしょうから、きっと動き自体も徐々に純化されていって、演奏するために最良の立ち居振る舞いに自然に収束されていってるんでしょうけど、その振る舞いは美しかったなー。舞ってるみたいで。寺の中で演奏してたから、後ろに仏像とろうそくの炎が燃えてましたが、その炎のゆらめきと同期して見えた。
今回の演奏は朗読にあわせて考え抜かれていたらしい。朗読とうまく同期するために、本来の力が10あるとすると、そのうちのたとえば3くらいしかあえて使わず演奏したっておっしゃってました。だから、2.5とか2.7とかそういう感じで演奏して、それはそれで難しかったって表現してて、なかなか深い表現だなって思った。
でも、表現って、そういう制約があったり縛られると、その中でも突出してくるものっていうのがあって、それをしっかり掴むことでまた次の表現につながるんでしょうね。
今度はマリンバだけの演奏も聴きたいって素朴に感じました。東京近辺で演奏されることあれば見に行こうっと。
(5)法然院
法然院の住職の梶田真章さんって、地元では有名な人みたいです。
お寺を開放して色んなイベントやってて、常に人が行き来しているオープンな場らしい。そういうオープンな場って、自分の地域のイメージ、地域が活性化していくイメージに近いし素晴らしいと思う。
ここにも「あの世はあるのか,ないのか」という文章を寄せているけど、話も面白かったなぁー。
昔は死んだ後を極楽って言ってたけど、今は地獄・天国みたいな二項対立な表現になっちゃってて、それは今の時代を反映しているとかね。そういう二項対立な図式って書きやすいし、一見理解しやすいんだけど、そこで零れ落ちちゃうものって多い。
ミスチルの「Gift」の曲にも、
======================
白か黒で答えろ」という 難題を突き付けられ
ぶち当たった壁の前で 僕らはまた迷っている 迷ってるけど
白と黒のその間に 無限の色が広がってる
君に似合う色探して やさしい名前を付けたなら
ほら一番きれいな色 今君に贈るよ
======================
っていうフレーズがある。
この世界って連続してつながっていることばかりで、デジタル的にゼロかイチかでバッサリ断絶して分割できないものは多い。デジタル的に間の余韻をバッサリ切り捨てることで失ったものって多いと思う。
そこで得られたものってせいぜいスピード感とかその程度。速くものごとを理解したような気になるけど、それは単に表層の上辺だけで、本質には到達してなくて、錯覚も多いと思う。10年とか50年の歳月をかけないとわからんことって多い。2項対立で分割した間にある、緩やかに連続しているものも意識しないといかん気がする。鋭い人は、指摘されなくても無意識にわかってるんでしょうけどねー。
脱線。
ところで、法然院のお庭は美しかったー!普通夜には寺に入れないから、夜の真っ暗な中で見る日本庭園の風景はそれはそれは奥ゆかしく荘厳で。いいもの見せてもらった。心の財産。
最近、《よしもとばなな→父の吉本隆明→彼が書く親鸞→師匠の法然→風の旅人でも田口ランディが阿弥陀グッドジョブという法然の文章書いてたなぁ》という感じで、興味が一巡していたところだった。
最近は吉本隆明の「最後の親鸞」っていうのを半分くらいまで読んでるとこだったんで(今週末の学会の準備締め切りが終わったら存分読もうと思ってた)、その辺とも興味がつながりました。これも縁だし、少し親鸞とか法然とか勉強しよう。親鸞の浄土真宗とか、法然の浄土宗って、なんだかんだでかなりの日本人に染み付いてる仏教だけど、ちゃんと読んでみたことなかったし。色んな文豪も親鸞とかとりあげてるし、掘っても掘っても面白いテーマなんでしょうね。アマゾンでざっと見てみても、吉本隆明、吉川英治、梅原猛、五木寛之・・名だたるスターが書いてますね。勉強するのが楽しみー。わくわく。
全体性(1-5)
ということで、そういう部分だけの要素でも盛りだくさんで、それぞれ話題に事欠かないんですが、それがある場【空間+時間】で一つになった全体性を見ましたが、全て調和されてよかった。いいものって、やっぱり部分だけも駄目だし、全体だけでも駄目だし、その二つの要素がお互いに連関して補完しあう関係じゃないといけないんでしょうね。すぐれた部分を何個か集めれば、必ずしもいい全体性を持つものでもない。不協和音をきたすことも多い。これが簡単な足し算にはならない不思議なとこ。
そういうのは昔からボンヤリ考えていた、自分の人生のテーマでもありますが、その思いを新たにすることできたし、その感覚を感じることができた。遥遥遠くまで行ってよかったー。
ということで、【田口ランディ・通崎睦美 ジョイント朗読会in法然院 「転生」】の感想でした。
感想はまた今度会ったときにでも、もっと聴かせてね。
次の一文がなんか素直に納得するように自分の中に染みこんでいきました。
**************
お互いが別に仲良くなろうって努力しなくても水が上から下に流れていくような感じで、もうそのままで勝手に仲良くなっちゃうわけで。そしてその関係性はきっと未来永劫続くわけで。まあ、そういうの人との関係性って、持続させるために別に何の無理もせんでよくて、自分が自我を肥大させず、自分を飾らず、等身大でいれば、そのままその自然な関係性がありのまま自然に伸びるっていうか。
***********
だんだんと身にまとう佇まいというか、空気感みたいなものができてきて、その色とか雰囲気を感じ取れる何かが備わってくるんだよね。きっと。
よい体験だったよー!
ShinK氏にも夜の真っ暗な法然院体感してほしかったなぁ。いい出会いもありましたしね。
そうそう。関係性って、別に無理とかしなくていいんだと思うんですよ。
だからこそ、出会い方ってすごく重要で、自分が本当は望んでいない、変な場や変な形で会ってしまうと、そこで自分が何かを演じていたり背伸びしていたりする羽目になっちゃったりして、それは後々の関係性に凄く影響与えちゃうんだと思うんですよね。それが無理しちゃうってことでしょうか。
合コンとか、なんか違うなーとか昔から思ってて、ナンダカンダ穴埋め含めてよく誘われるけど大学時代に1回しか行ったことないのも、やはりああいう特殊空間で会っちゃうと(お互いが何かを演じているし)、なかなか良い関係性作るのは難しいんじゃなかろうか。勿論、まれに成功例はあると思いますよ。でも、そっちは寧ろ特殊例なんじゃないかなぁ。宝くじみたいな。あたる可能性はゼロではないけど、ほとんどゼロと思ったほうがいいっていうジャンル。だから、わしは出会い方って大事だと思うのです。
大切な人を、大切な人に会わせる場って、わしはすごく気を使うし(お互い大切だから)、どういう出会わせ方をするかで、お互い足を引っ張りあうかもしれん関係性にもなりうるし、高めあう関係性にもなりうる。そういう繊細なものだと思ってます。
それが場の力。
草花が自然に太陽の方に伸びていくように、いい関係性っていうのは、もうそのまま、ほんと普通にしていれば、自然に最もよいアンバイで落ち着いてしまうというか。そのままって難しいようだけど、でも、その解答を知っているのはきっと自分だけだから、自分と対話しないといかんのでしょうな。その鏡となるのが音楽や文学や芸術や友人や・・・・色んな他者。自分以外の全て。
お互い惹かれあうときって、お互いがいびつな自我をなくした自然な状態でいれば、勝手に惹かれあっちゃうもんなのでしょう。逆も然り。最近はそういうことを肌で感じることも多く、そう思って日々を過ごしています。それは結構真実に近いんじゃないかとも思っています。
毎回のことながらですが、
濃い良い話をありがとうございます。
すごく刺激です!
”吾日常”、通底音のように「死」を考えている
(反照的に「生」を考えている?)ように感じます。
(そういえば、僕の好きな漫画の『神戸在住』も、女子大生の平穏な日常を描いてながら、底に「死」が流れていました)
かつては、なぜ、自ら命を絶つ人がいるのか、
そう追い込む社会とは何なのかなど考える機会もあったのですが、昨今、忙しさに…まさに心亡くしていました。ので、改めて、色々刺激を受けました。
(グチと「疲れた」「忙しい」を言わない美学を学部時代ある先輩の後ろ姿から学び、実践中です)
日本文化について、今日の朝日新聞で梅原猛と福岡伸一(『生物と無生物のあいだ』は美文でしたね~)が対談していました。
梅原さんってこれまであまり読んだことなかったのですが、日本の古代のこと、いろいろ話されていて興味津々です。
曰く、日本文化には、循環や放浪を「よし」とする世界観があり、自然中心の脱・人間中心の哲学なのだと…、日本に生まれて心の底から嬉しく思う今日この頃です。
わしも、『こころをなくさないように』文章を書いてます。
この駄文を読んでくれてありがと!
仕事も死や生って日常だし、自分にも日常だし、テレビ見ててもいつも人が死んでいるし、日常なんでしょうね。よしもとばななの文章も常に死が寄り添っている。だから好きなのだと思うし。
『神戸在住』ってアフタヌーンに連載されてたよね?いい漫画だよね見たくなるけど、まだ漫画持ってる?もし持ってたら次会合うときかして欲しいな。
>グチと「疲れた」「忙しい」を言わない美学
僕も今はそう思ってます。
言葉の呪縛ですな。そう言い出すと自分の可能性を狭めて、その言い訳にすぎないと常々思います。
自分の可能性は意識的にも無限に開かないとね。
梅原猛、福岡伸一の対談面白そう。
福岡伸一って学者だけどいいこと言うよね。いつかは話してみたい。理系にしては珍しく面白い。
自然中心の脱・人間中心の哲学。
ヨーロッパ、完全な個人主義というか、人間が自然を支配するのだ!という考えで、馴染めませんね。
やはりそこは日本人なんでしょうね。
人間は自然に生まれ自然に帰る。自然の部分であり全体である。そう思います。
自然を支配するなんて傲慢な!自然はそんなヤワじゃない。自然の猛威はすごいよ。人間なんて自然にとってゴミみたいなものです。邪魔もの以外の何者でもない。でも、そんな人間を温かく包み込む包容力を持つ、優しく厳しくもあるのが自然ですね。
わしも山が好きだし、この辺はなしだすと本当はとまらなくなるのよ笑
大学で、山登りしてたんですよ!
う~む、テーマは「山」かな~?
神戸在住、10巻くらいなので、今度、お貸ししますよー。
神戸在住については、まとめてちゃんと言葉にしたいなと
思って、タイトルだけ書き抜きしたりして分析してたのだが、
途中で挫折してしまってる…。
村上春樹の『神の子どもたちはみな踊る』内の「蜂蜜パイ」
は完コピしたんだよなー。
村上のデタッチメントからコミットメントへ
移行する重要な作品だと思った。(分量もそんなにないしね)
「写経」すると、呼吸のようなものが、
色々分かって好きです。
小田和正についても、任天堂についても、
まとめて書きたいな~。
(…といいつつ、怠慢の続く毎日…。
こうして、少しでも書けることがウレシ。)
山登りって奥深いからね。極限の肉体体験でもあり精神体験でもある。自然を体験するには自然の中に飛び込むのが一番早いし、登山の自然体験って、ドンドン突き進めて行くと生と死の紙一重までいっちゃうから。
最近は登山もしとらんけど、そろそろリハビリ始めようかとはおもっとります。
神戸在住、昔読んだけど、どんなストーリーかあまりもう覚えてないから今度貸してー。ドラゴンボールでさえストーリーオボロゲになってるから。ドラゴンボールももう1回読み返そうと思いながら読んでない。やっぱ名作は買うべきかなぁ。どうしようかなぁと迷いつつ、買わない、弱い人間のわたし(みつを風)。
「写経」は大事よね。俺もミスチルの歌詞は最近全部書き起こしたよー笑
小田和正、任天堂の文章、興味深いですね。
わしがいづれ書くとしたら岡本太郎、松本人志、ピカソ、プロレス・・・この辺はいつか自分の中でまとめたいなぁ。小学生くらいから未だに追ってるテーマだからね。
和田中の元校長・藤原さんが、「よのなか」科の授業とかしてて、すごく面白いけど、漫画を題材にしての一般教養講座とかやれって言われたら通年の講座とか出来ますよね-。ナニ金にみる消費者金融論とか(笑)。大塚英志に言わせれば、漫画ももはや教養として教えないと伝承してない!という話ですから。
また、漫画だけに限らず、ドラマやJ-POP、TVゲームなんかも目眩がするくらい層暑いですよね-。今後アジアでの連帯=AU?(…よく分からないけど)するときなんか、絶対キーアイテムになるでしょう、サブカルチャーは。かなり輸出されてるみたいですよね。
しかし、いかんせんまだまだ若い分野なんですね。先日のNHKスペシャルでB'z特集してたけど、歴代売り上げ枚数の順位(1位B'z7809万枚、2位Mr.Children5283万枚、3位サザンオールスターズ4775万枚、4位浜崎あゆみ4754万枚、5位DREAMS COME TRUE4213万枚)みると…やはり若いですよね!…建築家のランキングなんかと比べたら、まだまだ現役バリバリ、浜崎なんかタメ年だしな~。若い!
…これだけサブカル分野の層が厚くなったのって、新人類(…ももう50歳ですね)くらいが最初なのかな?…このまま行ったら、僕らなんか80歳くらいの時なんか文化レベル高すぎて、過去を振り返る特集なんかしたら24時間テレビ丸々使っても語りきれないくらいなる!スゴイ!豊か!
…松本人志については僕も語らずにはいられない!(前にチラっと書きました)
http://blog.livedoor.jp/daiyoji/archives/64671153.html
岡本太郎、ピカソはちょっと興味あるくらいだな~、深さを(…深いのだろうことは予感しながらも)まだまだ理解できてないです。…プロレス!にいたっては、全く分からないな~、以外とプロレスって知的スポーツ的なところとかもあったりするのかしら?この辺、ぜひ、ききたいです!
(…コメントなのに、ほうっておくと長くなりますな~。いいことなり。)
次世代に伝えていく…、
カルチャーをまとめて授業のような…、
…など色々考えていくと、
やはり、宮台さん達の
『サブカルチャー神話解体』は結構いい仕事だったのかなと
今更ながらに思います。
(初版は15年前ですね。最近、ちくま文庫に入りました)
こういう仕事の役割は、やはり、
「世界の多様性に覚醒させる」点にあると思います
(ちょっと書いててピュアすぎる自分に恥ずかしいですが…)
http://blog.livedoor.jp/daiyoji/archives/65110699.html
の見田さんの仕事などもそうです。
で、一つは、総論や概論のようなかたちで、
上記のような仕事があり、
他方で、自分の持つ専門領域に軸足を置いて、
それをサブカルチャーに媒介させて伝えていくという方向性も
あるかと思います。
例えば、
西川祐子『借家と持ち家の文学史―「私」のうつわの物語』
などはその一例かと思います。
西川さんはジェンダー研究の第一人者ですが、
この仕事では、小説に限定してですが、日本の明治時代くらいからの住居史と家族論を、まさに「世界の多様性に覚醒」させてくれるように、これでもかこれでもか!と示しています。
(Amazonの中古みたら、ものすごいプレミアムがついててビックリ)
ぼくは、勝手に、こうした仕事を継承するのは自分のミッションだと思ってます。本書は、作品も80年代でとまってるので、その後の家族関係の変容や、また、文学に限定ですが、漫画、音楽、映画などもいれて(…橋口亮輔「ぐるりのこと」などホント良かった!)。
僕が思うに、「建築家」と名乗って仕事してる日とのなかでは、山本理顕さんが、自分は一番、いいなーと思ってます。僕の中では「建築家」ってのは、単なる意匠デザイナーではなくて、やはり文化的なものに自覚的な人であってほしいというのがあって、…丹下、黒川、ギリギリ安藤くらいで、そうした大文字の建築家はいなくなっちゃったのかなと思ってしまう感もあります。40代とかは、ホントにデザイナー化してる。
いい作品は、「世界の多様性に覚醒」させてくれて、また、僕の好きな言葉の「禍福は糾える縄の如し」という〈世界の原則〉をロールモデルを通して教えてくれるものだと思います。多様な主体が輻輳して生きる世界ですから、〈勝ち〉だけを集めていくということは、長期のスパンになればなるほど(10代だけ勝つとかは出来るかも知れないけど…)難しくなる(確率的に少なくなる)。であるならば、そんな〈世界の原則〉に反するような生き方を称揚するのではなく
(…なので、「勝ち組負け組」言説はちょっと違うな~と思います。)、今現在だけ見れば不幸である事象も、次の幸せの糧のようなもので、むしろ勝ち続けてるときの方が気をつけて…というふうに、そして、それらひっくるめて「美しい世界じゃないか」(byブッダ)と多くの人が感じられるような、そういう教科書(人生の観光ガイド)みたいなものがつくれるといいなと思います。
わしも結構売ったり人にあげたんですよね。何度も引越し繰り返してると、少しずつものを減らさないといけないんじゃないかと思っちゃって。
その対極にあるのは実家。もうどこにも行かないから、物置と部屋との境界がない。実家帰るとあらゆる本や雑誌や服やモノや・・溢れていて、それはそれで見るの楽しい。だって、一度は自分が興味あって、そのフィルター通過しているものばかりだから、購入を決意したときの思いまでも思い出しちゃう。
>伝染るんです、ナニワ金融道、三国志…
渋い!どれも名作ね。しかももう名作すぎて、今更話題にすら上がらないくらい浸透しちゃってるもの。
ナニ金にみる消費者金融論とか絶対面白い!金融論だと、他にも闇金ウシジマくんも、クロサギも・・考えさせられる漫画多いよ。ほんと。
いわゆるサブカルチャーと言われていた物、相当クオリティー高い。そこが日本人の凄さで、深く掘り下げる力は相当なもんだと思う。もう最初は凄すぎて、読後に心臓バクバクしてたものも、すぐ慣れちゃうから。山本直樹のエロ表現なんかも最初は衝撃だったしなぁ。北斗の拳の格闘シーンとかも最初は衝撃だった。
まあ、今サブカルチャーといわれているものは、過去でいう浮世絵みたいなもので、海外で価値を見出されて、「いやぁー僕も最初からすごいと思ってたんですよー」とか、海外で権威ついてから後出しじゃんけんで価値を認めだす評論家とか大人とかいっぱい出てくるんだろうなぁ。イヤダイヤダ。
松本人志論、面白いね!
シュールと言われる笑いを追及して、今まで1と2の間に何もないと思っていた領域に、1.1とか、1.01とか、そういう小刻みな世界を少しずつ作って、それを1から100まで全部やり続けてるっていう、そんな気がしてます。他の人が何も見えてなかった世界を、さらにさらに細かく分け続けているような世界観。そして、その笑いの作り方って、極論すれば無限に続けることができるんだよね。それが松本の本質だって中学生のとき思ったのを思い出したし、今思ってもそういう気がする笑
岡本太郎、ピカソ、深いよー。特にピカソは一生追っかけても理解できないかもしれないと思うほど底なし。ピカソ関連の展覧会はもう小学生自分から20年近く追っかけ続けてる。あの世界観は果てしないんだなぁ。手塚治虫とかも。
プロレスは人間ドラマですね。特に昭和プロレス。猪木とかいたときね。俺もこの辺話しだすとおわらんよ笑
山本理顕さん、今度わしも注目してみてみるよ。
「建築をつくることは 未来をつくることである」って本出してるけど、その通りね。でも、本当は建築に限らないと思うのよね。仕事とか生活とか人生って本来そういう要素を含んでいるはずなものなのぢゃなかろうか。「生きることは 未来をつくることである」でもよさそうだしね。
デザイナー化。確かにそうかも。
そうなると、この世の雑誌とかマスコミもそうだよね。雰囲気だけ?うわべだけ?体裁だけ?あ、これって今の学問もそうだ!
雑誌の世界では【風の旅人】という雑誌に大いに期待してる。世界観は同期します。
マスコミは・・・なかなかないかなぁ。今の大手テレビ会社はもっと頑張って欲しい。より大事なもの、より本当のものをね。
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そういう教科書(人生の観光ガイド)みたいなもの、きっとつくれると思うよ。というか、寧ろ作らないといかんと思うよ。次の世代に引き継ぐためにね。まあじっくり丁寧にやっていきましょう。焦ってもしょうがないし、コツコツとね!わしもお供させて下さい。