日常

田口ランディ,秋山眞人「フォースを使え」

2014-06-28 12:07:27 | 
田口ランディさんと秋山眞人さんの「フォースを使え」JMAアソシエイツココリラ出版事業部 (2014/05)を読みました。

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<内容(「BOOK」データベースより)>
作家の田口ランディ氏と日本を代表する超能力者の秋山眞人氏が、科学主義、原理主義を超える超能力、覚醒、精神世界について徹底的に語り合った精神世界の入門書。
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面白かったなー。お二人とも直接知っているということもあり、こういう深く突っ込んだ議論は特に興味深く読みました。
日常の雑談として漏れ聞こえてくる話も面白いけど、ある明確な軸を元に編まれたテーマで語られる内容も面白い。

やはりランディさんのようにコトバに習熟しないと、自分が伝えたいことをコトバのコードに乗せることが難しいから、自分もコトバ(自然物すべてがコトバを発しているので)の研鑽しようと思いました。

自分の中の思い(想念)と、外に発するコトバとが一致するのが理想です。
言霊学によると、発する一音一音すべてに神さまがおられますし。。。。



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秋山眞人
『私たちの存在そのものが「霊的な衣をまとった宇宙のかけら」。
人間がそういう存在であることを表現しようとしているものが「精神世界」と言えます。』
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『身体感覚で説明すると、体や時間の感覚がきわめて希薄になります。
外側と自分という感覚があいまいになって、外から感情だけがはいってきたりします。』
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『自分が自然と一体になって溶け出すような感じだった。』
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→秋山さんもランディさんにおとらず言語感覚が素晴らしい方なのです。

「霊的な衣をまとった宇宙のかけら」とはなんて素敵な表現!!

人間存在を、宇宙や自然とのつながりとして捉える事ができれば、
自然破壊は自分や生命を壊していることにつながるので、当然のようにできないはずなんですよね。


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田口ランディ
『この精神世界における主役は自我意識や実存的な個ではないということ。
自我は社会とのゲートであって、仲介役、媒介者です。
生命の主役は、霊的なもの、エネルギーというしかありませんね・・・

秋山
『エネルギーというのは物理学用語ではなく、元々精神世界の用語なんです。
中国なら気、インドならプラナー、ブラフマン・・・何かわからないけど、この空間に充満しているものがあるのです。』
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そういうエネルギーとしか呼べない駆動力の海にぷかぷかとクラゲのように浮かんでいるのが生命であり、人間なのでしょう。





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田口ランディ
『身体感覚が自分だと思ってしまいがちですが、実際自分だけの身体なんてものはこの世にはなくて、常に外のエネルギーは出たり入ったりしてつながっているわけですよね。
同時に意識と物質もお互いに重なり合って浸透しあっている。
だから、瞑想や禅などの修行では身体や皮膚を通して何かの感覚を感知したとき、これが外界とどうつながっているか、ということをシビアに観察する観察眼というのが重要になるんですね。
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→皮膚はそうした「わたし」という境界線を認識する臓器なんですよね。
この臓器があることで「わたし」という一まとめの意識が存在しているようです。

実際、皮膚がなくなると内臓が裏返って自然といったいになるので、個の意識は当然なくなりそうですが。笑

傳田先生の本はどれも参考になりますよ。
○傳田光洋「第三の脳 -皮膚から考える命、こころ、世界」(2013-04-30)


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田口ランディ
『私には前世の記憶はないけれど、自分がちがう自分かもしれないという「あそび」は必要だなと思います。』
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→ユーモアもあそびもそうですが、それをメタ次元で見つめれるような視点は大事ですよね。


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秋山眞人
『お金に困らない人は要するに人たらしであること。人から関心をもたれる資質が何かある。』
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→そうですよね。お金はエネルギーの物質化したようなものだから、その人に色んな人が交流を持てば、お金は勝手に流通して動いていきますよね。


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田口ランディ
『人はそう簡単には無心になれません。秋山さんがUFOを呼んだお話を聞いて、それってまさにマントラ修行だと思いました。
ひたすらマントラを唱え続けるように、無心に願いを唱え続ける。』
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『自我は主役ではないから、我欲でやろうとしたことはうまくいかないのでしょう。
主役に自我が座っていると、フォースは働かないわけです。』
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→ブッダもいうに煩悩というか我欲から逃れるのは簡単なことではないです。
ただ、誰もが赤ん坊だった時代があり、ああいう自然や天地と全共鳴状態だったことを「思い出す」ということは大事だと思います。





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秋山眞人
『不思議な感覚を生き続ける限り掘り下げたいという人たちは、不思議な感覚とお長い対話の中から、今は絵を描いて生活している、家の図面をつくる仕事をしている、、、というように職業的にもソフトランディングしている場合が多い。
ところが、こういう人ほど普通の生活をしていて、ヒーラーにはなりません。ふつうの生活をしながら、困った人に頼まれた時だけ能力を使うから、平和になります。』
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→天に意識がつながりやすい人は地(現実世界)を意識したほうがいいし、地(現実世界)につながりやすい人は天(宇宙や見えな世界)を意識したほうがいい。
それは常にバランスの問題です。
天地人というように、人は天と地をつなぐ存在ですからね。

自分も常に天やら地やら・・・バランスをとり続けながらここまでやってまいりました・・・(^^;




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田口ランディ
『肯定か否定かという論争は、それをご飯の種にする方がやっているのであって、社会や人間の霊性の向上に何か貢献しようとしているわけではありませんから、あまりに気にしなくていいのではないでしょうか。』
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→自分も全くの同感。
あると思う人にはあるだけの証拠があり、ないと思う人にはないと思うだけの証拠がある。
あるかなしかの議論は、いつまでたっても平行線。最終的には声が大きい人が勝ったり、説得に負けて終わるような感じ。

そうではなくて、互いが互いを尊重しながら「和する心」が大事なんですよね。


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孔子『論語・子路』
「君子は和すれども同ぜず。小人は同ずれども和せず」
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田口ランディ
『秋山さんは、存在と意識が完全に重なった状態を体験できる人間として対話をすすめます。
超能力者とは、物質的なものと意識とが違う様相をした同じものであることを認識し、物質と意識の二つの視座を統合した三角形の各点で多層的かつ全体的に認識している人とします。』
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『私は、カルマは意識化できない偏りだと思っているんです。』
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『言葉は気持ちを語るものではなく、気持ちについて語るものになってしまった。』
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『「間」って何かというと沈黙なんです。言葉が消えた瞬間です。
コミュニケーションができない人にとって一番怖いのが沈黙なんですよ。
でも、神秘は沈黙に宿っている。』
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→ランディさんの言葉の使い方が的確でうなります。
見えない世界なだけに、何をどう表現するか、どういう言葉を使い、どういうメタファーで共有するか、ということは大事なことですね。



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ほんと面白い本でした!


(追伸)
本書のP29。
ランディさんのカブトムシにまつわる記載がありますが、あのエピソードは自分が話したことです。
本をお持ちの方は、あーこれイナバのことかーと思って読んでください。笑