日常

一条真也「死を乗り越える映画ガイド」

2016-10-22 01:43:52 | 
一条真也さんの「死を乗り越える映画ガイド あなたの死生観が変わる究極の50本」現代書林(2016/9/17)を読みました。

10月は本職で大きな仕事が多数控えていて、なかなか読書の時間が取れず・・・、やっと完読!
(完読!と思ったら、一条真也さんの対談の新刊「葬式に迷う日本人」(with島田裕巳さん)がこれまた面白い!こちらも感想書きたいー。)


一条真也さんの「死を乗り越える映画ガイド」(現代書林)はすごい!
何がすごいかと言うと、映画評を書いた本は数多くありますが、「死」を軸としてまとまあげた本は初めてです。
でも、よく考えてみると人は、ほぼ例外なく「死」のシーンでは感動します。
「死」というのは、生命を支える場所と深い関係があるのだと思います。


一条真也さんは実業家であり社長であり文筆家であり読書家であり・・・・様々な顔を持つ超人のスーパーマンです。

ブログを毎日チェックしていますが、読んでいる方がおいつかないほどのブログ更新量!
個人ブログだけではなく、同時に社長ブログまで同時連載しているという、ものすごさ。
きっとこの量と質の高さは世界一でしょう。
ブログアップの量を見るたびに、いつものけぞっています。

一条真也オフィシャルサイト
**佐久間庸和の天下布礼日記
***一条真也の新ハートフル・ブログ




「死を乗り越える映画ガイド」を読んでいて、こんなにも映画で「死」や「葬」を取り上げたものが多いのか!ということにも改めて驚きましたし、冠婚葬祭という実務をされている一条さんだからこその視点から読み解かれる文章にうんうんとうなりました。
(自分も、医療職についているからこそ、医療ドラマや医療漫画はいろいろと気になります・・・。)


人は、生まれ、生きて、死んでいく。そういうサイクルから逃れることはできません。
ただ、人類という種にまで視点を広げてみると、個体としての人が亡くなっても、人類としての種は残ります。

共通祖先から600万年前に人類とチンパンジーは枝分かれしたとされますが、人類という物差しで考えると最低でも600万年はいのちがつながっています。
人類ではなく、生物や生命というスパンで考えてみると、実に40億年近くも生命は続いているのです。今後も地球が存在している限り、きっと様々な創意工夫の繰り返しの中で続いていくことでしょう。



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こうした生命曼荼羅のひとつの種として人類がいるわけですが、一条さんは「葬」(葬儀)というものを最重要視されています。

(「唯葬論」の中で縦横無尽に描かれた内容ですので、まだお読みでない方は是非この大著を!)
一条真也「唯葬論」(前編)(2015-08-07)
一条真也「唯葬論」(後編)(2015-08-14)


「葬」(葬儀)とは、人が死と生とをつなぐため、死者と生者をつなぐための重要な行為なのでしょう。生と死とが分断されないために。
自分も一介の臨床医として強く同意します。
生と死とを結ぶものがない限り、生と死とは違う次元に存在する世界ですので、その段差はゆるやかに接続されません。生者と死者とも分断され、時や歴史や知恵は積み重なっていけないのではないでしょうか。


私たちは、映画やドラマを見る時、死の場面に出会うと思わず涙が出ます。
死の場面とは、訳も分からず涙が出てしまうもの。
「死」に対して人の心は否応なく大いなる力で激しく動かされてしまうものです。
生命の深い歴史に込められた何かが発動し、呼び覚まされるのでしょう。

そうした感覚は、生きている人ばかりで構成される日常世界では忘れがちになります。
そのために、平家物語など死をテーマにした古典作品は語り継がれてきたのだと思いますし、芸術はそのタイムマシンとしても機能していたはずです。

そういう意味で、「死」をテーマにした映画というのは、人間の営みにおいて極めて重要なのではないかと思います。
この「生者」の世界が、常に「死者」によって支えられていて、受け継がれてきている、という事実を思い出して忘れないためにも・・・・。



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本書は全五章からなります。

第1章 死を想う 
第2章 死者を見つめる 
第3章 悲しみを癒す 
第4章 死を語る 
第5章 生きる力を得る 

それぞれの章で「死」をテーマとした映画がこれでもか!これでもか!と紹介されています。


●第1章  死を想う
〇「永遠の僕たち」―死を見つめる切ないラブストーリー(2010年 アメリカ)
〇「母と暮せば」―優霊映画の定番ゆえに泣ける1本(2015年 日本)
〇「はなちゃんのみそ汁」―大切なことを伝えたい母の思い(2015年 日本)
〇「そして父になる」―先祖へつながる家族の絆(2013年 日本)
〇「東京家族」―「東京物語」へのオマージュ(2012年 日本)
〇「悼む人」―「死者を忘れるな」という強烈なメッセージ(2015年 日本)
〇「四十九日のレシピ」―限りない家族への希望(2013年 日本)
〇「涙そうそう」―冠婚葬祭と家族愛を描いた沖縄の映画(2006年 日本)
〇「オール・ユー・ニード・イズ・キル」―戦闘シーンがリアルな日本人原作のSF(2014年 アメリカ)
〇「サウルの息子」―「人間の尊厳」と「葬」の意味を問う名作(2015年 ハンガリー)


「永遠の僕たち」の解説にありましたが、
・心に儀式のようなまとまった形を与えないと、人間の心にはいつまでたっても不安や執着が残る。
・不安や執着は人の精神を壊しかねない。
・動揺して不安を抱え込んでいる心に、ひとつの「かたち」を与えることが求められる。

というコメントは、まさに一条さんだからこそ言える重い発言だと思いました。


儀式というのは、心の見えないプロセスを外部化させて、形を与えて見えるようにしたものをいうのでしょう。
こころが不安定になっているときは、自分一人の力では心を安定させることができません。
だからこそ、「儀式」を行うことで外的な行動が内的世界に反映されて、心も落ち着きを取り戻すのでしょう。
こころを落ち着かせるためには、肉体を伴った何か行動が必要になるのだと思います。


一条さんのコメントで素晴らしいと思ったのは、
・自分の葬儀を具体的にイメージすること。
・自分の葬儀は、「このような人生を歩みたい」というイメージを凝集して視覚化したもの

という点です。

自分もふとした拍子に、自分が死んだことを想像してみて、悔いのない人生を送りたいと心を改める時間を作るようにしています。
そうすると、自分の葬儀のときに周りから惜しまれるような人間でありたいと、思うものです。
そうした死者としての自分の異なる視点を持つことは、生を深い場所から支えてくれる力になります。



・葬儀とは「死のセレモニー」ではなく、「不死のセレモニー」


個体の「死」という概念を超えて、いのちの流れそのものに自分がつながるとき、「死」という観念は数億倍に希釈されて、個の意識がなくなると思います。

自分は、<一人称の死>というのは存在しない、体験できない、と思っています。
つまり、「自分は自分自身の死を体験することはできない」ということ。

夢に入る瞬間を誰もが意識できないように、死というのは一人称では永遠に体験できないと思うのです。
この瞬間に宇宙そのものが消滅しても、誰も気付くことすらできないのではないかと。
このことは自分にとっては重要なことで、SFの世界のようですが、子どもの頃からこうした感覚をずっと持っています。



・「涙そうそう」での妻夫木聡の男泣きは一世一代の名演技!いくら我慢しても涙が出てきます。
という発言で、「涙そうそう」を見たい!と思いました。
そこまで絶賛させる男泣きとは何なのか?!と。


人間の脳にはミラーニューロンというのがあるらしく、他の誰かの行動を見ると、全く同じ反応を自分の脳も起こしている、ということらしいです。
ですから、妻夫木聡さんの男泣きを見ていると、こちら側の脳も男泣きをして反応する。
脳としては、自分の体験なのか妻夫木聡さんの体験なのか、本質的にはあまり区別する日治癒もないのでしょう。
妻夫木聡さんの男泣き、、、気になります。



一条さんの解説を読んでいて、
〇「母と暮せば」(2015年 日本)
〇「東京家族」(2012年 日本)
〇「涙そうそう」(2006年 日本)
〇「サウルの息子」(2015年 ハンガリー)
この4作が特に気になりました。なんとか見たい。
自分が見たことがあるのはなかったです・・・。



●第2章  死者を見つめる
◇「おくりびと」―世界に日本の儀式の素晴らしさを発信(2008年 日本)
◇「おみおくりの作法」―孤独死した人々へのやさしいまなざし(2013年 英伊合作)
◇「遺体 明日への十日間」―何が人間にとって本当に必要か(2012年 日本)
◇「蜩(ひぐらし)ノ記」―「死ぬことを自分のものとしたい」(2014年 日本)
◇「おかあさんの木」―樹木葬をイメージする戦争映画(2015年 日本)
◇「ハッピーエンドの選び方」―イスラエル版「おくりびと」(2014年 イスラエル・独合作)
◇「世界の涯てに」―生きる目的を探す不思議な三角関係(1996年 香港)
◇「バニー・レークは行方不明」―観る者に実存的不安を与える名作(1966年 アメリカ)


・古代日本の「遊部」という職業集団は、天皇の葬儀にかかわる人々だった。

というのは面白い事実ですね。
「遊び」や「芸能」というのは、人間の生命の深い場所と関連があるのは、よくわかります。


「遺体 明日への十日間」のコメントの中で、
遺族の魂に対してのグリーフケア、死者の魂に対してのスピリチュアルケアの両方を見事に行っている。
・具体的には、「死体」ではなく、尊厳をもって「ご遺体」と言うこと。
・死後硬直しているご遺体の筋肉をほぐして、元通りの姿勢に戻すこと。
・まるで生きている人間を相手にするように、遺体に言葉をかけること。
・遺体の死に顔をきれいにするために、丁寧に化粧をしてあげること。
・遺体と対面した遺族に真摯に対応し、必ず思いやりのある言葉をかけること。

と書いてあり、非常に勉強になりました。
同じ医療者としても、肝に銘じたいことです。思わず背筋が伸びました。


解説を読んでいて、
◇「蜩(ひぐらし)ノ記」(2014年 日本)
◇「バニー・レークは行方不明」(1966年 アメリカ)
この2作が特に気になりました。見たい。

自分が見たことがあるのは
◇「おくりびと」(2008年 日本)
これは名作です。

えらく昔に、この原作の『納棺夫日記』の感想を書いたような、、、と思って自分のブログを遡ってみたところ5年前の2009年に書いてました。
文体もかなり違っていて、過去の自分に驚きます。
まさかこうして未来の自分にチェックされるなんて!(今の自分も、また未来の自分にチェックされる?!)

青木新門『納棺夫日記』(2009-04-27)





●第3章  悲しみを癒す
 
△「岸辺の旅」―世界は「生者のような死者」と「死者のような生者」にあふれている(2015年 日本)
△「ポプラの秋」―「死者への手紙」に託す想い(2015年 日本)
△「想いのこし」―成仏するための作法(2014年 日本)
△「ニュー・シネマ・パラダイス」―「人生最高の映画」「心に残る名画」への違和感(1989年 伊仏合作)
△「アバウトタイム~愛おしい時間について~」―タイムベル映画の新境地(2013年 イギリス)
△「ファミリー・ツリー」―家族の絆は別れ際にあり!を実感(2011年 アメリカ)
△「インサイド・ヘッド」―ピクサーのヒット作。葬儀で泣くということ(2015年 アメリカ)
△「リトル・プリンス 星の王子さまと私」―ハートフル・ファンタジーの力を再確認(2014年 フランス)
△「アナと雪の女王」―男女の恋愛話だけがアニメの世界ではない(2013年 アメリカ)
△「風立ちぬ」―最大のテーマは「夢」(2013年 日本)



・葬儀を行わずに死者になりそこねた幽霊を死者にするために「供養」というものがある。
・供養では死者に現状を理解させることが必要。
・遺族をはじめとした生者が「わたしは元気ですから、心配しないでください。あなたのことを忘れませんよ」と死者に伝えることが供養の本質ではないでしょうか。

と書いてあるのは素晴らしい。まさに供養の本質ですね。
死者も、生者と同じようにコミュニケーションすることが大事なのでしょう。


「ニュー・シネマ・パラダイス」に対する、一条さんの辛口のコメントも痛快で面白かった。
(自分も好きな映画なのですが、また改めて見ると少し感想変わるのかなぁ。)!


「インサイド・ヘッド」は自分も見ました!
人間の見えない心理をたくみに描く名作でした。さすがディズニーと思ったものです。

ただ、ひとつ残念だったのは、すべて「あたま」の中の会議だったことです。
自分は、からだ全体が日々「からだ会議」をしていると思っています。
ある意味では現代の「あたま」中心の世界(養老先生風に言えば脳化社会)を象徴しているのかも、とも思いましたね。
「からだ」全体を無視して、「あたま」だけで行動をすべて決めていく、というところが。
自分も、「からだ会議」をテーマにした映画やアニメを作りたいものだと思ってます。
(実は、お笑い芸人アップダウンの竹森さんが、自分のブログを原作にして作ってくれているので、いつか公開できるかもです。)

からだ会議(2016-03-24)


宮崎駿監督もジブリも大好きなので「風立ちぬ」は公開直後に見に行きました。号泣しました・・・。

映画「風立ちぬ」(2013-08-26)





●第4章  死を語る

▽「エンディングノート」―「死」を迎える覚悟の映画(2011年 日本)
▽「オカンの嫁入り」―日本映画の王道の冠婚葬祭映画(2010年 日本)
▽「縁(えにし)~The Bride of Izumo」―日本の美に涙する1本(2015年 日本)
▽「お盆の弟」―「無縁社会」を打ち破る「血縁」映画(2015年 日本)
▽「マジック・イン・ムーンライト」―大好きなウディ・アレンの佳作(2014年 米英合作)
▽「マルタのことづけ」―「死」を覚悟して笑顔で旅立つ姿に感動(2013年 メキシコ)
▽「海街diary」―この上なく贅沢で完璧な日本映画(2015年 日本)
▽「クラウド アトラス」―輪廻転生を壮大なスケールで描く(2012年 アメリカ)
▽「永遠と一日」―名作は必ず「愛」と「死」の両方を描く(1998年 伊仏ギリシア合作)
▽「天国は、ほんとうにある」―臨死体験することの意味(2014年 アメリカ)



「永遠と一日」はテオ・アンゲロプロス監督の映画だけに、とてもファンタジーに満ちた素晴らしい作品。
村上春樹さんの作品に通じるものがあります。
ある種の夢見の意識で見る映画ですね。表層意識にはすこし沈黙してもらいながら。。。
早稲田松竹でテオ・アンゲロプロス監督の<霧の中の風景>を見たときの自分の感想も発掘しました。

→〇アンゲロプロス「霧の中の風景」(2010-10-10)



「クラウド アトラス」と「天国は、ほんとうにある」はブログで感想を書いているのに気付きました。


「クラウド アトラス」はあまりに感動し過ぎて、10個ほどDVDを買い年末プレゼントと称してサンタクロースのように忘年会で友人に配りまくった覚えがあります。何か感染したんでしょうね。笑


映画「クラウド アトラス」(2013-11-29)

映画『天国は、ほんとうにある』(2014-10-24)



一条さんの解説を読んでいて、
▽「海街diary」(2015年 日本)
が特に気になりました。
吉田秋生さんの漫画は全巻読んでるけど(ただ、記憶がおぼろげ・・)、やっぱり映画も見ないと!
漫画原作でいい映画っていうのはなかなか珍しいんですが、これは楽しみですね。



●第5章  生きる力を得る

□「海難1980」―トルコと日本の国境を越えた大いなる「礼」の実現(2015年 日本トルコ合作)
□「6才のボクが、大人になるまで。」―時間というのは現在のことだ(2014年 アメリカ)
□「アリスのままで」―アルツハイマー病の現実を描く(2014年 アメリカ)
□「博士と彼女のセオリー」―絶望を希望に変えてくれる名画(2014年 イギリス)
□「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」―ホテル業ほど素敵な商売はない!(2011年 英米アラブ首長国連邦合作)
□「アルバート氏の人生」―自分らしい生き方を模索する姿に共感(2011年 アイルランド)
□「シュガーマン 奇跡に愛された男」―生きる希望を与えてくれる傑作(2012年 スウェーデン英合作)
□「セッション」―音楽と教育の力を実感する1本(2014年 アメリカ)
□「ライフ・オブ・パイ トラと漂流した2227日」―青年を成長させてくれる漂流映画(2012年 アメリカ)
□「レヴェナント 蘇りし者」―生きることの過酷さを実感する巨編(2015年 アメリカ)
□「ゼロ・グラビティ」―死者に支えられて生きていることを実感できる(2013年 アメリカ)
□「インターステラー」―親は、子どもの未来を見守る幽霊(2014年 アメリカ)



●あとがきにかえて「最後にもう一本」
「裸の島」―『葬式は、要らない』に対する答え



自分も「インターステラー」はここ10年くらいのベスト3に入るくらい感動して衝撃を受けた映画です。
SFど真ん中なのですが、あの世の秘密や時間の秘密などにも果敢にも挑戦していて、映像も恐ろしいほど美しく、完全に映画の並行現実の世界に持っていかれました。数日は夢遊病のようにぼーっとしてたのを覚えています。笑
この映画は本当にみんなに観てほしい。
まさに映画の真髄ですね。本当に本当に感動しました。大好きな映画です。




解説を読んでいて、
□「海難1980」(2015年 日本トルコ合作)
は絶対見ないとなぁと思いました。


熊本高校の先輩でもある前田裕子さんは、トルコ共和国の薔薇を使ったアロマや石鹼など様々な質の高い商品を手作りで作られていて、トルコと日本の架け橋のためにも、この仕事をされておっしゃってました。肥後もっこすの熱い話に感動しました。自分も嗅いでみましたが、素晴らしいバラの香りで、日本にはない異国のアロマだなと感動しました。

その前田さんからも、この映画のテーマになった1890年のエルトゥールル号海難事故の話も聞いたのです。紀伊大島・樫野の村民たちが命がけでオスマン帝国からの使節団を救出した話。日本とトルコとは、強い絆で結ばれているという話。
知らない歴史が多くて恥ずかしいものですが、映画は勉強のきっかけとして強いInspirationを与えてくれますよね。

株式会社 Jetty
マエダユウコの薔薇水生活

「海難1980」オフィシャルサイト




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一つ一つの映画を見ていない自分としては、映画を見たい!と思わせてもらったガイドブックとして素晴らしい本です。

生きている人間にとって、最大の教育であり最大の謎は「死」の問題だと思います。
哲学もそこから派生していますし、死の謎をどういう風に自分の中に位置づけていくか、、、ということはそれぞれの人生の中で向き合っていくべき最重要テーマだと思います。
自分は子どもの頃からその問いを片時も忘れたことはありません。


ソクラテスは冤罪となり、毒杯を飲んで亡くなりました。
キリストは磔となり、血を流しながら亡くなりました。その後、復活を経ます。
孔子は、高弟の一人子貢に「謂水」という川が見たいといい、「すべてのものはこのように流れていく。夜もなく、昼もなく...」と言い、弟子に看取られ、亡くなりました。
ブッダは、鳥や動物や弟子に囲まれ、ほぼ老衰に近い形で横になりながらスヤスヤと亡くなりました。

それぞれの宗教で、創始者の死の在り方はそれぞれ違いますすが、何かそういう亡くなり方自体にも、宗教全体を構成する土台として何か重要な生と死のテーマが隠れているのかもしれません。
個人的には、自分はブッダのような往生の仕方に惹かれます。自然の中で動物や鳥や虫たちに囲まれながら。。。



どの映画を見ようかなぁーと迷う方に、是非ともお薦めの本です。
ただ、本を読んだけで映画を見た気にならないよう、ご注意を~。



P.S.1.
この本では紹介されていませんでしたが、「死」をテーマにした映画で、学生時代にもっとも強い影響を受けた映画は、
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(監督ラース・フォン・トリアー、主演ビョーク)
当時、呆気にとられて呆然としたのを強く覚えています。。。
2000年製作のデンマーク映画ですから、もう16年前!ですね。。。


ダンサー・イン・ザ・ダーク(2009-10-07)




P.S.2.
ちなみに、この本は西国分寺のクルミドコーヒーにて読みました。ほんとうに素敵なカフェです。
オーナーの影山さんと、シンポジウムでご一緒させてもらったご縁です。
場のシンポジウム2016