Eco-Branchさんの<Beな人>という所に原稿を書きました。お時間ありましたらお読みください。
昨年、白雪姫プロジェクトのかっこちゃんと、Jazz歌手の鈴木重子さん(アレキサンダーテクニックの指導者でもあるのです)と対談に出ました。その時のご縁で書きました。
(友人が<松の力>で検索したら、なぜか自分のこのページが出てきて驚いた、と言われ、自分もこのページに気づきました・・・。)
◎「いのちの流れ」から託されたもの
http://www.eco-branch.jp/Life/Life-2/benahito.html
===============
■
自分は3.11の震災以後、一般向けに発信することを決めました。
3.11の震災で地球が剥き出しになった現地を見て回った時、色々と感じることがありました。
国立大学や国家公務員の使命、というものを感じました。
国立大学や国家公務員とは、個人の利益よりも、国や地球の公益のため、より大きな共同体、より大きな生命体のために働く人たちのことを指すと思っています。
国のため、というのは、自分の国さえ良ければいい、という閉鎖的な発想ではありません。自分の国や立場や特色をよく知っていないと、世界や宇宙にも貢献できません。まずそれぞれが自分の場所から初めた方がいいのです。
医療でも、人の体や心に携わる前に、まず自分の心や体が整っていないと、いい医療ができないのと同じことです。
すべての国や地域は地球の細胞や臓器・器官のようなものです。それぞれの役割や立場をよく知る必要があるわけです。
役割は心臓だろうか?腎臓だろうか?神経だろうか?血管だろうか?・・・
公共の利益を考えながら、医療や福祉の世界の全体像がいい平衡状態へと移動していくため、微力ながら少しずつ発信していきたいです。自分の原動力はそこにあります。
個人の人生は宇宙的時間の中で些細なものですので、宇宙的で神話的な時間を尺度にして、自分の行動を組み立てていきます。
話は変わりますが、<法人>という組織も、法律によって「人」とされている存在のことを指します。
つまり、<法人>は「人」「人間」なのです。生きているのです。
<法人>が人であるならば、ひとのこころやからだへの深い理解や共感こそが、<法人>がどこへ向かうべきなのかのカギも握っていると思うのです。
人間が生み出した<法人>という知的生命体と、人類はどう共存していくのか。
いのちの理解は、この自然に存在している存在すべての理解と通じると自分は思っています。
耳さえすませば、あらゆる存在物が宇宙の謎や問いそのものとして、常に呼びかけているのだと。
===============
◎「いのちの流れ」から託されたもの
http://www.eco-branch.jp/Life/Life-2/benahito.html
自分は医師として、日々ひとの体に接しています。そして気付かされることがあります。
それは、体や心を深いところで支えている調和の力の存在です。愛やいのちと言ってもいいでしょう。
私たちは一瞬一瞬生き続けていますが、その根底に調和の力が存在しなければ、生きている状態を保つことすらできません。
それは人間だけではなく、生物のいのちすべてに共通します。
この宇宙にいのちが生まれて四十億年近く経ちますが、いのちのつながりは、四十億年の間一度も途切れたことはありません。私たちがその事に気付くか気付かないかにお構いなく、いのちは宇宙的な調和の働きのなかで数十億年の規模で続いています。今後も続いていくことでしょう。
わたしたち生きている存在すべてには、そうした「いのちの流れ」から託され続けた調和の力が奥底に流れています。体や心は、その代表的なものです。
人は、生まれてから死ぬまで、一瞬たりとも自分の体や心と離れることはできません。
とても大切な存在の両親も恋人も親友も先生も…別れる時がありますが、体や心だけが一瞬も途切れることなく一緒にいるはずです。
ただ、私たちはずっと支え続けてくれている伴走者を大切にすることを忘れ、気遣いや感謝を後回しにしていないでしょうか。
頭で学ぶ情報や概念的な知識に振り回されるより、常に自分と一緒にいる心や体とこそ、仲良くして、対話をすることが大切なことです。すべてはそこから始まります。
医学や医療は、困ったひとをなんとか助けたい、という思いが原点にあり、体や心の知恵が凝縮されたものです。
芸術、古典や神話、衣・食・住・・・あらゆるところに、体や心の本質は潜んでいます。
この世界には色々な仕事や学問がありますが、どの仕事にも自分も周りも社会も幸せであってほしい、という思いが根幹にあるのではないでしょうか。
子どもから大人に成長する過程であらゆる常識・固定観念・ルールを学びながら、そうした大事なことをすっかり忘れてしまっているように思います。
良くも悪くも色々な知識や技術を学び身につけているはずですから、後はすべて使い方の問題です。
ノーベル賞級の物理学の知識があっても、爆弾や武器を作ることすら可能なのですから、学問や技術の本質は使い方です。どういう社会を望むのか、共に育んで行く必要があるでしょう。
医療の枠も定義も人間が決めたものです。私たちがどのような社会を作りたいかということをイメージしながら、時代と共にその原点を問い直す必要があると思います。それは他の領域でも同じ事です。
人の体には六十兆個の細胞がありますが、無駄なものは一つもありません。すべて役割が違うだけです。
仕事の役割も人の体と同じです。
対立や争いではなく、この世界の調和を願いながら、色々な領域と協力していく必要があるのでしょう。
体や心や魂と対話してそっと耳をすましてみると、「いのちの流れ」から人類が託されている祈りの声が聞こえてくる。
そんな気がしています。
昨年、白雪姫プロジェクトのかっこちゃんと、Jazz歌手の鈴木重子さん(アレキサンダーテクニックの指導者でもあるのです)と対談に出ました。その時のご縁で書きました。
(友人が<松の力>で検索したら、なぜか自分のこのページが出てきて驚いた、と言われ、自分もこのページに気づきました・・・。)
◎「いのちの流れ」から託されたもの
http://www.eco-branch.jp/Life/Life-2/benahito.html
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■
自分は3.11の震災以後、一般向けに発信することを決めました。
3.11の震災で地球が剥き出しになった現地を見て回った時、色々と感じることがありました。
国立大学や国家公務員の使命、というものを感じました。
国立大学や国家公務員とは、個人の利益よりも、国や地球の公益のため、より大きな共同体、より大きな生命体のために働く人たちのことを指すと思っています。
国のため、というのは、自分の国さえ良ければいい、という閉鎖的な発想ではありません。自分の国や立場や特色をよく知っていないと、世界や宇宙にも貢献できません。まずそれぞれが自分の場所から初めた方がいいのです。
医療でも、人の体や心に携わる前に、まず自分の心や体が整っていないと、いい医療ができないのと同じことです。
すべての国や地域は地球の細胞や臓器・器官のようなものです。それぞれの役割や立場をよく知る必要があるわけです。
役割は心臓だろうか?腎臓だろうか?神経だろうか?血管だろうか?・・・
公共の利益を考えながら、医療や福祉の世界の全体像がいい平衡状態へと移動していくため、微力ながら少しずつ発信していきたいです。自分の原動力はそこにあります。
個人の人生は宇宙的時間の中で些細なものですので、宇宙的で神話的な時間を尺度にして、自分の行動を組み立てていきます。
話は変わりますが、<法人>という組織も、法律によって「人」とされている存在のことを指します。
つまり、<法人>は「人」「人間」なのです。生きているのです。
<法人>が人であるならば、ひとのこころやからだへの深い理解や共感こそが、<法人>がどこへ向かうべきなのかのカギも握っていると思うのです。
人間が生み出した<法人>という知的生命体と、人類はどう共存していくのか。
いのちの理解は、この自然に存在している存在すべての理解と通じると自分は思っています。
耳さえすませば、あらゆる存在物が宇宙の謎や問いそのものとして、常に呼びかけているのだと。
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◎「いのちの流れ」から託されたもの
http://www.eco-branch.jp/Life/Life-2/benahito.html
自分は医師として、日々ひとの体に接しています。そして気付かされることがあります。
それは、体や心を深いところで支えている調和の力の存在です。愛やいのちと言ってもいいでしょう。
私たちは一瞬一瞬生き続けていますが、その根底に調和の力が存在しなければ、生きている状態を保つことすらできません。
それは人間だけではなく、生物のいのちすべてに共通します。
この宇宙にいのちが生まれて四十億年近く経ちますが、いのちのつながりは、四十億年の間一度も途切れたことはありません。私たちがその事に気付くか気付かないかにお構いなく、いのちは宇宙的な調和の働きのなかで数十億年の規模で続いています。今後も続いていくことでしょう。
わたしたち生きている存在すべてには、そうした「いのちの流れ」から託され続けた調和の力が奥底に流れています。体や心は、その代表的なものです。
人は、生まれてから死ぬまで、一瞬たりとも自分の体や心と離れることはできません。
とても大切な存在の両親も恋人も親友も先生も…別れる時がありますが、体や心だけが一瞬も途切れることなく一緒にいるはずです。
ただ、私たちはずっと支え続けてくれている伴走者を大切にすることを忘れ、気遣いや感謝を後回しにしていないでしょうか。
頭で学ぶ情報や概念的な知識に振り回されるより、常に自分と一緒にいる心や体とこそ、仲良くして、対話をすることが大切なことです。すべてはそこから始まります。
医学や医療は、困ったひとをなんとか助けたい、という思いが原点にあり、体や心の知恵が凝縮されたものです。
芸術、古典や神話、衣・食・住・・・あらゆるところに、体や心の本質は潜んでいます。
この世界には色々な仕事や学問がありますが、どの仕事にも自分も周りも社会も幸せであってほしい、という思いが根幹にあるのではないでしょうか。
子どもから大人に成長する過程であらゆる常識・固定観念・ルールを学びながら、そうした大事なことをすっかり忘れてしまっているように思います。
良くも悪くも色々な知識や技術を学び身につけているはずですから、後はすべて使い方の問題です。
ノーベル賞級の物理学の知識があっても、爆弾や武器を作ることすら可能なのですから、学問や技術の本質は使い方です。どういう社会を望むのか、共に育んで行く必要があるでしょう。
医療の枠も定義も人間が決めたものです。私たちがどのような社会を作りたいかということをイメージしながら、時代と共にその原点を問い直す必要があると思います。それは他の領域でも同じ事です。
人の体には六十兆個の細胞がありますが、無駄なものは一つもありません。すべて役割が違うだけです。
仕事の役割も人の体と同じです。
対立や争いではなく、この世界の調和を願いながら、色々な領域と協力していく必要があるのでしょう。
体や心や魂と対話してそっと耳をすましてみると、「いのちの流れ」から人類が託されている祈りの声が聞こえてくる。
そんな気がしています。