甘えるのが怖いのはなぜだろう。
迷惑や心配をかけてはいけないと自制する君よ。
君が甘えたかった誰かが、君を傷つけたことがあったのだろうか。
少しだけ踏み出しすぎてしまったために、眉をひそめられたことがあったのだろうか。
そんなときは、また、少しだけ出した足を引っ込めればいいんだよ。
どんなときにどれだけ心配をかけていいかなんて、
心配をかけて、覚えていくものなんだよ。
ゆるゆる、ちょっとだけ迷惑かけたり、ちょっとだけ傷ついたりしながら、進んでいけばいいんだよ。
心配しているあたしは、
心配をかけられることより、何より
君がいなくなってしまうことがイヤだ。
どこか遠い遠いところであっても、君がちゃんとそこにいるって分かっていれば、
君の隣にあたしはいつもいる。
あたしの見えないところでも構わない。そこにいてくれれば、それでいいんだよ。
生きて、どこかで生きていてくれるって、なんて、うれしいことなんだろう。
会いたいと思えば、会えなくもないって、なんて安心できることなんだろう。
心配ができるって、いいことだよ。
君は、そこで、うぅんと、あたしに、君を思わせてください。
迷惑や心配をかけてはいけないと自制する君よ。
君が甘えたかった誰かが、君を傷つけたことがあったのだろうか。
少しだけ踏み出しすぎてしまったために、眉をひそめられたことがあったのだろうか。
そんなときは、また、少しだけ出した足を引っ込めればいいんだよ。
どんなときにどれだけ心配をかけていいかなんて、
心配をかけて、覚えていくものなんだよ。
ゆるゆる、ちょっとだけ迷惑かけたり、ちょっとだけ傷ついたりしながら、進んでいけばいいんだよ。
心配しているあたしは、
心配をかけられることより、何より
君がいなくなってしまうことがイヤだ。
どこか遠い遠いところであっても、君がちゃんとそこにいるって分かっていれば、
君の隣にあたしはいつもいる。
あたしの見えないところでも構わない。そこにいてくれれば、それでいいんだよ。
生きて、どこかで生きていてくれるって、なんて、うれしいことなんだろう。
会いたいと思えば、会えなくもないって、なんて安心できることなんだろう。
心配ができるって、いいことだよ。
君は、そこで、うぅんと、あたしに、君を思わせてください。
京都第二章かとおもいきや...
泣けるです。
大切な誰かによりそいたい気持ちって。
こういうことなんだろな。
もう、お弁当つくってやんないよー。
お土産買って来てあげないよー。
ちょっと、反省。
ご期待を裏切りご免。
世界中とまでは行かない私は、身近だけれど、ちょっと遠いあの子にこう思っている。
これは、母性なんかな。それって自分とは縁遠いと思っていたのだけれど、そうかもしれない。
きくさんは、こういうのに泣けてしまうんだね。
そんなきくさんにとって、さぞかし世の中は生きづらいものでしょう。どうぞ。ないていいよ。
bubeさんちは、おべんととおみやがエサなんだね。すてきやわあ。きっと反抗したり、謝ったりするのも楽だろうな。ムスコちゃんは幸せもんだ。
「あたし」と「わたし」では、何が違うのでしょう?
この言葉には「あたし」が合うけど。
大人と大人の関係で、こんな気持ちになかなかなれない。利害とか経済とかが自制を求めているからだと思う。でも利害と経済でこの世は成り立っているものね。
「あたし」は少し脱げている、んですよ。利害とか経済とかを脱いでるんですよ。
気がつけば、わたしのわがままにつきあってくれる優しい人ばかりに囲まれています。
甘えられるのが嫌いなら、とっくに逃げているのかもなぁと思って、有り難く甘えさせてもらっています。
そういうわたしも、たまには誰かに甘えられるのも嬉しかったりもします。
世の中、もちつもたれつ。なのかも、ですね。
甘えられてうれしいときと、重たいときがあります。
やさしい人に囲まれているかなこさんに備わっている人徳ってモノなんでしょうね。
私は負けず嫌いなんでついつい、自分でやろうとしてしまうところがかわいくないと、自分でも思います。
私も生まれ変わったら、そういう人徳を持ってこの世に来たいものだと思います。
私は、ご推察済みでしょうが、もちろん、甘えられない人です。でも、甘えてもらえる人にはなりたいと思っています。甘えるのが下手でも、それを自覚しているかどうかって大切だと思いたいなあ。うん、甘えられないものの弁なんですけどね。
言葉にしたくても出来ない愛するものへの想いを、「あたし」が代弁してくれました。
肩の力がスーッと抜けるようです。
13歳の息子は今、荒波の中にいます。私の計り知れない苦悩の中で、もがき、のたうち回って..。
私にはそれを見ている事しか出来ません。
私は甘える事が下手だから、甘えさせる事も下手なんです。どんなに想いが胸いっぱい溢れていても。
許していただけるならば、この詩を私自身の筆で記し、息子に渡したいと思います..。
彼が絶望の淵に立った時、自分を愛するものの存在に気が付いてくれるように。。。
なんてうれしいお申し出でしょう!
そうして、KAYOさん自身のお筆で書いていただけるなんて。これは、ある人に向けて書いたものです。
そうして、きっとあなたの大事な人に向かって書いたものです。人生は長く、結論や結果は遠い遠い先にある。それを「見ていることしか」とかいていらっしゃるあなたを、私は尊いと思います。
おそらく(当然?)私は愛する者より先に逝きます。彼にとってこの詩は、私が遺してやれる唯一の宝物でしょう。
そして、人生の伴侶にさえ肩肘張って、頑なに生きている私自身にとっても...。
ありがとうございました。
身に余るお言葉。本当にありがとうございます。
わたしも、KAYOさんの言葉を励みに精進します。
また、お越しくださいね。