うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

薄汚れた処も

2022年12月11日 | ことばを巡る色色
幼い頃、母は自転車で30分ばかりの、母が「在所」と呼ぶ母の実家に事あるごとに私を連れて通った。母と私二人の実家からの帰りはいつも暗くなってからだった。その堤防道路の途中には神社があり、怖くて怖くて母の背中で目をつぶってしがみついた。子どもの頃はよく怖い夢を見た。派手な隈取りをした歌舞伎役者が粗末な舞台から私を睨み、見る見るうちに口が真っ赤に裂けていく。街は薄汚れていた。未舗装路の真っ黒な水溜り。用水路に立ち込める薬剤混じりの湯気。奥まった小屋の映画館。銭湯で見た刺青の背中。畦道の神に供えられた編み藁の上の赤飯の握飯。
薄汚くて怖くてよくわからない匂いがしている、
今の子が大人になって子どもの時を思い出した時、こんな清潔そうな街をどう思い出すのだろうか。街の思い出など、残っているのだろうか。
ああ、そうか。この国はクリーンになって、危険で薄汚くて不快なところにいられない高齢富裕インバウンドの好む場所となってしまったのだな。それはいいことなのか?
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