NHKの朝の連続ドラマを見ている。「どんど晴れ」である。もう、圧倒的なのは、大女将 草笛光子の美しさだ。完璧に美しい。髪形も眉も口紅の色も「降臨」である。
ずいぶん昔、玉三郎様(一時熱中したことあり)に「吉永小百合さんのような、上がった女性の美しさがいい」というのが有った。とてもとても若かった私は、その意味がよくわからなかったけれど、こういうことかなと今は思う。
黒柳徹子さんの着物姿も好きだ。肩の辺りがちんまりとよじれている。タオルで体型補正とか、衿芯とかの野暮なことはせず、持ち歩いた手土産の豆餅のような格好がいい。北林谷栄の銀鼠の紋付なども、ぞくぞくする。「刀自」は、蔵の奥の文書のお話も、おくどさんに棲む神様の名も、町の勘定場の番頭の口癖も、持ち山のきのこの場所も、花の名の付けられた井戸の由来も、みんな知っているのだろうな。聞いてはいけないことをたくさん知っている刀自は、何か諦めているようで、でも何も見捨ててはいないようで、その秘密の分だけ、艶っぽい。あな、おそろしや。
テレビに出てくるオネーサンたちは、トップシーズンのように扱われているけれど、昨日今日、高校を出た子達だもんね。
刀自たちは「対象」ではないところが、美しい所以だな。
こんな風に思うわたしもずいぶん「対象」を外れてしまったんだろう。玉三郎はもともと対象外の人であるから、刀自に惹かれていたのだろう。そして、今のわたしも同様。
持たないことは全てを持っていることであり、外れていることは中心にいるということであろう。以って色即是空、空即是色。
ずいぶん昔、玉三郎様(一時熱中したことあり)に「吉永小百合さんのような、上がった女性の美しさがいい」というのが有った。とてもとても若かった私は、その意味がよくわからなかったけれど、こういうことかなと今は思う。
黒柳徹子さんの着物姿も好きだ。肩の辺りがちんまりとよじれている。タオルで体型補正とか、衿芯とかの野暮なことはせず、持ち歩いた手土産の豆餅のような格好がいい。北林谷栄の銀鼠の紋付なども、ぞくぞくする。「刀自」は、蔵の奥の文書のお話も、おくどさんに棲む神様の名も、町の勘定場の番頭の口癖も、持ち山のきのこの場所も、花の名の付けられた井戸の由来も、みんな知っているのだろうな。聞いてはいけないことをたくさん知っている刀自は、何か諦めているようで、でも何も見捨ててはいないようで、その秘密の分だけ、艶っぽい。あな、おそろしや。
テレビに出てくるオネーサンたちは、トップシーズンのように扱われているけれど、昨日今日、高校を出た子達だもんね。
刀自たちは「対象」ではないところが、美しい所以だな。
こんな風に思うわたしもずいぶん「対象」を外れてしまったんだろう。玉三郎はもともと対象外の人であるから、刀自に惹かれていたのだろう。そして、今のわたしも同様。
持たないことは全てを持っていることであり、外れていることは中心にいるということであろう。以って色即是空、空即是色。
あることにこだわると、ないことばかりが気にかかる。ないことにこだわると有ることがみえなくなる。禅問答になってしまいました。そう、色も自由、空も自由、なんですよね。
長屋門をお持ちのmatsubaraさまは、正真正銘の刀自さま。長屋門、いつか拝見させてくださいね。
尊敬するな、超理系。わたしゃ、最終的には、文系的雰囲気でごり押しをしてしまうのだ。結構ずるい手ではあるな、と確信犯的です。
仏教では実際に存在する物質も、心でその存在をとらえなければ「ない」に等しいと教えている。
「何事にもとらわれず、あらゆることをこだわりなくせば、人間の心は自由になり、ずっと楽しくいきられる」
なんでもこだわりなく自由に発想せよってこと?
これがうさとさんの才能でしょうね。
ここで、初めて?知りました。
自他共に認める、超理系人間です。
うさとさんの文章に崇高なリズムを感じ魅せられる人は数多けれどコメント残せるだけの人は僅少だと思う。
その中の一人が自称理系の私である。だから駄洒落でしかコメント残せない。
『刀自』なんて言葉初めて聞いたよ。