皆様、暑いお盆休み(今は夏期休暇という会社が増えたとか、ドウトカ)いかがお過ごしでしょうか。
私も、ビッグな5日間休暇2日目でございます(その中でやらなきゃならない本業、内職仕事を積み残してはいるんですが)
知人の中には、世の夏期休暇に先駆け、ドバイ(ドバイ!!ですよ)に行ってきた人やら、ひるがのの別荘の人やら、万博やら、帰省の人やらですが、私はかわいらしくおうちで「プルートウ」2巻読んだりして、お休みを満喫です。
家人の知人は今、ビッグサイトに行っています。
何でも、このイベントはすごい集客力で、携帯の基地局がやってきたり、それでもあまりの情報量で携帯かけにくかったり、幕張からビッグサイトにイベント会場が変わるときは幕張関係から、県に陳情書が出たりと、大変なものだということです。
この夏休み大オタク祭り。家人との間で、オタとはなんぞ、って話題が飛び交っています。
オタクは双葉より芳し
これが私の持論です。オタクな方はもう、10歳を過ぎるとわかる。
立ち姿、物言い、身のこなし、全てがローティーンのころにオタク的に形成されている。得意が通用するコミュニティでは雄弁、それ以外では慇懃丁寧。時間当たりの発語数が、1.5倍程度あるのでわかりやい。また、コミケの近くを通りかかったりすると、大抵は1㎞位先からわかる。複数集まると強烈なオタクビームを放ってくるからかもしれない。
その後、オタク的オタクになるか、別の分野のオタクになるかという進路の別はあるんだけど、オタク的ローティーンでない子がオタクになることはない。
オタク的人種が日本に生まれたのは、大阪万博以降のことだと思う。それ以前の生まれで、始祖オタク系統は、たいてい、線路で写真撮ってるか、赤い表紙の戦闘機本読んでるか、小屋で演劇論ぶってるか、空の飛行機エンジン音聞いてるか、野原で捕虫網振ってるかだったように思う。たまに、オールドノリタケ集めてたりするかもしれない(ちなみに私は小屋で演劇論ぶってた昔もあった)
平和日本の象徴であるかもしれないし、この人種の文化への浸透力は、目立たぬところでジワジワ来ているだけに底力がある。
比較的優しくって物腰も柔らかいが怒らせると怖いし、他人への物腰とは真逆に自虐的な人が多いので、見ていてイタイこともしばしば。また、自虐が自己愛ゆえのものであるのでわかりやすい。過剰に刺激せぬことが肝心なとこだ。
ナドナド、オタクを語り始めると時間がたつのも忘れるほど、会話が弾む。
こうやって「見ただけでわかる」ということはもはや、新しい国の人たちだということなのだろう。違う国の人と対するには、その国の言葉、文化、風土を知った上で交流することが大切だ。そうでないと国際紛争が勃発してしまう。旧世代(トウキョーオリンピック、万博以前の20世紀少年)は比較的そのことがわかっていそうだが、前世代の人たち(戦前戦中団塊)はちょっと、軋轢があるのかもしれない。やはりそれは、新しい国の人とわかるかどうかにかかっているのだろう。違う国の人と認識した上、その国の作法でお付き合いすることが、正しい外交だ。
私も、ビッグな5日間休暇2日目でございます(その中でやらなきゃならない本業、内職仕事を積み残してはいるんですが)
知人の中には、世の夏期休暇に先駆け、ドバイ(ドバイ!!ですよ)に行ってきた人やら、ひるがのの別荘の人やら、万博やら、帰省の人やらですが、私はかわいらしくおうちで「プルートウ」2巻読んだりして、お休みを満喫です。
家人の知人は今、ビッグサイトに行っています。
何でも、このイベントはすごい集客力で、携帯の基地局がやってきたり、それでもあまりの情報量で携帯かけにくかったり、幕張からビッグサイトにイベント会場が変わるときは幕張関係から、県に陳情書が出たりと、大変なものだということです。
この夏休み大オタク祭り。家人との間で、オタとはなんぞ、って話題が飛び交っています。
オタクは双葉より芳し
これが私の持論です。オタクな方はもう、10歳を過ぎるとわかる。
立ち姿、物言い、身のこなし、全てがローティーンのころにオタク的に形成されている。得意が通用するコミュニティでは雄弁、それ以外では慇懃丁寧。時間当たりの発語数が、1.5倍程度あるのでわかりやい。また、コミケの近くを通りかかったりすると、大抵は1㎞位先からわかる。複数集まると強烈なオタクビームを放ってくるからかもしれない。
その後、オタク的オタクになるか、別の分野のオタクになるかという進路の別はあるんだけど、オタク的ローティーンでない子がオタクになることはない。
オタク的人種が日本に生まれたのは、大阪万博以降のことだと思う。それ以前の生まれで、始祖オタク系統は、たいてい、線路で写真撮ってるか、赤い表紙の戦闘機本読んでるか、小屋で演劇論ぶってるか、空の飛行機エンジン音聞いてるか、野原で捕虫網振ってるかだったように思う。たまに、オールドノリタケ集めてたりするかもしれない(ちなみに私は小屋で演劇論ぶってた昔もあった)
平和日本の象徴であるかもしれないし、この人種の文化への浸透力は、目立たぬところでジワジワ来ているだけに底力がある。
比較的優しくって物腰も柔らかいが怒らせると怖いし、他人への物腰とは真逆に自虐的な人が多いので、見ていてイタイこともしばしば。また、自虐が自己愛ゆえのものであるのでわかりやすい。過剰に刺激せぬことが肝心なとこだ。
ナドナド、オタクを語り始めると時間がたつのも忘れるほど、会話が弾む。
こうやって「見ただけでわかる」ということはもはや、新しい国の人たちだということなのだろう。違う国の人と対するには、その国の言葉、文化、風土を知った上で交流することが大切だ。そうでないと国際紛争が勃発してしまう。旧世代(トウキョーオリンピック、万博以前の20世紀少年)は比較的そのことがわかっていそうだが、前世代の人たち(戦前戦中団塊)はちょっと、軋轢があるのかもしれない。やはりそれは、新しい国の人とわかるかどうかにかかっているのだろう。違う国の人と認識した上、その国の作法でお付き合いすることが、正しい外交だ。
インターナショナルな人間になりなさいと中学の頃親に言われた気がする。そのときは何がなんだか分からなかった。親もきっとそうだったと思う。
今ははっきり言える。他国を理解するよう努めて勉強し、自国との差異を的確に表現できること。自国の歴史・風土を理解し、卑下することなく、と言って過度に自慢することなく話せること。と捉えている。
日本人は兎角他国に合わせる努力をしすぎるように思う。島国根性、井の中の蛙でも精神論的に間違ってないと思ったら、主張してどんどん討論を深める必要性を感じる。
鎖国前に海外に出た日本人の気概を取り戻したい。
>他国を理解するよう努めて勉強し、自国との差異を的確に表現できること。自国の歴史・風土を理解し、卑下することなく、と言って過度に自慢することなく話せること。と捉えている。
これは異国と接するときに重要なことだけど、相手が自慢してたり、卑下してたりすると、ややこしい。
特に、オタクな方は両方お持ちで、対処にデリケートな問題をはらみますよね。
この言葉を生み出した渡辺和博氏の著書「おたく玉」によれば、もともと二人称の「おたく」が語源のようです。同じ趣味を持つ者同士、どんなに付き合いが長くなっても、お互いを「おたく」と呼ぶ、彼らの人間関係における距離に着目して命名されたようです。
同書の中で、オタクの対義語はケーザイとされていました。先だってのライブドア対フジテレビのバトルを見て、オタクとケーザイの力関係が逆転してきたのかな、などと、何となく思ったりしました。
まあ、定義は人それぞれの捉え方で微妙な違いはあれ、この世にオタクという「属」が存在することは明らかです。
>他国を理解するよう努めて勉強し、自国との差異を的確に表現できること。自国の歴史・風土を理解し、卑下することなく、と言って過度に自慢することなく話せること。
うさとさんの引用と重複しましたが、
国であれ、生き方であれ、自分と違うイデオロギーに属している人と付き合うときには重要な心構えですね。けんちゃんの、この御言葉を、胸に留めておこうと思います。
ただ、うさとさんの言われるとおり! 相手もそういう風にしてくれない場合は、ややこしくなります。
ここで終わろうと思ったんだけど、もう1コ、迷った末に書くことにします。
友達が、何者かの意図でコントロールされてしまったとき、あるいは、友達になった人が実はコントロールされていると分かったとき、どうしたらいいか分からなくなります。向こうから見ると、こちらが目覚めていないように映っているのかも知れないし、そうなってくると、実際どうなのか、もうワケ分からんです。この国境を破るのは、他のどんな異文化の人と付き合うよりも難しい気がします。
何を迷われたのか、私のように長文になるからか存じませんが、いつも自問自答していることがあります。
相手か自分かどちらが多くコントロールされているのかと。
やったー!短く終わったー!
今、さっき、すっごく長いコメントを書いたんですが(ホントですよ)、PCに嫌われ、消えてしまいました。「呪い」かもしれない。
ヲタ、な方々は、確かに距離感が違っている。しかし、異国の人と同じように、違う文化の人だと思えばいい。手のひらを見せなかったり、会ったら鼻を舐めたり、って言うような生活習慣を知ればいいので、わかりやすいものですよね。
ただ、おっしゃるような、キツイ言い方をすればマインドコントロール上の、信じてたり、売ってたりって方々はヲタとケーザイが一緒くたになっているので、とてもややこしい。「あなたの幸せのために言ってあげているのよ」っていう、「善意」と「拡大」が錯乱しており、自分でも相手のためなのか、自分のためなのかがわからなくなってらっしゃる。それこそが、彼らの元締めの作戦であり、その錯覚こそが、その活動の核になっているのですよね。「善意」のようで「拡大」で、「拡大」のようで、「善意」ってとこが、方法としてはなかなかうまい手なんだけど、だからこそ、ややこしい。私は、友達に「そのまま続けるなら、友達やめるからね」と言ったこと、あります。でも「善意」と「拡大」の前に、私の友情なんて、ちっぽけな無力なものだったようです。
私の信条は、「所属しない」ということです。このことに困った面があるのもわかっています。所属しなければ、所詮は表面上のことしかわからない、よそ者根無し草だからです。しかし、所属すれば、やっぱり人間はその場所に染まり、その場所の価値観の中でしかものが見られなくなってしまう。所属しながら、柔軟な観点を持つ人のなんと少ないことか。
手ごわいです。わかんないです。大変です。しかも、そのことを書くのも躊躇しますよね。
>けんちゃん
今度は短かったね。
コントロールの多少についてはもっとご意見を聞きたいとこです。
私は、猫わんさんの危惧がとてもわかる気がするのだけど、けんちゃんからは遠いものかもしれない。しかし、それでこそ、けんちゃん。よか、よか。
多分、大切に思う人から順番に。
ウチの息子は、コミケに3日間、通い詰めました。
もはや、筋金入りのオタクですが、それなりに青春を謳歌しているみたいですよ。
以前にもお誘いしましたが、無理だと感じつつも、批評家評論家に終わらず、所属して新風を巻き起こしていただきたい。切なる願いです。
>Kenさん。「萌え市場」「コミケ」知らない言葉を勉強させて頂きました。やはり私にはついていけそうに無い世界です。
スパムの議論もそうですが、とても疲れます。駄洒落でごまかす人生もありっていうことで・・・勘弁。
>けんちゃん
マインドコントロールの前に確かに無力でしょうが、その具合を探りながら、愛している人から順にはなしていくのは重要です。確かに。でも、言ってみたいでしょ、私との友情とそれとどっちを取るのってさ。
>kenさん
ご子息も、大オタク大会参加でしたか。本当は、オタクが一番経済から遠いはずでしたよね。オタク=フリーウェアの精神だったはずです。私はビッグサイトがどんな様子になっているかは知りませんが、やっぱり、経済活動が繰り広げられているんでしょうか。「青春を謳歌」いまや、日本で子ども関係の行為をしようとしたら、オタク抜きでは無理ですよね。その中で謳歌する青春も熱く、素敵なものですね。
ただ、私は、オタクは「食べても美味しくない」って思ってます。陽の当たった路地物が、やっぱり美味しいです。
かくいう私も、始祖オタクなんですけどね。
>ふたたび、けんちゃん
ありがとうございます。褒められるの大好きですから、素直にうれしいです。どこでも顔を出すのは好きです。気が向いたら誘ってください。
オタクと言えば、実は今はこう呼ばないが、
後楽園遊園地の夏期の集客イベントについて、大手広告代理店のプレゼンコンペがありました。
私は今年は名古屋博もあるし、相変わらず、TDLだし、いくらクライアントが「カップル集客」を望もうと、
「オタク無しして、日本経済の成長無し」と豪語してきたのですが
どーやら、コンペの決定は「ハニカミ」路線で決定した模様。
アホやなぁ~~~後楽園。
史上最大のオタクフェアをやった方が、どんだけ、儲かったことか・・・
とほほほ。ここに、オタクへの「企業」の差別的意識を感じずにはいられません。
だって、後楽園って場所柄、アキバに近くて最高だったのにね^^::
ま、つまり、オタクはまだまだ市民権を得られていないと
思っていたところへ「電車男」ブーム!!
「ほぅら、見てみぃ~~や!!」
ま、仕方ない。常に、一歩先をリード?する苦悩はつきまといます。
(…なーんちゃって^^:)
こんな私は夏休みを睡眠と酒と小説に全力を注いでおりまつ。
うさとさん、お元気ですか?
随分、夜風が涼しくなりましたが、どうぞ、お元気で~~~^^
思わず、ワンのように尻尾を振ってしまいました(見えた?)
うん、この国はオタクで持っている。外国にとってこの国は黄金のオタク国。
オタク抜きで何を語れるというのでしょうか。
大もうけしそこなったのは本と、残念でした。私が偉い人だったら、絶対採用して、後楽園を一台オタクワンダーランドにしてTDLなんかに負けないのにさ。
あたしは(実は、打ち解けると「あたし」と書くわたしでした)17日までの夏休みスケジュール満タンでしたが、ほとんど運転手でしたわ。しかも今日は、内職までもらってきて、でもまだ、手付かずで、とほほです。明日は、高原に行くんだじょお。happyさんも、酒と小説と睡眠を満喫してちょ。また来てね。絶対だよ。