うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

雑器親しむ候

2007年11月07日 | ことばを巡る色色
私の祖父は大工である。私は幼い頃、祖父の現場によくついて行った。土に藁を入れて練ったり、鉋屑でままごとをしたり、母屋横の作業場の中で木っ端を拾ったりして過ごした。多くの大工のご多分のもれず、若い頃から祖父は骨董道楽だった。大工の手間賃は掛け軸と茶釜などということもあった。母はそれゆえ貧しかったと嘆いたけれど。奥座敷には、抹茶茶碗やら、掛け軸やらが仕舞われていて、盆正月に親戚が集うときには、その薄暗く湿った奥座敷で、お茶会ごっこがなされる。鉄斎などがあったように思う。志野だの乾山だの織部だのという言葉をわかった振りをして聞いていた。新し物好きでもあった祖父は、最新の電化製品なども買い求めてきたけれど、私が覚えているのは、岩絵具のセットだ。水で薄くのばすと、どれかの軸で見たような、南天やらがそれらしく描けるのだ。祖父は庭を「つぼのうち」と呼んだ。よくその掃除を祖父に頼まれたが、わたしはそれが嫌いではなかった。いろいろな形のいろいろな木の葉。作業場からは檜を刻むよい香りも流れてくる。あの頃は棟上も豪勢で、いくつもの折り詰めに鯛やら赤飯やら盛り込みやらがつめられていた。
私はずっとずっと、思い出せないほど前から茶碗狂いであり、骨董狂いである。うちの血族のほとんどがそうであるように、多分それが血肉になってしまっているのだろう。
ずっと気に入って使っている染付けは、会社勤めを辞め大工になった叔父にもらったものだ。叔父もどこぞのお蔵に行っては器やら軸やらを仕入れてくる。やはり血筋と言うものだろう。
         
漬物を盛る。煮物を盛る。生野菜を盛る。
しばらく骨董市に行ったりもしたけれど、ある時から、古い茶碗は好きなのに、骨董市とか骨董屋が駄目になってしまった。
「澱」のようなものに耐えられなくなったのだ。
茶碗は雑器がよい。ファミリーフレッシュとかママレモンとかですっぱり洗って、できたて、切りたてのおかずを盛る。その中で、茶碗は、そう不思議なことだけれど、いよいよ新しく清清しくなっていく。
茶碗は雑器。雑器こそが茶碗の矜持。毎日の暮らしの中で、拝みたくなるように清らかになる。また、そんな器でなければ、使う値打ちはない。
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