行きかふ年もまた旅人なり

日本の歴史や文学(主に近代)について、感想等を紹介しますが、毎日はできません。
ふぅ、徒然なるままに日暮したい・・・。

とりあえず

2007-11-18 15:35:11 | Weblog
下書き終了
ひとまず、課題の下書きは終了です。これから推敲に入るわけですが、冷静に読み返すと自信がなくなると思います。
今回、「荘園の構造」「近代幕藩体制の構造」についての2題で、「荘園」で感じたのですが、王朝貴族体制から武家政権に移して幕府を開いたのは 頼朝 ですが、武家として政権樹立した最初は 清盛 である、評価しても良いんじゃないでしょうか?支配基盤が弱かった事、貴族化していった事など敗因はありますが。
肉親への情が薄く、どうも頼朝には陰湿なイメージを感じて、家康に通ずる雰囲気を持ってるような感想です。判官贔屓との言葉がありますが、 義経 が征夷大将軍になっていたらどうでしょうか?残念ながらその分野の才能なさそうです。”方面司令官”といったところでしょうか。たまたま頼朝の弟だった、だから不幸を背負った。・・・荘園の構造とは関係ないですね 

お家断絶!!

2007-11-18 02:39:56 | Weblog
 「幕藩体制の構造」について述べよ。
この設題、大名統制だけでなく全部述べろ、という事になるな、と思い、思いつくまま下書きを作成。
 そうしたら、やっぱり脱線
改易、減封の対象ってどのくらいの数だったんだろうか…と。『大名廃絶禄』(南條範夫 著)によると、
    約240だそうです。
改易決定後、城を枕に…何てことも無く、無血開城してますね。徳川幕府は狙った大名には色んな理由付けて改易、減封するんだから、当時の殿様達は現在よりも心休まる事がなさそう。
福島正則は、居城の広島城を修復しただけで、しかも、本多正信(正純だったか?)に報告済みだったのに因縁付けられて川中島へ流されてしまった。文書で提出してないから幕府は
「聞いてませんよ。勝手に城修理したから武家諸法度違反!」
お上には逆らえません…。『大名廃絶禄』には幾つかエピソードが載っているのでお家騒動の事も分かるのでオススメしたいですね。
あ~、下書きすら終わらなかった