行きかふ年もまた旅人なり

日本の歴史や文学(主に近代)について、感想等を紹介しますが、毎日はできません。
ふぅ、徒然なるままに日暮したい・・・。

読書記5 『花神』

2007-11-27 23:36:20 | Weblog
   『花神』(司馬遼太郎 著)
 周防の村医から官軍の総司令官となり、日本の近代兵制、つまり廃刀令や徴兵制を創設し、非業の死を遂げた大村益次郎の生涯を描いた上・中・下の3部作を紹介します。始めに断っておきますが、司馬遼太郎作品は相当数読了しているので、今後も度々取り上げます。つくづく史学を専攻しなかった意味が分からなくなります。
 さて、花神について…
時代の節目には、いわゆる異端児、革命児と呼ばれる人物が出てくる。例えば、源平合戦では義経、南北朝動乱期には楠正成、戦国時代には織田信長、幕末では坂本竜馬はじめ幾人もの偉人が登場した。人間という感情を持った生き物が、冷静な計算と判断でその行動を律すると大村益次郎のような人物となる。個人的には、彼と大久保利通は同類の型ではないか、と思っている。職人が作品を創作するように、ひたすら完成を目指していく姿を思う。時代のギリギリまで、彼は表舞台に登場してこない。緒方洪庵の適塾に学んだ。しかも、そこで塾頭を勤める天才ぶりで、この適塾からは福沢諭吉、橋本左内、長与専斎、大鳥圭介らが巣立っている。
 長州藩では彼を知っているものはほとんどおらず、桂小五郎のみがその天才を認めていた。彼は歴史が求めるまま、最初に宇和島藩伊達宗城に起用され、瞬く間にその実力を認められ、幕府が注目した。長州藩はこの頃最悪の状況で、軍事拡大、近代化急務の時、その人材として、大村益次郎が浮かび上がった。長州へ招聘されるまで紆余曲折はあったが、桂の尽力で藩制改革に乗り出し、長州軍は近代化し、幕府軍を遂に破った。
 長州、薩摩は官軍となり、幕府軍を追い詰めていくが、この間、薩摩藩との蟠りが発生した。西郷隆盛を感情で読み取らない彼にとって、西郷を木偶の坊と感じていたが、しかしこの人物の吸引力に将来の反乱を感じていた。元来無口な大村が西郷と必要以上に話をしない事は、西郷を信奉する薩摩藩士にとっては苦々しく感じでいた。江戸城無血開城の後、彰義隊を一日で、しかも最小の戦力で撃破した大村を賛嘆する西郷を無視するような態度は薩摩藩士を益々激昂させた。
 やがて戊辰戦争が終わり、日本の近代化へ着手した。廃刀令、徴兵制・・・。大村にとっては人間も機能であり、そこの感情の介する事はない。これが不平士族の反感を買った。明治2年9月、刺客に襲われ介抱の甲斐なく亡くなった。黒幕は薩摩藩海江田信義であったというが、新政府の立役者であり、いまだその基盤の脆い時期、薩摩を敵に回す事になるため、長州は手が出せなかった。その臨終の間際、四斤砲を大阪にたくさん作って置くよう遺言した。それは、西郷隆盛の反乱を予言したものであり、生前から「必ず西日本から反乱が起こる」と言っていた。それに備え、大阪の兵器廠は整備されていた。明治2年5月に旧幕府軍が降伏し、遭難する4ヶ月の間に、明治10年の西南戦争に対する準備はほぼ終わっていた。
 作者は、次のように言っている。「大革命というものは、まず、最初に思想家があらわれて非業の死を遂げる。日本では吉田松陰のようなものであろう。ついで、戦略家の時代に入る。日本では高杉晋作、西郷隆盛のような存在でこれもまた天寿を全うしない。三番目に登場するのが、技術者である。この技術というのは科学技術であってもいいし、法制技術、あるいは蔵六が後年担当したような軍事技術であってもいい」と。
コメント
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