源全成…阿野全成(あの・ぜんじょう/ぜんせい)幼名:今若(弟に乙若、牛若)
1153年(仁平3年)~1203年(建仁3年)
父…源義朝
母…常盤御前
兄弟…義平(悪源太)、朝長、頼朝(兵衛佐)、義門、希義、範頼、全成、義円、義経
妻…保子(北条政子妹)
頼朝死後、2代将軍頼家の後見役となる。頼朝在世より地味ながら重要な地位を占めてきた。範頼や義経ら兄弟が相次いで頼朝に粛清されながらもその地位を保つ。妻保子の存在が大きかったと考えられる。後に北条時政、義時らと謀り頼家を廃す企てを立て、頼家に先手を打たれ常陸に配流後下野に流され斬られる。享年51。
『炎環』(永井路子 著)にこんな記述がある。―全成を尋問する頼家が「禅師、俺はいま22だ。物心ついてこのかた、十数年、俺が禅師を見ていなかったと思うのか…」兄頼朝に一挙一動ばかり見ていたが、自分の甥の視線に気付かなかった。「禅師、源家の血は冷たい…な、そうは思われぬか。しかし冷たいのは源家のだけではなさそうだぞ」この時全成は誰かに裏切られた事に気付く。「裏切ったな、さては…」政子、時政、義時の顔が浮かび、最後に保子の笑顔が浮かんだ。―
この時代、親子関係であっても敵味方に分かれて戦う事も珍しくなかったし、すでに北条氏が政権奪取を見据えていたのなら、北条である妻が裏切る事は不自然ではない。
この人、山川の日本史用語集や高校レベルの教科書には載っていないんだよね。特に歴史的な業績は無いけど、こういったナンバー2的生き方、憧れる反面、踏み外したら破滅以外ないみたい…。信西入道も似たような感じがするけど、信西は一度頂点に立ってしまった点、違うのかも。
1153年(仁平3年)~1203年(建仁3年)
父…源義朝
母…常盤御前
兄弟…義平(悪源太)、朝長、頼朝(兵衛佐)、義門、希義、範頼、全成、義円、義経
妻…保子(北条政子妹)
頼朝死後、2代将軍頼家の後見役となる。頼朝在世より地味ながら重要な地位を占めてきた。範頼や義経ら兄弟が相次いで頼朝に粛清されながらもその地位を保つ。妻保子の存在が大きかったと考えられる。後に北条時政、義時らと謀り頼家を廃す企てを立て、頼家に先手を打たれ常陸に配流後下野に流され斬られる。享年51。
『炎環』(永井路子 著)にこんな記述がある。―全成を尋問する頼家が「禅師、俺はいま22だ。物心ついてこのかた、十数年、俺が禅師を見ていなかったと思うのか…」兄頼朝に一挙一動ばかり見ていたが、自分の甥の視線に気付かなかった。「禅師、源家の血は冷たい…な、そうは思われぬか。しかし冷たいのは源家のだけではなさそうだぞ」この時全成は誰かに裏切られた事に気付く。「裏切ったな、さては…」政子、時政、義時の顔が浮かび、最後に保子の笑顔が浮かんだ。―
この時代、親子関係であっても敵味方に分かれて戦う事も珍しくなかったし、すでに北条氏が政権奪取を見据えていたのなら、北条である妻が裏切る事は不自然ではない。
この人、山川の日本史用語集や高校レベルの教科書には載っていないんだよね。特に歴史的な業績は無いけど、こういったナンバー2的生き方、憧れる反面、踏み外したら破滅以外ないみたい…。信西入道も似たような感じがするけど、信西は一度頂点に立ってしまった点、違うのかも。