夜の翼

オーディオ、音楽、車、ケータイなど好きなことを気ままに綴るブログです。

Pure or AV? Part1

2009-12-30 21:37:37 | オーディオ
やっと2009年にたどり着きました。
現在使用中のシステムです。
(お断り:ここにテレビ周りの画像があったのですが、妻のクレームにより削除しました。)
なにやら周りに色とりどりのモノが多数ありますが、気にしないでください。
妻の趣味です!(キッパリ)
TV 東芝42Z8000
AVアンプ ソニーTA-DA3400ES
ブルーレイレコーダー ソニーBDZ-X95
DVDプレーヤー パイオニアDV-S747A
スピーカー フロント フォステクスGX100
        センター ヤマハNS-C10MM
        サラウンド ヤマハNS-10MMT
        サブウーハー ヤマハYST-SW105

今まで散々ピュア系のことを書いておいて、AVか?
と思われた方もひょっとするといらっしゃるかもしれませんが、
当然わけアリです。
単純に部屋が狭いんです。

今を遡ること数年前、結婚した当時に住んでいたアパートは
6畳洋室+6畳和室+6畳ダイニングキッチンという2DKで
自動的に6畳の洋室が居間になりました。
家具の配置を考えたときに、入れるべきものといったら、
テレビ関係、座卓、パソコンデスクに本棚と盛りだくさん。

結婚したときにちょっとした野望がありまして、
5.1チャンネルをやってみたいな、と。
ただし、特に映画好きということは夫婦ともになく、
5.1チャンネルが活躍するのは、音楽もののライブが中心だろうな、と。
当然CDも聴くし、まあDVDよりはCDがメインだろうな
というのは考えておりました。

しかし、如何せん部屋が狭すぎる。
上に書いたような前提で、なるべくコンパクトにシステムをまとめるということで
フロント2チャンネル優先のAVシステムを組むことにしました。
○アンプは5.1チャンネルを組む以上は、当然AVアンプ。
○プレーヤーはDVDとCDを兼用させるためユニバーサルプレーヤーを選択。
○スピーカーはフロント用に予算を多く割き、ほかはグレードを下げる。
ということにしました。

テレビは、プログレッシブ対応のワイドテレビは最低条件だったので、
28、32、36インチの中から最も財布にやさしく、最もコンパクトな28インチにしました。
テレビの大きさを基準にラックをどうするかいろいろと考えましたが、
結局種類の豊富さと最低限の剛性があるということで
ホームエレクターにすることにしました。
(写真を見てお分かりのとおり、現在も使用しています。)

本当はやりたくなかったのですが、何せスペースがないので、
フロントスピーカーはテレビと同じ棚にテレビを挟むような形で置くことにしました。
そうなるとフロントスピーカーは防磁型に限定。

ラックに選んだホームエレクターにはシェルフと呼ばれる棚が何種類かあり、
一般的なワイヤーシェルフという網棚は、スチールなので
叩くと「ポーン」と音叉のように鳴きます。
それではスピーカーを置く棚としては、当然よくないので
木製のウッドシェルフを使うことにしました。
ワイヤーシェルフより値段はするものの、叩いても「コツコツ」という感じで
鳴くというところまでにはならないので、
テレビを置く2段目とアンプなどを置く3段目にそのウッドシェルフを使うことにしました。

以上のことから、ラックの幅は1200mm、奥行きは450mmにしました。
これでも6畳の部屋には大きすぎるのですが。

で、選んだ結果、我が家の初代AVシステムは、
テレビ 東芝28ZP50
AVアンプ ヤマハDSP-AX8、
DVDプレーヤー パイオニアDV-S747A
ビデオデッキ パナソニックNV-SVB10
スピーカー フロント ビクターSX-LC3
        センター ヤマハNS-C10MM
        サラウンド ヤマハNS-10MMT
        サブウーハー ヤマハYST-SW105
でした。
(数年後にDVDレコーダー(ソニーのRDR-HX70)が加わっています。)

今考えると、CDを聴く用途としてはちょっとグレードが低いですね。
特にアンプとフロントスピーカーは。
結婚したばかりで予算がない中そろえたので、致し方ない部分はありますが・・・

テレビは近所の家電量販店で実物をチェックしました。
ビクターにするか東芝にするか迷いましたが、結局値段で東芝に(苦笑)。
28ZP50はチューナーを2つ搭載していたので、
2番組を同時に見られるというのが売りでしたが、
この機能使ったのはほんの数回。
シングルチューナー仕様の28ZP30でもよかったです。

アンプはAVアンプのことはよく分からなかったので、
メーカーでヤマハ、金額でAX8となりました。

ユニバーサルプレーヤーというかDVDプレーヤーは、当時評判の良かったDV-S747Aにしました。
評判といっても映像のほうですけどね。
使っていたCDプレーヤーがパイオニアだったからというのもあります。

スピーカーを棚置きしなくてはいけないという時点で、かなりやる気がなく、
SX-LC3だけは一応試聴はしましたが、ほぼ雑誌の記事だけを頼りに通販で購入。
フロント用にビクターのSX-LC3を選んだのは、
防磁型で高さがちょうどテレビに合い、幅が狭いので場所をとらないから
という極めてテキトーな理由です。

写真を見てのとおり、トゥイーターを2つのウーハーが挟むという
いわゆる仮想同軸型のスピーカーです。
1台売りをしていることからもお分かりのように、
5.1チャンネルのセンター用に使う方が多かったようです。
試聴したお店で2チャンネル用に使いたいといったら、
「はぁ?」みたいな顔をされました。

サラウンド用のNS-10MMTこそ置く棚がないので専用のスピーカースタンドを買いましたが、
フロント用のSX-LC3ですらインシュレーターは付属の樹脂スペーサー、
スピーカーケーブルは付属のものをそのまま使用と、
ピュアオーディオの場合では考えられないことをやってますからね。

DVDプレーヤーとアンプをつなぐケーブルだけは、ちょっとだけ予算を使い、
RCAはアクロリンク、同軸デジタルはオーディオテクニカのものを買いました。
単純に値段だけで選んでます。

初めてのAVシステムの配線に四苦八苦しながら、
ようやく出てきた初代AVシステムの音はというと・・・

(つづく。ちょっと長くなりすぎたのでPart2へ)

音の履歴(その13)~短すぎる春と長い氷河期、そして一瞬の輝き~

2009-12-29 06:18:50 | オーディオ
さて、そんなことで購入した77システム。
当時住んでいた鉄筋コンクリートの一戸建の2階、9畳の和室にセッティングすることにしました。
9畳と書きましたが、実はプラスアルファで少しだけフロアリングの部分があり、
その細長い部屋の端にあるわずかばかりの板の部分に
スピーカースタンドに乗せた77を置くことにしました。
77は密閉式であったので、壁に寄せてセッティングしても特に問題はありませんでした。
畳の部分においてスピーカー代がぐらつくよりはよいだろう、という判断でした。

スピーカーと反対側にテレビがあり、通常そちら向きに座椅子が置いてあったのですが、
音楽を聴くときは座椅子を反対側に向け聴くという形にしてました。

ラックは電源の関係もあって、リスニングポイントのすぐ右側に置きました。
そうなるとスピーカーケーブルを結構長く引き回さなくてはいけなかったので、
普通のOFCのスピーカーケーブルを値段で選んだ記憶があります。

301のときに懲りたので、スピーカーケーブルにお金をかける気にならなかったのですが、
今思うと77であれば、スピーカーケーブルによる音の変化は結構あったのかもしれません。
結局、スピーカーケーブルについてはその後変えられることはありませんでした。

そうしてセッティングして出てきた音は、301システムとは反対の方向。
中高域、解像度重視の方向ですね。
やはり、スピーカーに何を選ぶかによって基本的には音の方向は決まってしまいますね。
いや、301を中心としたあのシステムも悪くなかったのですが、
スーっと伸びた高域と解像度は、301では決して得られないものでしたから。
また、当時聴いていた音楽もどちらかというとロック系の比率が下がっていて、
アコースティック系の音楽を多く聴いていた関係もあったと思います。

中高音とは対照的に低音はあまり出ていなかったと思います。
密閉式のスピーカーなのでこんなもんかと思っていましたが、
純正のスピーカースタンドを使い、筐体の底を鳴らす方向でのセッティング、
しかもかなり壁際に寄せていたのにあの低音しか出ていなかったということは、
単にアンプの駆動力不足だったんじゃないかと最近になって思うようになりました。
30cmクラスのウーハーですから、それなりのアンプでなければ低音でなかったんでしょうね。
このころのダイアトーンのスピーカーはとくかく鳴らしづらかった
というような記事を最近になって見つけたものですから。

初めての一人暮らし。
1階にはその後カフェレストランが入りましたが、
鉄筋コンクリートなのでかなりの爆音で鳴らしてもちっとも下には響かず。
隣にアパートがあったものの、多少間が離れていたので窓さえ閉めていれば大丈夫。
スピーカーの間にラックなどの物はなく、リスニングポイントとの間にも邪魔なものはなかったので、
いままでの音楽試聴環境としては、間違いなくこのときが最高でした。
夜はさすがにボリューム控えめにしましたが、明るいうちは、かなりの爆音で・・・

実家の洋室8畳もよかったのですが、何せ木造の2階、しかも増築部分ということもあって、
床はそれほど強くなく、1階にもかなり響くのでそれなりには気を使っていましたから。
それが、このときはほぼ無制限。
今では到底考えられない環境です。

クラッシク好きの友人と二人で小沢指揮のマーラーの「巨人」を聞いてみたり。
歌ものは基本的には良い感じで鳴るシステムだったので、歌もの中心に聞いてました。
このシステムで初めて聞いたブルガリアンポリフォニーの感動というか衝撃は、忘れられません。
301では決してこの衝撃は感じられなかったでしょう。

そんな春は長くは続きませんでした。

そんな広くて高い家賃の部屋に学生が1人でいつまでも暮らすわけにはいかなかったのです。
賃貸物件が多く出る翌年の春には引越しをしました。
市の中心部からはかなり離れた住宅街の木造アパート1階です。
6畳と4畳半の和室が二間と台所という間取りでした。

良かったのは、たまたま角部屋であったことと家賃が安かったことだけ。
駐車場は縦列駐車の上に、車を出すときは20mぐらいバックしてようやく公道へ。
壁の隙間からアリが侵入してきて、起きたら畳がアリだらけだったのは
さすがにビックリしました。

周りの住人はというと、2階の住人はどうも同棲カップルだったらしく、
女性のほうが月1回ぐらいのペースで癇癪を起こし、
同居の男性を小一時間なじり続ける。
かなりの安普請のアパートだったため、その女性が何を言ってるかまで
ハッキリ聞こえてくるのには、最初こそ驚きましたが、
その後はすっかり慣れてしまい、月一回の恒例行事となりました。

隣は大学生らしい男性の一人暮らし。
ただこの人宴会好きで、しょっちゅう友達を呼んで宴会をする。
夜の6時ぐらいから始まって、ファ一気をする声が丸聞こえ。
「うるせーなー」と思いながら寝て、翌朝起きてもまだ宴会が続いていたのには、ほんと呆れましたよ。

そんな環境ですから、大きな音で音楽を鳴らすなんてことは到底できず、
隣と上の住人がいないのを確認できたときだけは、ほどほどの音量でスピーカーを鳴らすぐらいでした。

そんな環境は、大学を卒業しても続きました。
就職して実家のある県の某市に6年間住むこととなりましたが、
住んでいたアパートと似たような感じのアパートでした。
今度は木造ではなく軽量鉄骨、1階でしたが角部屋ではなかったです。
防音の面では大学の時の木造アパートよりは多少はましでしたが、
まあスピーカーを爆音で鳴らすなんてことは所詮無理。

この6年間というのは、もちろん音楽は聴き続けてはいましたが、
週刊FMが廃刊になってからというもの、音楽関係の雑誌というものを購読していなかったので、
音楽の流行にはすっかり疎くなっておりました。
何かほかの音楽雑誌を買おうと思ったのですが、これといったものがなく結局購読には至らず。
音楽への関心が比較的薄かった時期でもあったので、CDを購入する機会も減っていて
昔買ったCDをダビングしたカセットテープを車の中で聴くことが多くなっていました。

その後実家に戻りますが、例の8畳の洋室は妹が占領したまま。
浪人時代をすごしたあの4畳半の和室に逆戻りです。
301システムはすっかりボロボロになっていたので、
301だけ残して、すべて物置にしまいこんで代わりに77システムを置きました。
背の高いデンオンのラックは使えないので、なつかしのGTラックにセットしました。
301は、77ともにアンプにつながれ、ときどきスピーカーを切り替えて聞いていましたね。
もちろん妹の部屋なので、妹のいない隙を狙ってちょっと聞くぐらいしかできませんでしたが。

そうして結婚して実家を出るまでの約2年間、4畳半にはラジカセすらありませんでした。
77システムを使うのは、CDをカセットテープにダビングするときぐらいになってました。
実家を出る直前、2月に妹のほうが先に結婚して実家を出たので、
約2ヶ月だけ、あの8畳の洋室に戻ることができました。
実に13年ぶりです。
妹が残していったベッドがあるぐらいで高校生の当時とそんなには変わらず。
とにかく懐かしかったですよ。
システムは77に変わっていて、それも10年落ちでしたが、
久々に家で自由に音楽を楽しむことができました。
ほんの一瞬、「青春の輝き」を取り戻した感じでした。

Yesterday Once More・・・

(ようやく昔語りは終わり。次回からは現在の話となります。)

音の履歴(その12)~そして再びオーディオの春~

2009-12-27 23:18:36 | オーディオ
実は、大学に入る時点で考えていたことがありました。
大学3年になるときは、ひとり暮らしをすることを決めていたので、
そのときのオーディオどうするか?
例の301システムは、その頃には5年落ち。
使えないこともないが、新しいのも欲しいなー、ということで。

で、やっぱり買っちゃいました。
実家の301システムは、結果的に妹が実家に戻ったので妹が使うこととなり、
無駄にはなりませんでした。よかった、よかった。

購入したラインナップは次のとおりです。
CDプレーヤー パイオニアPD-T05
プリメインアンプ ソニーTA-F333ESL
カセットデッキ A&D GX-R3500
スピーカー ダイヤトーンDS-77Z

チューナーは301システムのパイオニアのを流用。
もう大きな屋外FMアンテナは不要なので、
いわゆるT字アンテナを使ってました。

パイオニアPD-T05

これはなかなか思い出深いです。
かなり変わったCDプレーヤーで、
普通はCDのレーベル面を上にしてCDをセットするものですが、
これはレーベル面を下にしてセットするというタイプ。
CDの中心の穴の部分だけで支えて回転させるのではなく、
レコードのようにまさにターンテーブルなのです。
なのでターンテーブルにはピックアップ読み取り用の穴がありません。
ピックアップはターンテーブルの上にあって、レーザーは下向きに出ます。

この方式がパイオニアのこの頃のシリーズ以外に採用されたのは、
つい最近のWADIAくらいでしょうか。
メーカーの説明によると、
CDの自重による垂れ下がりを防いで、読み取り精度を上げる。
 ピックアップが下向きなので、ほこりが付きにくくなる。
そんな理由だったと思います。

別にそのメカニズムが珍しかったので決めたわけではなく、
いくつか候補を試聴した中で、高音の伸びがよくきれいだったのが決め手になりました。
このころになると直付けの電源ケーブルもかなり太いものが採用されるようになっています。

ソニーTA-F333ESL

ピュアオーディオでは初めてのソニー製品です。
これも一応試聴して決めましたが、力強い感じではなくスッキリきれい系の印象があります。
この上位機種の555とかも試聴したのですが、
正直価格差ほどの性能差を感じなかったのと、
CDプレーヤーが予算オーバーだったので帳尻あわせというところで選びました。

ブラックフェイスで、主に使う入力切替ボタンとボリューム以外のスイッチ、つまみ類は、
扉の中にしまわれていたので、とてもスッキリした印象でした。

A&D GX-R3500

カセットデッキほぼ専業だったAKAIがDIATONEと一緒になってできたブランド。
このカセットデッキは、自分で選んだのではなくお店のお勧め。
この頃にはすでに車とウォークマンを所有していたので、
それ用に「リバースデッキでなんかお買い得なやつ」といったら、
お店の人が「そういうことなら、これこれ」といって店の奥のほうから持ってきました。

主に車用なので、音質重視ではなくリバースデッキでそこそこのものであれば、
正直なんでも良かったのです。
そもそもはじめて名前を聞く機種でしたが、なかなか売れない在庫品だったようで
かなり値段のほうはまけてもらったので、即決でした。
音のほうも、あまり期待していなかった割にはそんなには悪くない印象でした。
少なくともカーオーディオ用としては十分なクオリティがありました。
301システムのケンウッドのカセットデッキがリバース機ではなかったので、
軽やかにクイックリバースする様子は、なかなか新鮮でした。

ダイアトーン DS-77Z

この頃のダイアトーンスピーカーはとても充実していたような気がします。
試聴して、その高音がすぐに気に入り、これを中心に試聴を進めて、
前述のPD-T05の組み合わせで「これだ」と思いました。
実は、当時ダイアトーンのスピーカーは実家のある県の某市にあった工場で生産されており、
妙な親近感があったことも事実です。(ていうか、地産地消?)

前の301はコンパクトなスピーカーだったので、
いわゆる中型ブックシェルフは、一度は手に入れてみたいというのは以前からありました。
スピーカー台は、コンクリートブロックというわけにもいかなかったので、
純正のスピーカー台をあわせて購入。
木製で、仕上げもスピーカーと同じだったので見た目も良かったですよ。

それとラックですが、GTラックは実家で使っているので、
当時はまだ普通だったガラス扉が付いたラックを購入しました。
こんな感じのやつです。

確かデンオンのでした。
剛性とかは大したことはありませんでしたが、
とにかく値段と使い勝手重視で選びました。
GTラックは良かったのですが、オープンラックなのでホコリに悩まされていたのも事実。
まあ、今なら絶対買わない(というかほとんど売ってない)ラックですけどね。

(つづく。次回はその77システムについて)

音の履歴(その11)~オーディオ冬の時代~

2009-12-24 06:33:11 | オーディオ
初めての本格的オーディオをとすごした高校生活はあっという間に過ぎ、
大学受験をするものの、めでたく浪人。
3歳違いの妹が高校生になるに至り、部屋の交換を要求されました。
結局、あの8畳のリスニングルームを明け渡し、4畳半の和室へ・・・
勉強机とタンスを入れたので、畳の見えている部分は3畳あまり。
まあ、浪人生だからあまり快適じゃないほうが良かったんですけどね、
辛いのがオーディオが自由に使えないこと。
CDを買ってはカセットにダビングし、ラジカセで聴く生活に逆戻り。

1年で浪人生活から脱出し、めでたく大学生になり引っ越すことに。
たまたま浪人自体に通っていた予備校の寮で住み込みで働くこととなり、
大学生なのに予備校の寮で2年間を過ごすことになります。
寮の部屋は、予備校生である寮生とおなじ間取りの部屋。
確か8畳ぐらいのカーペット敷きの部屋だったと思います。
ベッド、ロッカー、机などは備え付けであって結構快適でした。

そこで問題はオーディオをどうするか?
実家から例の301をはじめとする機器を持ち込もうとも考えましたが、
なにせそこは予備校の寮。
爆音で音楽を聴くわけにもいかず、ヘッドホンで聞くだけなら持ち込むまででもない。
そこで一計を案じました。
妹に実家にあるオーディオ機器の2年間の使用料として、
CDラジカセを購入させ、2年間は自分が使ってその後返却するというプラン。
「いやなら、オーディオ持ってくぞ!」という強気の交渉が功を奏し、
妹はしぶしぶ了承。

それで購入したのが、ソニーのCDラジカセでした。
妹に選ばせました。値段は結構高く5万円ぐらいしたんじゃないかな。
調べたところ、CFD-DW93と機種の模様(画像があまりないのではっきりしませんが)。
この頃の妙に馬鹿でかいラジカセのことを「バブルラジカセ」っていうんですね。
初めて知りました。
その姿と当時の時代をかけた名前ですねー。

CDプレーヤー部分は、上部のふたを開けてCDを乗せるタイプ。
チューナーはUVバンドが入るものの、チューニングはアナログダイヤル式。
カセットデッキ部分はダブルデッキで、再生側(?)がクイックリバースになってました。
一応ドルビーBは使えたはず。
(アンチノイズリダクション派だったので、付いていても使用せず。)
ラジカセのボリュームは、スライド式に縁があるらしく、
中学時代に使っていたアイワのステレオラジカセ同様、
こいつもスライド式だったので、使いづらかったです。
ラジカセなので電池駆動もできましたよ。
単1×8本使用というとんでもないものだったので、使いませんでしたが。

パンチングメタルのサランネットに隠れてよく見えませんでしたが、
8cm程度のウーハーとおまけみたいなツイーター、
それと、DoDeCaHORNという名前のサブウーハーもどきがついていました。
音を濁らすばかりで役に立たないサブウーハーは、常にOFFで使用。
まったく意味のないイコライザーも付いてましたよ。
実質的にはフルレンジ1発みたいな構成でしたね。

音のほうはというと、愛用の301システムには比べるべくもありませんでしたが、
バランスのいい音でまあまあでした。
ボリュームも上げられなかったので、こんなもんでよしとしてました。

カセットデッキ部分はともかく、CDは思いのほかよかったですよ。
その後だいぶたってからこのCDラジカセでCD-Rに焼いた音楽CDをかけたことがありますが、
何の問題なく再生したのには驚きました。
その当時はCD-Rなんてあるわけないので、
ピックアップの性能がけっこう良かったんだと思います。
新しいCDラジカセ、CDコンポではCD-Rを再生できない機種がたくさんあったのに、
この頃まではCDラジカセといえども、しっかりしてたんですね。

うれしい機能としてはタイマー付きだったので、
当時よく聞いていたFMの番組を録音できて、聞き逃さずことがなかったのが○でした。
このCDラジカセは間に合わせで使っていたものの、
当時の大学生活の思い出と結びついて、思い出深い機種ですね。

そういえば、ウォークマンデビューしたのもこの頃でした。
ポータブルオーディオについてはまた日を改めて書きたいと思いますが、
このCDラジカセでダビングしたカセットを
なぜだか使いもしない録音機能付きの「レコーディングウォークマン」で
通学中に聞いてました。

そして大学3年になり、予定どおり予備校の寮を出て、念願の一人暮らし!
と思ったら、高校を卒業した妹が私が行っていた大学と同じ市内にある専門学校に通うことに!
実家から通えないこともなかったのですが、二人で一緒にアパート暮らしをすることになりました。
そして、見つけた物件というのが鉄筋コンクリート造の一戸建ての2階というもの。
1階は元魚屋だったらしいが、入ったときはすでに営業をしていませんでした。
家賃は少々高かったものの、2人分と考えれば割安。
とにかく下の階や隣の部屋に気を使わなくていいのが、決め手となりました。

部屋は、9畳の和室と4畳半の畳+1畳半の板の間という2部屋だったので、
9畳のほうを共用居間兼妹の寝室として、
もう一部屋を自分が使うこととしました。
しかし、妹が夏を待たずに専門学校を辞めて実家に帰ってしまったので、
その後9ヶ月ぐらいは、この広い2階に1人で住むこととなりました。

狭いほうの部屋を寝室として、広いほうの部屋を居間にしました。
作り付けの食器棚とかタンスがあって、収納が豊富だったので、
結構ガランとした感じでしたが、
そう、この部屋でオーディオ冬の時代は終焉を告げ、
オーディオライフ第2幕が上がりました。
(それほど大げさなものでもないですが。)

(つづく。今回は「冬」なので画像はなし。次回は、再び「春」です。)

音の履歴(その10)~D-50の衝撃、そしてCDの時代へ~

2009-12-22 22:10:10 | オーディオ
CDが登場したのが今から25年ほど前のことですが、
最初はタイトルが少ない、プレーヤーが高価などの理由で、なかなか普及しなかったのです。
しかし、その2年後、「あれ」が出て流れが変わります。
そう、世界初のポータブルCDプレーヤー、ソニーのD-50です。

これが出たときの衝撃は、今でも忘れられません。
これが出る前最も安いCDプレーヤーが据え置き型で10万円という時代に、
CDケース3枚分という大きさというか小ささ、49800円という価格、
そして音がそこそこ良く、オーディオ用として十分に使える機種という評価で、
爆発的にヒットしたという記憶があります。
一説には、CD普及のためにソニーが仕掛けた一大戦略機で、原価率がなんと200%!
つまり、1台売るごとに5万円の損が出るという代物だったらしいです。

高校に入学したときに、このD-50が発売されたばかりのころ。
ゆくゆくはレコードからCDに切り替わってゆくんだろうな、という感じはありましたが、
そのとき聴きたいタイトルはまだCD化されておらず、
まだまだレコードという雰囲気だったので、CDプレーヤーはそのうちという感じでした。
しかし、時流は急激に変わっていて、1年もしないうちにCDがかなり普及してきたのです。
それの伴ってCDのタイトルも急激に充実してきました。
新作がレコードとCDの併売になったのはもちろん、
旧作が次々とCD化されていったのです。

こうなれば、普通の人がレコードを選び続ける理由はほとんどありません。
レコードに比べて取り扱いは劇的に簡単になり、かつ場所をとらない、
しかも、同じ費用を投資するなら同等以上の効果がすでに得られるようになっていたからです。
CDなら間違って盤面を傷つけて、音飛びするリスクは劇的に少なくなりますし、
なにしろ消耗品であるカートリッジがいらない。

ということで、レコードプレーヤーを買ったときは思いもしませんでしたが、
自分が買いたいと思っていたタイトルが、続々とCD化されるようになりました。
このままレコードを買い続けると、結局CDを二度買いする羽目になりそうだ、
これがCDプレーヤーの購入に踏み切らせた一番の理由です。
それで買ったのが、DENON(デノンじゃないのよ、当時はデンオンですよ。)のDCD-1500という機種でした。

信じられないかもしれませんが、オーディオ機器初リモコン。
この当時は、まだテレビですらリモコンがありませんでした。
リモコンを使ってみて思いました。
「リモートコントロールって素晴らしい!」
リモートコントロールといえば、ラジコンカーのプロポしか知らなかった世代としては革命的です。
リスニングポジションにいながら、選曲できたり、ボリュームを変えられたりするんですから。
DCD-1500には内蔵のボリュームがついており、RCAの出力が2系統ありました。
ひとつは、内蔵ボリュームを介さない音量固定の出力、
もうひとつは、内蔵ボリュームを通して出力する音量可変の出力。
ということは、アンプとCDプレーヤーをつなぐいわゆるピンケーブルが2組必要なるわけですが、
CDプレーヤー付属のピンケーブルがあまりにショボイので、そちらは可変出力端子にまわし、
固定出力端子のほうは、当時出始めのPCOCC線材を使ったオーディオテクニカのピンケーブルを
買ってしまいました。
しかも、最短距離だとかいって、一番短い0.6mを買ったことが機器のセッティング場所の幅を
狭めてしまったということの気づいたのは、それほど遅くはありませんでした。

一応しっかりいい音で「鑑賞」するときは出力固定のほうを、
気軽に聴きたいときは出力可変のほうを選ぶ、という使い分けをしておりました。
が、やはりリモコンボリュームの便利さには勝てず、可変出力のほうばかり使うようになってました。

このPCOCCのピンケーブルと同時に買ったのが、おなじくオーディオテクニカ製のスピーカーケーブル。
同じくPCOCCで4芯でした。
間に合わせで買ったスピーカーケーブルをどうしても変えたくなったんですよね。

その結果どうなったのか?
変わったかどうかなんて分かるわけないでしょ。
だってスピーカー、ボーズの301だよ。
いや、そういうスピーカーじゃないことは分かっていたんです。
でも、ちょっとだけ期待してしまったんです。
301が悪いわけじゃないんです。僕が悪かったんです。

今と違って、情報が雑誌ぐらいしかなく、
初心者が陥りがちなトラップにはまりまくっていたような気がします。

結局、レコードプレーヤーを買ってから1年もたたないうちにCDプレーヤーを買いました。
二重投資というか、もったいないというか。
ステレオラジカセを使っていたころにレコードプレーヤーを買ってもらい、
高校入学時にはそれ以外のアンプとかを買ってもらう、
その後CDタイトルが揃った頃にCD導入・・・
これが振り返ってみれば最適なのですが、
あの急激なCDの普及とレコードの衰退は、予想した人がほとんどいなかったので
まあ、仕方がないかと思ってます。
幸い、CDを買いなおしたレコードの数はそんなには多くなかったので。
でも、最初からCDだと、あんなには楽しめなかったかな、と思うのも事実です。

CDプレーヤーを買って、心置きなくCDで音楽を楽しみました。
もう、途中で寝てしまっても大丈夫、CDは演奏が終わると自動で止まるから(笑)。
爆音で鳴らしても大丈夫、クレームがくるのは家族だけ。
持っているU2の「ヨシュア・トゥリー」は、CD化されたすぐの盤なので
3500円もしたんですよ。レコードは2800円なのに。
しかも、CDとレコードでジャケットデザインが違う。
こちらがアルバムのジャケット。

こっちがCDのジャケット。

個人的にはレコードのジャケットデザインのほうが好み。
洋楽は特にCDとレコードの値段の差が大きかったですね。
邦楽だとCD3000円に対してレコード2800円ぐらいだったのですが。

そういえば、レコードとCDが併売されていた時代で思い出すのは、
セックスピストルズにいたジョン・ライドンが出したアルバムに「album」というのがありますが、
これがCD盤になると名前が「CompactDisk」というタイトルになるんです。
どちらも真っ白い背景に小文字でタイトルが書かれただけのジャケット。
この時代だからありえた出来事ですね(聴いたことないけど)。

高校時代は洋楽中心だったかな?
その後、興味のある音楽のジャンルは、2段階ほどすっ飛ばし、とんでもない方向へ。
(これは、また別の機会に。)

(つづく。次回は「オーディオ冬の時代」のお話。)