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大学院であまり役に立ちそうもない勉強をしたり、陶芸、歌舞伎・能、カメラ、ときどき八ヶ岳で畑仕事、60代最後半です。

平成の坂田藤十郎襲名披露(その一、扇雀・鴈治郎)

2006-01-09 23:51:18 | 歌舞伎・能



            <初代坂田藤十郎のやつし芸の装束>

<東京・歌舞伎座>

昨年12月の京都南座に次いで、1月は東京・歌舞伎座で「中村鴈治郎改め
坂田藤十郎襲名披露」公演が行われている。

坂田藤十郎は江戸時代における上方歌舞伎の創始者といわれる大名跡であ
るが、三代で途絶えているので、実に231年ぶりの襲名ということになる。
二代目、三代目は初代の名声に遥かに及ばなかったので、坂田藤十郎といえ
ば、実質、初代坂田藤十郎のことであるが、初代坂田藤十郎没後から計算す
れば296年ぶりということになるだけでなく、75歳の文化功労者が功成り遂げ
た現在、更なる前進を求めて襲名をするということはあまり聞いたことがない。


<時空を超えた前代未聞の襲名披露>

この年代の襲名は、普通、次の世代へ名跡を譲るためであり、たとえば先代
(八代目)松本幸四郎が長男の染五郎(当時)に幸四郎を譲り、自分は初代
白鸚となるがごとし、である。今回の坂田藤十郎襲名は、上方歌舞伎の伝統
的な芸風である和事の継承と上方歌舞伎の再興、という願いを込めての襲名
である。そういう意味でも今回の襲名は稀有な出来事といえよう。

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<扇雀当時の優美さ>

私は、中村雁治郎が扇雀のころからのファンである。扇雀は「武智歌舞伎」
で近松門左衛門の感性を修行するとともに、一時、映画(東宝)に進出し、
その優美な姿かたちと新しい感覚が受けて当時「扇雀ブーム」を巻き起こし、
一斉を風靡した時代がある。その優美さは75歳の今も変わらない。


<平成二年の中村雁治郎襲名>

平成二年十一月の中村雁治郎襲名の時に、本人は内心「扇雀」のままで
いたかった、という話がまことしやかに伝わってきたが、真実は、扇雀に
未練があるのではなく、当時、扇雀はすでに60歳であったから、念願の
「坂田藤十郎」襲名を、と希望していたのである。しかし、歌舞伎の興業と
歌舞伎役者の襲名を握っている松竹に聞き入れてもらえなかった、という
のが真相らしいのである。

父の先代中村鴈治郎が亡くなったのが昭和58年だから、中村鴈治郎の大
名跡も当時6~7年空白になっていたので、松竹は多分、興業面を考えて
扇雀の中村鴈治郎襲名を迫ったのである。それに加えて、当時は扇雀の
坂田藤十郎襲名という発想は前代未聞であり、「中村鴈治郎」という上方
の大名跡よりも藤十郎襲名を希望する扇雀の、上方歌舞伎再興の心意気
を松竹は理解できなかったのである。


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襲名披露新藤十郎出演演目三題

「夕霧名残の正月」「曽根崎心中」「伽羅(めいぼく)先代萩」

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           「夕霧名残の正月」

初代藤十郎が大当たりをとった作品、新藤十郎が藤屋伊左衛門を演じる。
落ちぶれた伊左衛門が紙衣(かみこ)を着た初代の設定どおり、新藤十郎
も紙衣を着ていることが話題。藤十郎得意の「やつし事」の代表作。

  

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          「曽根崎心中」

近松門左衛門の作。北新地天満屋の遊女お初は新藤十郎、平野屋徳兵
衛は翫雀(新藤十郎の長男)が演じる。昭和28年に近松門左衛門生誕
300年を記念して上演した時の徳兵衛は二代目鴈治郎(新藤十郎の父)、
お初は当時の扇雀(新藤十郎)で、この「お初」が大評判をとり、以来、
扇雀(新坂田藤十郎)の当り役になった。これ以降、歌舞伎の曽根崎心中
での「お初」役は扇雀(新藤十郎)以外には殆ど考えられない出演実績に
なっている。


       

    

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(その一)了

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