『星座α』は『星座』の姉妹誌だ。『星座』が鎌倉春秋社の総合文芸誌なのに対し、『星座α』は短歌雑誌だ。双方とも尾崎左永子が主筆をしている。「α」の方は初心者が多い。「α」はアルファベットの「a」にあたる。だが創刊以来8年になろうか。会員がそれぞれの独自性を発揮し、手慣れた作品も作るようになった。
僕にとっては選者の修練の場だ。『星座』に先立って『星座α』の選者になった。参与という役割だが尾崎主筆の選歌の手伝いをしていることになる。
普段なら『星座』『星座α』の選者が3人から4人出席するのだが、『星座α』の選者は僕一人だった。『星座』の選者の松崎氏と作品に対するアドバイスをした。
歌会に先立って尾崎主筆と食事をしながら様々な話をした。噛む回数を数えるのが大変だったが、その辺の事情は尾崎主筆に話してある。
「短歌を初めて何年になるか」「発表しなかった作品はどうしているか」「20年間で作品の質はどう変わってきたか」「20年間で作品創作量はどう変化したか」こんな話をした。僕は「かながわサロン」で尾崎主筆から言われたことで忘れられない言葉をいくつか言った。
「よく覚えているのねー」という言葉が返ってきたが、初期のころ、尾崎主筆の言葉を聞き逃すまいと耳をそばだてていた。それが尾崎主筆には嬉しそうだった。随分長かったようで短かった。
さて歌会だが僕と松崎氏が発言して、三首まとめて尾崎主筆が批評した。
批評の観点はいつもの通り。読者の目になって作品を客観的に見る、読者に伝わるか考える、動詞が多くてうるさくならないか、言い方捉え方が素直なのは長所になる、擬人法はわざとらしくなりやすい、手慣れていても新鮮味があるか、結句が唐突ではないか、そのときの情感を大切にしているか。
だがいつもと違った批評もあった。
「複雑なことを単純に表現せよ」「自分の欠陥と長所を見極めよ」「表現に余剰はないか、欠落はないか」「一つの感慨を言葉を削って表現せよ」「発表時の作品を更に練り直して歌集にせよ」。
他に啄木の詩的センス、戦争を生き抜いたものとしての思い、このような話もした。尾崎主筆の言葉を聞き漏らすまいとしたが、鬱の症状が出てきて途中でたまらなく眠くなった。
歌会終了後もっと話したかったが、終了と同時に会場をあとにした。
